なお、私は常に女性の体を軸に考えているので、代理出産を女性の「人身売買」と捉えていますが、欧州や米国における議論では、女性だけでなく「赤ちゃん売買」の視点が重視されています。様々な団体や専門家が、代理出産を「赤ちゃん売買の一環」として批判しています。
私は子どもの権利の専門家ではないので、この辺はあまり詳しくなく、それゆえあまり皆さんにお伝えできることもないのですが。そして残念ながら、日本には代理出産に関して子どもの権利や心理を研究する人はいないようです。(精子提供ならば何人かいらっしゃいます)。
ヨーロッパで代理出産に反対する女性団体から、塩村あやかさんにあてて批判が寄せられました。日本で(無償も含め)いかなる形であれ代理出産を合法化すれば、ウクライナやその他多くの場所で起きているように、女性と子どもへの暴力をつくりだす、と。 twitter.com/CIAMS_Coalitio…
驚いた!宮台氏が少女売春を推奨してきたことは親世代なら誰もが知る事実でしょう。私は民主主義に関する本(ケンブリッジ大学出版/査読あり)でその事実を指摘してきました。来週には同内容を含む本が、フランス語で出版されます。スペイン語、ドイツ語でも発表予定です。日本、何やってるんですか。 twitter.com/japama_officia…
本文「なんと宮台さんが、小学校高学年くらい〜高校生年齢の子どもたちに対面授業をします」それはちょうど宮台氏が性的自己決定はあると論じ「低年齢の売春の禁止の禁止」を求めた年齢層。「なんと(少女売春を勧めた)宮台さんが(その対象者に性に関する)対面事業をする」皮肉。これ危険でしょ。
以前ツイートしたCAゲイ男性と似た構造の事例があったので意見を。代理出産の後に代理母に優しくすれば、女性の体を購入する問題が免責されるという発想は、暴力のあと被害者をいたわれば罪が消えるとか、性暴力をしても結婚すれば罪を問わないといった考えと同じです。何をしても暴力はきえません。
引き離した子どもに会わせるのではなく、母から子を引き離さなければよいだけ。子育てに関わりたいなら母子をサポートしてあげればよい。遺伝的な子に拘るとしても、自分の精子による子を産み育ててくれる女性を見つけ、結婚はせず父親として支援することは可能(そのような出会いサイトもあります)。
子どもは男性カップルのロマンティック・ラブを完成させるためのピースではないし、女性はそのための道具ではない。そのようなゲイ男性たちは、近代家族の写像に拘る時点で保守的だし「(自分たちの)正統な家族」から女性を締め出す姿は、家父長制の再生産どころか、パーフェクトな家父長制の実現。
以前ウェビナーで言われていたことだけど、代理出産の利用により、もはや男性たちは、女性の機嫌を取ったり、女性の生活や人生に責任を持つ必要なく、金さえあれば子を得られるようになった。従来の家父長制でも制度の中に付きまとい続けた「女性」を、ここにきて完璧に取り除くことができた。
私は全ての代理出産を問題視していますが、男性による利用をグロテスクだと思うのは、まさにこの点。それが家父長制の完璧な姿を作り出すから。最近はその様な男性により「(自分で産めないかわいそうな)男性が子を得るため女性の身体にアクセスする権利」が提唱されており、もはや恐怖を感じる。
実際のところ、依頼者と交わした契約により、代理母は本音を話したくても話せない現状があります。 twitter.com/mkepa5/status/…
この件について、当会とは関係なく、研究者としての私個人がこれまでに考えた事を以下に記します。まずこのイベントは「人を対象とする研究倫理」に反する行為であり、ここでいう研究倫理を示す例として立命館大学の指針を以下に記します。ritsumei.ac.jp/file.jsp?id=27… twitter.com/japama_officia…
社会学者が実施しその内容を文章にまとめるとのことで、ここで行われるのは子供を対象とした社会調査です。実施するのは大学に所属する大学教員ですから、大学の倫理委員会の審査を受ける必要があります。
私は大学教員としての個人名で、東京都立大学に二度にわたり文書を送り、以下の点を尋ねました。①本件は未成年を対象とした社会調査あるいは実験になりうるため、極めて繊細な倫理的配慮が必要となるはずだが、当該教員は、所属する都立大で、本調査あるいは実験に関する倫理審査を受けているのか。
②本件で被験者にインフォームド・コンセント(IC)がなされる予定ならば、その際に本件に参加することへのリスクはどのように説明されているのか。未成年の性行動に関する危険性については、これまで学術的な先行研究があるはずだが、宮台氏はそれらを参照した十分なICを行う準備をしているのか。
(少し大学業界内部の説明をしますと、倫理審査を受ける際は、その調査に関わることで被験者にどのようなリスクがあるのかを具体的に示す必要があります。仮に宮台氏が都立大の倫理審査を通していたのなら、その記載は既になされていると思い、どのようなリスクが述べられているのかと聞いたのです)。
また次も聞きました。このイベントは未成年のみの参加を可としているが、未成年から正当な同意が得られると考えているのか。そうであれば、その理由はどのようなものか。未成年(今回のイベントは小学生も含みます)が性に関して成人と同様の判断ができると考えるのなら、その学術的な根拠は何か。
私の調べた限り、宮台氏は性に関する学術媒体に論考を発表しておらず、性に関する彼の持論が、これまで学術的な検証プロセスを経たことはない。今回のイベントは、学術的に検証されていない主張を、大学教員の肩書を利用して、あたかも正当な知であるかのように伝える形となるのではないか。
仮に参加者が成人のみならば「表現の自由」として許容する余地が生じていたかもしれない。しかし未成年の場合、宮台氏から伝えられる情報の客観性や正当性を判断できるかどうかは疑わしい。それは大学教員という権威を用いて、非学術的な知識を未成年に「教化」する構造になりかねない。
まとめると、倫理審査を経ているのかどうか、経ているのならリスク管理はできているのか、経ていないなら、大学はそれをどう考えるのか。所属教員が大学教員の立場を利用し、自らの専門ではなく学術的でもない内容を未成年に論じるのは、研究機関としての存在意義を覆すのではないか、という点です。
これを4月半ばに都立大研究倫理担当窓口に、私の個人名で送りました。返事がなかったので、先週初めに再度送りました。しかし今に至るまで返事はありません。
都立大のHPを見る限り、社会系の調査研究には、立命館のように明確な指針がある訳ではありませんでした。もしかしたら、都立大の社会系は「人に対する研究倫理」について何ら定めていないのかもしれません。フィールドで所属教員が行う事に対し、大学は責任を取らないという立場なのかもしれません。
もし当該イベントで被害を被った方が生じたら、それは問題を指摘されながら事前に対策をしなかった都立大にも責任があります。性被害は、年数を経て顕在化する事があり、すぐには生じないかもしれませんが、後で問題の構造が分かるよう、都立大にも責任があることを示す事実をここに記しておきます。
私は本来、この件で発言するつもりはありませんでした。まさか都立大が研究倫理に関する告発を無視するとは思っていませんでしたし。しかし迫りくるイベント実施を前に、ネット上に溢れる嘆きの声を見て、そして他に誰も問題視する研究者がいないので、私が声をあげることにしました。
発言しようと決めたのは、私自身が90年代に経験した絶望感に起因しています。宮台氏をはじめとする当時の研究者たちが、大学教員の権威の下、若い女性を利用可能とする言説を構築し、若い女性は日常的にその被害を受けるようになったのですが、それを明確に批判するフェミニストはいませんでした。