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幼い頃、母に抱っこしてもらおうとすると、体格のいい妹が突進してきて私を突き飛ばし、母の膝にどっかりと座っていました
その様子を見て母は大笑いです。
もしこれが逆だったら私はめちゃくちゃ叱られるのに、妹は何をしてもおとがめなし。
母への抱っこもいつも妹に奪われる、寂しい幼児期でした
2
私のことを嫌いと言ったり、そこまで言わなくても「私はあなたとは仲良くできない」とはっきり意思表示してきた子達の共通点は、育った家庭が暖かく、親御さんと仲が良く、家族から心身のケアを日常的にたっぷり受けてきたということでした。自分の意思を受け止めてもらえる家庭に生きる子は、
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「お前は小さい頃、たまに会う私の友人とか近所の人にばかり懐いてた!」と毒母に嫌そうに言われていたのですが、そりゃ家庭内に可愛がってくれる人がいなければ、愛をくれそうな外の人に向かうでしょうよ…と今になって思います
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自分の好き嫌い・快不快がはっきりとわかることができるし、それをまっすぐに発することができる。また、自分が不快に思う人からきっちり距離を取ることが幼い頃からちゃんとできる人間になれるのだと思います。
自分の感情や意思は親から発することを禁じられ、嫌なことを無理にさせられる毒親家庭
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うつ病になった時。毒母は「私はあなたに何をしてあげられるのぉ!」と叫んでくるので「何もしないで。遠くで黙って見守っててほしい」と何度も何度も伝えたのですが…毒母はその逆に、私の家に何度も突撃しては騒ぎ立てました。私はその度に力をふりしぼり、いい加減にしろ出てけと追い出しました
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とは天と地ほどの違いがありますね。同じ人といっても、生まれ落ちた家庭の違いで、幼い頃からこんなに違いが生じるのですね
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本心から子供が欲しいのではなく、見栄・体裁・世間体のために子供を持つ人は毒親化しやすいです
そういう人は所有欲を満たしたくて、子を持つこと自体が目的化しているため、「未成熟な存在を一人前の人間に導く」という、難解であり多くの手間を必要とする子育てというものへの覚悟はありません
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「親が毒親でおかしくて、ろくなものを与えられず変な手本で変な癖がついてしまっても、おかしさに気づいた度に、自分で直す努力を怠らなければ普通になれる」と思っていました。
でも、普通になれた?なれた!という場所に仮に辿り着けても、そこで普通を継続することはできませんでした。いつも途中
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普通育ちは、親からたくさんのアシストを受けながら成長できますが、毒親育ちは逆なんです。幼い頃から毒親の道具として使われ、消耗させられてきました
親孝行というのはアシストしてもらえた普通育ちの領分です。毒親に対しては孝行どころか、逆にこれまでの損害賠償を請求したい気持ちです
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「出会ってすぐ、急激に距離をつめてくるタイプは危険な人」という記述を見て、私は昔、これをやったことがあるな…と反省しました
毒親に境界線を破られ続け、侵入されることが当たり前だった私は、人との距離感がいつまでも絶望的にわからず失敗ばかり。諦めて一人でいることが多くなりました
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普通の親に適切な愛情をかけられて育った人は、成長後、親のことなんてほとんど考えないのだそうですね。
毒親育ちはいつまでも愛情飢餓状態、親の愛を欲したまま満たされずにいるので、あんな親でも親からの愛が欲しくて、いつまでも心に親のことを浮かべてしまう。哀しいことですね
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「もう親のせいにするって歳じゃないでしょう」幼少期から心身にダメージを受け、未だ後遺症に苦しむ毒親育ちは、その被害をただ口にしただけで親不孝者だ幼稚だと罵られる。一方で加害者の毒親は責められることなくするっと逃げられるこの仕組み。本当に一体なんなんでしょうね
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昔、父に長い時間怒鳴り散らされ、やっと解放された母は、ひとり洗い物をしていました
「お母さん、大丈夫?」私はそっと近寄って尋ねると、母は私をにらみ、「あなたはお父さんに大声で怒鳴られたら大丈夫でいられるの?大丈夫なわけないでしょう?」と大変な剣幕で返されました。私はごめんなさい、
