毒親の怖いところ。 毒親本人は、子供のためを思って必死だったのに何てひどい子、と悲しんでいること。周りの人に毒親の加害性が絶望的に伝わりにくいこと。優しくしてくれた時の記憶が妙にちらついて、「本当は親は普通の人で、私の考えの方がおかしいのではないか」と未だ自分を責める時が襲うこと
「メンタルを壊した状態から元通りにするというのは、漬物をフレッシュな野菜に戻すのと同じこと」という表現をどこかで見たことがあります かつての自分に戻ろうと無理をしたら、うつ病は悪化しました。 発病以前とは全く違う生き方やゴールの模索が必要になるんですよね twitter.com/NyoVh7fiap/sta…
母はよく「私には夫はいない。あの人は手のかかる大きな息子」と私に愚痴っていました 父は自分のことしか頭になく、普通の夫婦のように協力しながら困難を越えることができない間柄だったのでしょう。父が夫として役割を果たさない苦悩や不安、不満などは、長女の私に様々な形でぶつけられてきました
毒親は、ごく普通の親としての愛情や承認を子に与えない一方で、子供には普通以上の優秀さや親孝行(という名の奴隷奉公)を平気で要求します 毒親育ちは栄養を与えてもらえないのに「誰よりも立派に育ちなさい」という無茶を要求され続けているようなものです。人生早々疲弊するに決まってますよね
親を大切にしたかったし仲良くなりたかった。でも、そんな思いを持って親に歩み寄ればいつもいいように利用され、ボロボロにされてきました 毒親育ちはきっと誰よりも親に真摯に向き合い、そして深く親に傷つけられてきています
普通の親に適切な愛情をかけられて育った人は、成長後、親のことなんてほとんど考えないのだそうですね。 毒親育ちはいつまでも愛情飢餓状態、親の愛を欲したまま満たされずにいるので、あんな親でも親からの愛が欲しくて、いつまでも心に親のことを浮かべてしまう。哀しいことですね
幼い頃、母に抱っこしてもらおうとすると、体格のいい妹が突進してきて私を突き飛ばし、母の膝にどっかりと座っていました その様子を見て母は大笑いです。 もしこれが逆だったら私はめちゃくちゃ叱られるのに、妹は何をしてもおとがめなし。 母への抱っこもいつも妹に奪われる、寂しい幼児期でした
「お前は小さい頃、たまに会う私の友人とか近所の人にばかり懐いてた!」と毒母に嫌そうに言われていたのですが、そりゃ家庭内に可愛がってくれる人がいなければ、愛をくれそうな外の人に向かうでしょうよ…と今になって思います
「世界で一番分かり合えない人間が親だった」という不幸。 生き延びるために長年自分をねじ曲げ、本心を押し殺し、その合わない親に無理矢理合わせなければならなかった不運。 毒環境から逃れ、やっと自分の人生を始められる頃には既に長い年月が経過し、加齢し、心身には長年の疲労が蓄積されています
「あんたさぁ、ピアノ10年も習わせてやったのに、その後一回もピアノ弾かないのなんで?」 やりたくもないことを嫌々やらされてたからだよ 「ピアノやってる娘」を持つことが第一、私の感情なんてどうでもよかったからそんな見当違いのこと聞いてこれるんだね 毒親とは我欲の塊、子は我欲を満たす道具
毒親というのは 子のやりたいことを禁止し やりたくないことを強要し 子が一生懸命な姿をバカにして笑い物にする 不満や不足を抱えている毒親は、その解消のために子をいじめ、子に要求をぶつけ続けます しかし子にどんなに当たっても、毒親の不満は解消されず、不足が満たされることはありません
毒親に人前でけなされ、笑い者にされ、それが話題にされるのが当たり前だったので、自分でも会話の中で自然に自虐話をしていました そうすると、皆どんなリアクションをしたらいいのかわからず、困った顔をするのですよね… その反応を長年受けてやっと、されてきた事とそのおかしさに気づけたんです
毒親から離れて驚いたのは、長年悩まされていた慢性的な疾患の数々が良くなったことです 皮膚炎と鼻炎、胃腸の不調などです 「お前は体が弱い!」「体調崩してばかりで面倒な子!」と私をずっと罵っていた毒親が、全ての慢性病の原因だったとは…
