いや、あのね、「パーリア」になろうとしているってのは、まずどっちかって話ですよ。コンテンツを嬉々として炎上させてきたフェミニストやリベラルこそ、ありもしない「差別」や「性犯罪の扇動」を持ち出して、自分らこそが被抑圧側だと都合良く規定して、攻撃と連帯を楽しんでたわけじゃないですか。
例えば、呉座先生の一件で「連帯」を呼びかけた人々はどうでしたか。呉座先生が謝罪した後も、「連帯」を呼びかけ、日文研への電話抗議を扇動し、あげくオープンレターまでやらかしたわけでしょう。まさに「「敵」を叩いてネットの「仲間」と盛り上が」ってたわけでしょう。 note.com/dokuninjin7/n/…
なんか表現の自由戦士に攻撃されるフェミニストやリベラルって構図ができあがってるみたいなんですけど、そもそも論として、何の罪もないコンテンツに「性犯罪を引き起こす懸念」だの「性犯罪と地続き」だのと事実無根のレッテル貼りをしなければ、表現の自由戦士なんか生まれないわけですよ。
山田太郎と赤松健、そして悪の表現の自由戦士を育て上げたのは、リベラルとフェミニストですよ。表現物を燃やして燃やして燃やしまくってきたこの10年がなければ、キャンセルカルチャーがなければ、少なくともちゃんと対話することを忘れてなければ、今の状勢は存在しなかった。
>叩くための「敵」の設定なので、その「敵」は実際のフェミニストなどとは必ずしも一致しない、自分たちが叩くのに適した存在へと勝手に虚像が作られていくことになります。 それ、まんま「オタク報国会」とかいう妄想に耽溺している御自身のことですよね。
結局、墨東先生の言わんとする結論って、オタクはコンテンツを政治的に殴られても殴られても、黙ってコンテンツに耽溺していろ、政治的連帯などするなって話ですけど、殴られる側からすれば「ふざけんなボケ」以上終了ですよね。
オタクを政治的に動員しようとしたの、まずは北田暁大先生の #秋葉原奪還計画 であって、思い通りにならなかったら今度は「大日本オタク報国会」などとぶっ叩くわけです。いや、そりゃ、オタクも右傾化しますし、リベラルやフェミニズムから離れますよ。だって設定じゃなくて明確に敵じゃないですか。
いや、すももんと高そうなレストランで食事しただけで「女は俺たち男より格下」とか「犬に人間の飯を食べさせないのと同じ」とか言われなきゃいけない理由、何ですかね。別に私は女性が高そうなレストランに行くことを否定してませんし、どっからこういう発想が出てきたんですか?
牛丼食べたら燃やされるし、高そうなレストランで食べても文句言われるし、いったい何を食べればいいんですかね。
なんでもない萌え絵を一方的に「レイプカルチャー」認定してくる人々ですけど、それ、萌え絵を愛好する人々からすれば「敵」以外のなんでもないですよね。黙ってレイプカルチャーを自覚して引きこもってろって葉梨ですかね、墨東先生。
非常に重要な指摘だと思います。墨東先生が考える「古き良きオタク」って、自分の好きなコンテンツを、社会から隔絶された自室において、一人耽溺する、もしくはこっそりと同好の士とつながる、そういう人たちなわけです。でも、今やそうじゃない。 twitter.com/yukinoko811/st…
仲間内で盛り上がるために他者を攻撃するの、まさにフェミニストが炎上キャンプファイアーを繰り返してきた姿そのものですし、その極北が「オープンレター」ですよね。鏡を見るって習慣はないのでしょうか。
「オタク報国会」とかいう妄想で山田・赤松両氏を叩いてファボリツ稼ぐの、まさに墨東先生の言う「「仲間」うちの盛り上がりと連帯感を安易に高めるのに「敵」を作る安直な方法」そのものですよね。
また、都ファにおける表現の自由擁護派の政治家として知られる荒木候補が、山本太郎氏と接戦で小選挙区当落線上の様子です。都内有権者の方は、ぜひご支援を検討されてください。
「松戸市のVTuber」について、荒木候補の発言 「「性的対象物」というが、それこそ逆に女性蔑視であるし、過剰に反応しすぎ。」「「性犯罪を誘発する」といろんな団体の方が抗議するが、そちらのほうがオジサン的視線」 twitter.com/ogino_otaku/st…
「これは一つの表現物。クリエイターの方も苦しい思いで引き下げたのだと思う。たわわも同じ。削除したことがまたこういうものを表現してはいけないという委縮に繋がる。作ったものは削除しない方がいい。行政のものも含めて。」
ここまで前のめりに発言される方が、都政与党である都ファ内の国会議員として存在することは、長い目で見れば政策的インパクトは絶大です。私は選挙区外なので投票できませんが、区域内の方はぜひぜひこの動画を見て、投票についてご検討いただければと思います。
月島さんや中山さんといったAVの現場に詳しい方から反論をつけられているのに、反応せずに言ったら言いっぱなしで、対話の姿勢も反論の努力もないという。そういう姿勢が、結局、今の今までリベラルやフェミニズムの退潮を招いたことに、そろそろ気づいてほしいですね……。 twitter.com/Simon_Sin/stat…
これは民主主義への挑戦です。文字通り、民主主義の危機です。
こうしたテロは許さないというメッセージを、国民として発信しないといけないと思います。テロで政治的目的を実現するようなことは、絶対に、絶対に看過しないという、断固たる意志を示す必要があります。まずは、投票行動、よく考えないといけません。それこそ民主主義における国民の声なのですから。
そうじゃないだろ。気に入らない対立者だから、暴力で口をふさぐ、そういうやり方は許されないって話ですよね。なんで自業自得みたいな発想につながるんですかね。 twitter.com/justastrawdog/…
暴力は絶対に許されない、ってその一点で筋を通すことがなんでできないんですか? いま、暴力に迎合することがどういう政治的意味を持つか、そのぐらいのことさえ考えられないんですかね。
シャルリー・エブド誌が襲撃されたとき、フランス国民は左右を超えて「私はシャルリー」と直ちに声を挙げた。それは自由の危機だったから。ならば、日本国民は今こそ「私は安倍とともにある」と、思想を超えて、声を挙げるべきじゃないのでしょうか。かつて「I am not Abe.」と口にした人々も含めて。
このような事件が起こってもなお、私たちは「アベ〇ね」と口にする自由を擁護しなければなりません。それは表現の自由であり、政治的風刺の範疇だからです。そして、それと同時に、そのような自由を危殆にさらした、このテロを許してはならない。 twitter.com/gerogeroR/stat…
どれほど酷い言説であったとしても、現実のテロと関連付けて批判されるべきではありません。私も体の奥底から怒りの感情がこみ上げますが、ここで、歯を食いしばって、「それでも自由なのだ」と言えずして、言論の自由など存立しえません。