651
652
後白河法皇は再建された東大寺の大仏開眼を、式の当日に急遽自らの手で行うと宣言し、周囲を慌てさせています。
開眼供養の一月前に京都は大きな地震に襲われ、余震も続いていたことから、周囲が地震を心配し止めたものの「階段が壊れて死んでも後悔はしない」と聞き入れませんでした。
#鎌倉殿の13人
653
654
文覚は暗殺未遂事件に連座し、佐渡へ流罪とされ、約2年後に許されて帰京します。
文覚は平家一門の平維盛の子、六代を匿っていましたが、この間に六代は処刑されてしまいました。
しかも文覚は、帰京からわずか1年で後鳥羽上皇に謀反の疑いをかけられ、対馬に流罪とされてしまいます。
#鎌倉殿の13人
655
656
657
658
660
661
662
1884年12月17日、有馬頼寧が生まれました。
久留米藩主有馬家の出身で、農林大臣など政治の世界で活躍したほか、日本卓球協会総裁、プロ野球チームオーナーなどスポーツの普及にも努めました。
競馬でも日本中央競馬会理事長として戦後の発展に貢献し #有馬記念 としてその名が残っています。
665
666
667
668
669
670
671
672
673
674
675