クリスマスは明治時代後半にはすでに年中行事として定着していました。 現代と同じ赤い服を着たサンタクロースが広まったのは大正時代からで、サンタ人形は人気のプレゼントとでした。 大正天皇が1926年12月25日に崩御し大正天皇祭として休日になったことから、日本でクリスマスが一気に普及しました。
1823年3月12日、日本海軍の生みの親である勝海舟が生まれました。 勝は9歳の頃、狂犬に睾丸を噛まれて70日間生死の境をさまよいました。 この時父の小吉は水垢離をして息子の回復を祈願しました。 これは後も勝のトラウマとなり、犬と出会うと前後を忘れてガタガタ震え出すほどであったといいます。
1867年10月18日、アラスカがロシアからアメリカに売却されました。 アラスカの経営に行き詰まったロシアが現在の価値で約140億円ほどでアメリカに売却しました。 アメリカでも当時は「巨大な保冷庫を購入した」と非難されますが、その後金鉱や油田が発見され、アメリカに莫大な利益をもたらしました。
1893年7月11日、御木本幸吉が相島(現ミキモト真珠島)で世界で初めて真珠の養殖に成功しました。 1927年には渋沢栄一の仲介で発明家のエジソンとニューヨークで会見し、エジソンから真珠の養殖成功を絶賛されています。 これを機に「ミキモト・パール」の名がアメリカ全土に知れ渡ったそうです。
明治時代の文豪、夏目漱石は、夏目吉信の子孫ではないものの同族ではあります。 夏目氏は信濃を拠点とした源氏の一族で、漱石の家系は鎌倉時代あたりで、三河に移った吉信の家系と分かれます。 その後は武蔵に土着し、漱石が生まれた頃は江戸の名主として繁栄していました。 #どうする家康
1945年7月10日、仙台空襲が行われました。 アメリカ軍は仙台を、住宅が密集し、道路が狭い焼夷弾攻撃に適した都市と評価し「仙台よい町 森の町 7月10日は灰の町」と印刷したビラをまき空襲を予告していました。 この空襲で、仙台城の大手門と脇櫓が焼失、伊達政宗の霊廟である瑞鳳殿も焼失しました。
明治末期、夜の銀座の様子
1867年12月12日、中岡慎太郎が亡くなりました。 坂本龍馬とともに襲撃され、龍馬が即死してから2日後の死でした。 中岡は幕末では珍しい笑顔の写真が残っています。隣に女性がいると想定されますが、中岡の頬に当てられた手と膝にかかった着物を除いて塗りつぶされてしまっています。
斎藤春子は、二・二六事件で暗殺された斎藤実の妻です。事件当日、彼女は将校達の向ける機関銃の筒先を持ち、 「斎藤の命は国家に捧げました。時期が来れば差し上げます。しかし、まだその時ではありません。斎藤を撃つなら私を殺してください。」 と叫び、身を挺して斎藤を庇い続けたそうです。
明治〜昭和にかけての銀座の風景の移り変わり
1946年9月5日、クイーンのボーカリスト・フレディ・マーキュリーが生まれました。 ロンドンの自宅には日本庭園を作る程の親日家で、来日公演時以外にもお忍びで来日し、伊万里焼などの骨董品を蒐集していました。 また、日本語にも通じており、来日公演時のMCの半分は日本語だったそうです。
1986年7月31日、杉原千畝が亡くなりました。 ナチスドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人に大量のビザを発給し、避難民を救出したことで知られています。 このビザ発給は外務省の訓令に反したものですが、杉原はのちに「大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです」と語っています。
1948年11月12日、極東国際軍事裁判の判決が下されました。 「平和に対する罪」を問われた所謂「A級戦犯」として、東条英機ら 7人が絞首刑、16人が終身刑を宣告されました。 インド人判事のパール(写真右下)は、「平和に対する罪」は事後法であるとして、最後まで被告全員の無罪を主張していました。
