毒親持ちにとっての親の認識というのは、甘えられ頼れる存在ではなく、「問題ごとを押し付けてきたり、困らされる存在」でした。そのため小さい頃から「私には甘えられる相手、助けてくれる人などいない。だから、一人心を強く持って生きなきゃ」と自分に言い聞かせながら生きてきたように思います。
私が辛く苦しい時。 毒親からは「お前は恵まれている!」「そんなことで悩むのは贅沢だ」とよく怒鳴られました 毒親に気持ちを受け止めてもらえず、感情を否定され続けると、「私は辛さや苦しさは感じてはいけない、私は甘えてるんだ…」と、自然にわきあがる感情を否定したり抑制するようになりました
かつて毒親に「遅い!早く!お前はだめな子だ」といつも急かされ否定されていた時の名残でしょうか。何をするにも無駄に力が入り、「早く終わらせなきゃ。失敗してはだめだ」と焦る癖が抜けません。しかも、どんなに力んで焦って必死に行っても、パフォーマンスは並み以下しか出せないことが多いんです
毒親に人生を妨害されながらも「何とか普通になりたい、普通の環境に入りたい」ともがいてきました でも、こうしてもがいてやっとたどり着く場所には、親や環境に恵まれて穏やかに生きる人が多かったんです。 高校、大学、職場と年齢が上がるにつれて、その割合は増えたように記憶しています
RT 毒親育ちはバウンダリー(人との境界線)を親から破壊されてきたため、社会での実地でひとり大変な思いをしながら、人との間に線を引く学びを行わなければならないのですよね… それは何ならこれまでとは真逆の生き方なため、気を抜けばたちまち“不快な距離で対等ではない関係”、を築いてしまいます
毒親に昔されて辛かったことを話すと、必ず返ってくるのが「アンタ嫌なことばかり覚えてるのね。アタシそんなの全然覚えてない」 いじめっ子はいじめた記憶がなく、いじめられた側はいつまでも忘れられないってこういうことなんですね… 毒親の言動から思い知りました
仲の悪かった両親が、数年に一度位に奇跡的に仲がいい時がありました。その時の幼い私は、天にも昇るような幸せや安心を感じました。 たった少しの間でもこうだったのですから、いつも仲の良い両親と共に暮らし、育てられる子というのは、一体どれだけ大きな安心や幸福に包まれるのでしょうね‥
親や周りから愛されて生きている人に対して、私は悔しさや怒りがありました。同時に、親にすら愛されない厳しい環境に生きる私は、誰よりも磨かれているはず、という期待を持っていたんです。しかし結果は逆。普通にすらなれず、地の底へ落ちました。親からの愛をろくにもらえなかった毒親育ちは踏ん張
毒親は“人並みの親”がしてくれる寄り添いやサポートなどを子に一切しないくせに、子供には図々しく“人並み以上の優れた子”を要求するんですよね もうこの時点で普通の神経じゃないことがわかりますが、そんな親でも幼い子は逆らえません。理不尽に耐え、親の要求に無理に従うしかなかったんです
普通の感覚を持つ親は、子がより良い人生を歩むために生活習慣を整えさせたり勉強などのスキルをつけますが、毒親は目的が違います。我が子を、まわりに自慢できて見栄を張れる子に仕立て上げたいんです。いい成績を取るよう強要するのは、「優秀な子を育てるアタシすごい」をやりたいから。子のため
子供の頃の私は顔の洗い方を知りませんでした。小学生のある日、意を決して母にそのことを言ったんです。母はゲラゲラ笑いながら「だからあんたの顔って毎朝薄汚いんだぁ」…親が子に生活習慣を教えずに、一体誰が教えるというのか。毒家庭では、そんなことも知らない人間が平気で親をやっていたんです
毒親に人前でけなされ、笑い者にされ、それが話題にされるのが当たり前だったので、自分でも会話の中で自然に自虐話をしていました そうすると、皆どんなリアクションをしたらいいのかわからず、困った顔をするのですよね… その反応を長年受けてやっと、されてきた事とそのおかしさに気づけたんです
