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毒親にはやりたくないものをいくつも強要され、やりたいことは禁止されていました。成長後、毒親に「私はこんなことやりたくなかった、本当にやりたいことは⚫︎⚫︎だった」と毒母に言うと「じゃあ、今からやればいいじゃない」とケロッとした顔で言うんです。そういうことじゃない…
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親を大切にしたかったし仲良くなりたかった。でも、そんな思いを持って親に歩み寄ればいつもいいように利用され、ボロボロにされてきました
毒親育ちはきっと誰よりも親に真摯に向き合い、そして深く親に傷つけられてきています
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母や妹から容姿を笑われていた影響か、写真に写る自分の姿を見るのが苦痛で正視できませんでした
でも、何年も経った後に写真を見ると「あれ、私、普通の人間の顔や姿してる…」と驚くのですよね
写真に写る自分はごく普通の人間なんですよ。
認知が歪むと、見えるものも歪んで見えてしまうのですね
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子供の頃の私は顔の洗い方を知りませんでした。小学生のある日、意を決して母にそのことを言ったんです。母はゲラゲラ笑いながら「だからあんたの顔って毎朝薄汚いんだぁ」…親が子に生活習慣を教えずに、一体誰が教えるというのか。毒家庭では、そんなことも知らない人間が平気で親をやっていたんです
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幼い頃、私がテーブルの食事をうっかりこぼしてしまった時、「お前はなんでいつもそうなんだ!」母から罵声と鉄拳がすぐに飛んできたものでした。
一方妹がこぼすと「大丈夫?熱くなかった?」と手厚く慰められながら片付けてもらっていたんです
この扱いの大きな違い。いつまでも忘れられません
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毒親に私のことを理解してほしくて必死でした。しかし彼らは私を理解しようという姿勢は微塵もなく、私は疲れ果て諦めました。この手痛い教訓を元に、「自分を理解しようとしない人に必死に理解を求める」無駄な努力は止めました。毒親は私の変化に気づき焦って追ってきましたが、もう遅い。もう無理。
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何をするにもつい余計や力みや焦りがあるのは、毒親家庭に生きた名残です。到底無理なことややりたくないことを「早くやれ!」「間違えるな!」と常に毒親から急かされる毎日。身体中に力が入り。心は焦りでいっぱいでした。その後遺症は未だ心身を巣食っています。この後遺症を少しでも遠ざけるために
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仲の悪かった両親が、数年に一度位に奇跡的に仲がいい時がありました。その時の幼い私は、天にも昇るような幸せや安心を感じました。
たった少しの間でもこうだったのですから、いつも仲の良い両親と共に暮らし、育てられる子というのは、一体どれだけ大きな安心や幸福に包まれるのでしょうね‥
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毒親に人前でけなされ、笑い者にされ、それが話題にされるのが当たり前だったので、自分でも会話の中で自然に自虐話をしていました
そうすると、皆どんなリアクションをしたらいいのかわからず、困った顔をするのですよね…
その反応を長年受けてやっと、されてきた事とそのおかしさに気づけたんです
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子供が成長し自立した後。
そこから引き続き親と良い関係を築くか否かは、これまでの親子関係の蓄積の結果がはっきりと現れます
「これからも親と仲良く過ごしたい!」なのか?
それとも「やっと親から離れて生きられる」なのか?
老後は子育ての通知表、とはこのことを表しているのですね
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寂しさのあまり、子供である私によりかかろうとする毒親を見ると、私は「甘えるな、大人でしょう?寂しさくらい自力で処理しろ」と怒りが湧きます
かつて幼く心細かった私を「邪魔だ甘えるな迷惑をかけるな」と冷たく突き放したくせに、一体どの口で私に甘えたことを言うのか…と驚き呆れるんです
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私が目撃した数多くの毒親夫婦ゲンカの中でも、最も毒父が暴れ、毒母が泣き叫び、すさまじくて忘れられないものがあります。幼稚園児だった当時の私は怯え固まり、未だその恐怖は鮮やかに記憶しています
そのすさまじいケンカが起こった原因はこちらです→「母が時間通りに帰宅しなかったから」…
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自らの不幸を自らで改善する気がなく、誰か私を幸せにして!と言うマインドの毒親は、手っ取り早く子供を利用します。子が幼い頃は子を道具として利用し、子が成長すると「あなたは私を幸せにしなさい」と子に強く要求します。その際には親孝行とか、そういう誰も否定できない強い言葉を悪用しながら
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毒親というのは
子のやりたいことを禁止し
やりたくないことを強要し
子が一生懸命な姿をバカにして笑い物にする
不満や不足を抱えている毒親は、その解消のために子をいじめ、子に要求をぶつけ続けます
しかし子にどんなに当たっても、毒親の不満は解消されず、不足が満たされることはありません
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毒親は子に身だしなみや生活習慣など、人として生きる基本を面倒くさがってろくに教えません。子の自助努力には限界があり、不潔でいたりできないことが多い状態でいるしかありません。そんな子を、あろうことか毒親は罵倒したり笑うんです。「あんたの格好変!」「あんた、こんなこともできないの?」
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毒親から注入された毒を解毒することとは、自分の人生を取り戻すこと、なんだと思います。自分の感情を肯定し大切にする、主体的な人生を送る…長年毒親に乗っ取られた状態だったそれらを、一体どれだけ取り戻すことができるのか?それは分かりませんが、生きている限りこの作業は続くのだと思います
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私が育った毒親家庭では、子供はキッチン立ち入り禁止だったのですが、母の気まぐれで呼ばれ「これをやってみなさい」と突然台所仕事を指示されることがたまにありました。何ひとつ教わってもいないので、うまくできません。当たり前ですよね。でも毒母はまごつく私を「あんたそんなこともできないの!
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人生の序盤に、毒親から自尊心を叩き潰されてきたため、何をするにも「私には無理だ」と思い込み、挑戦を見送ったことが本当にたくさんあります。
今考えれば、もう少し気軽に手を出してもよかったのでは?ということすら自信がなくて恐ろしくて、一歩踏み出すことはできませんでした。本当はその、
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毒親は、ごく普通の親としての愛情や承認を子に与えない一方で、子供には普通以上の優秀さや親孝行(という名の奴隷奉公)を平気で要求します
毒親育ちは栄養を与えてもらえないのに「誰よりも立派に育ちなさい」という無茶を要求され続けているようなものです。人生早々疲弊するに決まってますよね