北条義時の死後、伊賀氏の変に至るまでのできごと一覧 義時は晩年には、三浦義村と三寅の邸宅の場所や駿河国の支配をめぐって対立していたともされています。 #鎌倉殿の13人
1931年9月1日、群馬県と新潟県の間に清水トンネルが開通しました。 全長約9.6kmで、当時日本で最も長いトンネルとして話題となりました。 川端康成の小説『雪国』の冒頭の「国境の長いトンネル」とは、完成したばかりのこの清水トンネルを指しています。
1945年6月5日、神戸大空襲が行われました。 神戸は終戦の年の1945年に大小合わせて128回の空襲を受けており、特に大きかった2度の空襲と6月5日の空襲で神戸市全土が壊滅状態となりました。
1853年7月8日、ペリー提督率いる黒船4隻が浦賀に来航しました。 『泰平の眠りを覚ます上喜撰 たった四杯で夜も寝られず』という狂歌が当時流行し、高級緑茶の”上喜撰4杯”と、来航した”蒸気船4隻”が掛けられており、鎖国にあぐらをかいていた幕府の狼狽ぶりを揶揄した歌とされています。
1582年6月21日、本能寺の変が起きました。 明智光秀が京都の本能寺に滞在中の織田信長を襲撃し、信長を自害に追い込みました。 天下を取ったかに見えた光秀ですが、その約10日後、「中国大返し」を強行した羽柴秀吉との山崎合戦で敗走し、京の小栗栖で農民に槍で突かれ絶命したと言われています。
今日は『玉の輿の日』です。 アメリカの実業家J・P・モルガンの甥のジョージ・モルガンが、祇園の芸妓・お雪と結婚したことが由来です。 モルガンは約8億円の見請金を支払い、お雪は「日本のシンデレラ」と呼ばれました。 その後アメリカに渡りますが、排日法により帰化は許されませんでした。
1909年5月20日、うまみ調味料「味の素」が鈴木製薬所(現・味の素株式会社)から発売されました。 東京帝国大学教授の池田菊苗が「うま味」成分を発見し、甘味・酸味・塩味・苦味に次ぐ第五の味として「うま味」の存在が認識されるようになりました。 「UMAMI」は世界でも通じる言葉となっています。
1945年7月14日、北海道空襲が行われました。 13隻の空母から3,000機の艦載機が北海道の各都市に無差別爆撃、機銃掃射を行いました。 特に室蘭、釧路、根室の被害が大きかったほか、青函連絡船など北海道と本州を結ぶ航路の船舶の多くが攻撃され壊滅状態となりました。 写真は空襲後の根室の様子です。
写真は山崎富栄。 太宰治の愛人の1人であり、晩年の太宰をサポートし、共に入水自殺を遂げました。 2人の出会いは屋台のうどん屋。その後、太宰から「死ぬ気で恋愛してみないか」と持ちかけられ、太宰夫人・美知子の立場を気遣いつつも、「でも、もし恋愛するなら、死ぬ気でしたい」と答えたという。
1912年9月13日、乃木希典が明治天皇の後を追って殉死しました。 乃木は日露戦争の旅順攻囲戦を指揮し、情報や物資が不足する中でロシアを圧倒し、「日露戦争の英雄」とも呼ばれています。 この和やかな写真が撮られた日、つまり、明治天皇の「大喪の礼」が行われた日に妻・静子と共に自刃しました。
1946年9月5日、クイーンのボーカリスト・フレディ・マーキュリーが生まれました。 ロンドンの自宅には日本庭園を作るほどの親日家で、来日公演時以外にもお忍びで来日し、伊万里焼などの骨董品を集めていました。 また、日本語にも通じており、来日公演時のMCの半分は日本語だったそうです。
1863年6月27日、伊藤博文、井上馨ら長州藩士5名がイギリス留学のため密出国しました。 伊藤博文の持ち物は間違いだらけの英和辞典と寝間着だけで、渡航途中の船では水兵同然のひどい扱いを受けたといいます。 彼ら5名はロンドン大学にて「長州ファイブ」として顕彰碑が建てられています。