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毒父は家で突然不機嫌になり怒鳴り散らしたり、突然家族を無視し始める人でした
「優しい時があったからいいじゃない」では片付けられないんです
いつどんなタイミングで爆発するかわからないので、例え機嫌が良くとも常にビクビク身構えていました
気が休まらず、いつも疲れていた子供時代でした
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毒母に雑談で「私、いまこのスポーツ選手を応援してるんだ」というと、すぐに「この人いつも負けてばかりじゃない笑」と返ってきます
用意しているかのように、私の言う事を否定・揶揄する言葉を即座にぶつけてくる毒母。
親子の気軽な世間話すら、一瞬にして不快なものに変換する能力が高すぎました
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毒親は子供が困っていてもろくに手を差し伸べず、子供は手探りで、一人必死で前へ進みます
しかし、子供のその孤独な努力すら「親が何も助けなくてもいつも一人で何とかする子供、そんな子を育て上げたのは俺たち」と、毒親は自分の手柄にします…
毒親育ちは、何重にもがんばりを搾取されてきました
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「家庭とは、人にとって安心できる場所、安全な基地です」という言葉を初めて見た時、驚愕したんですよね
逆でした。毒父の怒りや暴力に怯え、母のあふれ出る愚痴を聞いて適切な相槌を打ちスッキリさせなければならない…
毒親育ちには、安心する家庭などありませんでした
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幼い頃、私がテーブルの食事をうっかりこぼしてしまった時、「お前はなんでいつもそうなんだ!」母から罵声と鉄拳がすぐに飛んできたものでした。
一方妹がこぼすと「大丈夫?熱くなかった?」と手厚く慰められながら片付けてもらっていたんです
この扱いの大きな違い。いつまでも忘れられません
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毒親から離れて驚いたのは、長年悩まされていた慢性的な疾患の数々が良くなったことです
皮膚炎と鼻炎、胃腸の不調などです
「お前は体が弱い!」「体調崩してばかりで面倒な子!」と私をずっと罵っていた毒親が、全ての慢性病の原因だったとは…
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毒親は昔から子供を理解する気など微塵もありませんが、幼い子供は親とわかり合いたくて、必死に語りかけます
でも長年拒否され続けるうちにある日気持ちは折れ、毒親とのやりとりを止めます
これまで親に必死に取りすがってきた子が離れていく事に驚いた毒親は、今度は逆に、子供にすがりついてきます
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毒親の怖いところ。
毒親本人は、子供のためを思って必死だったのに何てひどい子、と悲しんでいること。周りの人に毒親の加害性が絶望的に伝わりにくいこと。優しくしてくれた時の記憶が妙にちらついて、「本当は親は普通の人で、私の考えの方がおかしいのではないか」と未だ自分を責める時が襲うこと
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毒親はベッタリと依存してきたり、冷たく突き放したり、気分で子を振り回します
毒親からのこの扱われ方により、私は長年、様々な人やものとの適切な距離感の取り方がわからず、いろんな失敗をしてきました
今は様々なものとの適切な距離感を模索中です
模索は今後も長く続くのだろうと思います
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心療内科の主治医曰く、「あまり過去の辛い出来事は無理に思い出さない方がいい」らしいのです。
でも…私が受けた毒親からの仕打ちの記憶は、長年誰にも打ち明けられる機会などなく、脳内で繰り返し浮かんでは沈みを繰り返し、体内で燻り続けていて、その燻りに私の心身はじわじわと炙られました
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「あんたさぁ、ピアノ10年も習わせてやったのに、その後一回もピアノ弾かないのなんで?」
やりたくもないことを嫌々やらされてたからだよ
「ピアノやってる娘」を持つことが第一、私の感情なんてどうでもよかったからそんな見当違いのこと聞いてこれるんだね
毒親とは我欲の塊、子は我欲を満たす道具
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我が毒母にとって、私は「勝手に頭がおかしくなって、勝手に暴走して“遅い反抗期”が来た哀れな娘」
毒母自身は「身勝手な娘に優しい気遣いやメッセージを送る慈悲深い母」なのだそうです。
言葉や態度から伝わってきます
この認識のズレ。彼女と私は恐らく一生分かり合えないということがわかります