毒親はベッタリと依存してきたり、冷たく突き放したり、気分で子を振り回します 毒親からのこの扱われ方により、私は長年、様々な人やものとの適切な距離感の取り方がわからず、いろんな失敗をしてきました 今は様々なものとの適切な距離感を模索中です 模索は今後も長く続くのだろうと思います
子供が成長し自立した後。 そこから引き続き親と良い関係を築くか否かは、これまでの親子関係の蓄積の結果がはっきりと現れます 「これからも親と仲良く過ごしたい!」なのか? それとも「やっと親から離れて生きられる」なのか? 老後は子育ての通知表、とはこのことを表しているのですね
毒親に昔されて辛かったことを話すと、必ず返ってくるのが「アンタ嫌なことばかり覚えてるのね。アタシそんなの全然覚えてない」 いじめっ子はいじめた記憶がなく、いじめられた側はいつまでも忘れられないってこういうことなんですね… 毒親の言動から思い知りました
母や妹から容姿を笑われていた影響か、写真に写る自分の姿を見るのが苦痛で正視できませんでした でも、何年も経った後に写真を見ると「あれ、私、普通の人間の顔や姿してる…」と驚くのですよね 写真に写る自分はごく普通の人間なんですよ。 認知が歪むと、見えるものも歪んで見えてしまうのですね
私が辛く苦しい時。 毒親からは「お前は恵まれている!」「そんなことで悩むのは贅沢だ」とよく怒鳴られました 毒親に気持ちを受け止めてもらえず、感情を否定され続けると、「私は辛さや苦しさは感じてはいけない、私は甘えてるんだ…」と、自然にわきあがる感情を否定したり抑制するようになりました
毒親は昔から子供を理解する気など微塵もありませんが、幼い子供は親とわかり合いたくて、必死に語りかけます でも長年拒否され続けるうちにある日気持ちは折れ、毒親とのやりとりを止めます これまで親に必死に取りすがってきた子が離れていく事に驚いた毒親は、今度は逆に、子供にすがりついてきます
毒母に雑談で「私、いまこのスポーツ選手を応援してるんだ」というと、すぐに「この人いつも負けてばかりじゃない笑」と返ってきます 用意しているかのように、私の言う事を否定・揶揄する言葉を即座にぶつけてくる毒母。 親子の気軽な世間話すら、一瞬にして不快なものに変換する能力が高すぎました
毒親は子供が困っていてもろくに手を差し伸べず、子供は手探りで、一人必死で前へ進みます しかし、子供のその孤独な努力すら「親が何も助けなくてもいつも一人で何とかする子供、そんな子を育て上げたのは俺たち」と、毒親は自分の手柄にします… 毒親育ちは、何重にもがんばりを搾取されてきました
本心から子供が欲しいのではなく、見栄・体裁・世間体のために子供を持つ人は毒親化しやすいです そういう人は所有欲を満たしたくて、子を持つこと自体が目的化しているため、「未成熟な存在を一人前の人間に導く」という、難解であり多くの手間を必要とする子育てというものへの覚悟はありません
「家庭とは、人にとって安心できる場所、安全な基地です」という言葉を初めて見た時、驚愕したんですよね 逆でした。毒父の怒りや暴力に怯え、母のあふれ出る愚痴を聞いて適切な相槌を打ちスッキリさせなければならない… 毒親育ちには、安心する家庭などありませんでした
我が毒母にとって、私は「勝手に頭がおかしくなって、勝手に暴走して“遅い反抗期”が来た哀れな娘」 毒母自身は「身勝手な娘に優しい気遣いやメッセージを送る慈悲深い母」なのだそうです。 言葉や態度から伝わってきます この認識のズレ。彼女と私は恐らく一生分かり合えないということがわかります
毒父は家で突然不機嫌になり怒鳴り散らしたり、突然家族を無視し始める人でした 「優しい時があったからいいじゃない」では片付けられないんです いつどんなタイミングで爆発するかわからないので、例え機嫌が良くとも常にビクビク身構えていました 気が休まらず、いつも疲れていた子供時代でした