毒親に私のことを理解してほしくて必死でした。しかし彼らは私を理解しようという姿勢は微塵もなく、私は疲れ果て諦めました。この手痛い教訓を元に、「自分を理解しようとしない人に必死に理解を求める」無駄な努力は止めました。毒親は私の変化に気づき焦って追ってきましたが、もう遅い。もう無理。
毒親は子供が幼い頃は、子の相手などを仕方なく嫌そうで面倒がっていたのに、成長した子に対して異様に密着してくるのはなぜなのでしょう? 子供は昔と違って親を頼らずとも生きられますし、何より昔の冷たい仕打ちを忘れていないので、今更ベッタリされても心はすっかり冷え切っているのですけれどね
毒親は、自分が年老いて寂しくなると、連絡しろ!寂しい!体調が悪いから心配しろ!と、病気や老化で泣き落としをしてまで子の関心をひこうとします。かつて幼い子を邪魔にして放置して粗末に扱っておいて、なぜ老後に大切に扱ってもらえると思えるのでしょうか?その思考回路は全く理解できません。
嫌なことを言われたら、とっさに笑顔を作り、その場が和やかになるような言葉を返すという行動を取りがちです。毒親家庭では、毒親から嫌な態度を取られてもそういう対応しなければならなかったので、その癖は未だに抜けないんです。「誰かに嫌な言動を取られたら、それは受け止めなくても良い。
「自分はタフで、ずっと動き続けられるタイプだ」と長年思っていたんです。でもそれは全く違っていたということを、倒れてから初めて気づきました。 毒親家庭では、毒親から日常的に脅されるように生きていたため、いつもアドレナリンが出ていて、常に無理矢理全力疾走してるような状態だったんです
毒親にはやりたくないものをいくつも強要され、やりたいことは禁止されていました。成長後、毒親に「私はこんなことやりたくなかった、本当にやりたいことは⚫︎⚫︎だった」と毒母に言うと「じゃあ、今からやればいいじゃない」とケロッとした顔で言うんです。そういうことじゃない…
私が何をどんなに頑張っても、「まだ足りない」と欠点ばかりあげつらっていた毒母。後に、なぜ私の頑張りを貶してばかりだったの?と聞くと、返ってきた答えが「褒めると調子に乗ると思って」労りなく子をひたすらムチで打ち続ければ、すくすく育つとでも思っていた…?冷血すぎて理解できませんでした
人生の序盤に、毒親から自尊心を叩き潰されてきたため、何をするにも「私には無理だ」と思い込み、挑戦を見送ったことが本当にたくさんあります。 今考えれば、もう少し気軽に手を出してもよかったのでは?ということすら自信がなくて恐ろしくて、一歩踏み出すことはできませんでした。本当はその、
子供の頃、暴力的な男の子のターゲットになり、辛い日を過ごしていた時がありました。教師には両成敗的に適当にあしらわれ、毒父に至っては「その男の子はお前が好きなんだ。許してやれ」と言うのです…自分に好意のある人間からなら、理不尽な暴力であっても我慢して受けろと?とんでもない理屈です。
毒親育ちは、誰よりも親孝行“でした”。例えどんなに変な親でも、親の為に幼い頃から必死に身や心を削って、親に尽くし続けた。でも…それを受け取る側の親が毒、つまりどうしようもないろくでもない人間だった。そんな子供の真心をいつも利用し、振り回し我欲で使いつぶし、子供をボロボロにしたんです
毒親被害をSNSに書き出していく作業というのは、例えると、長年毒親から一方的に「様々な呪詛が込められた大量の紙」を体内に無理矢理ねじこまれてきたのを、一枚ずつ取り出してシワを伸ばして解読し、その紙を捨てたりファイリングしたり…という作業のようだな、と思います
#それ娘に言う言葉じゃないだろ選手権 ハッシュタグを作ってみました 「ねえそれ子供にいうことか‥?」という毒親が放ったセリフ、よかったら教えてください!
大人になると、日常生活で「親のことを考える時間」はめったにない、ということを知った時に本当に驚いたんです。毒親との疎遠前後、私の頭の中は毒親のことでいっぱいだったからです。子が成長しても離れてもなお、子自身に使うべきエネルギーやリソースを無駄に消耗させ続けるのが毒親なのですね