紙のヒトガタが左腕の部分が切れているため、銭婆の幻影も左腕の部分が消えています。 #千と千尋の神隠し
カオナシが千尋から砂金(偽物)の受け取りを拒否されるシーンの絵コンテに「二度の失恋」と書かれています。2度目はこの時で、1度目は薬湯の木札の受け取りを拒否されたことだと思われます。 #千と千尋の神隠し
オクサレさまと思われた河の神から自転車を含む大量のゴミが出てくるシーンは、宮崎駿監督が地元の有志と行なっている川の清掃活動での体験が元になっています。 #千と千尋の神隠し
お風呂のお湯の音、掃除の音、配膳の音など、油屋内部での環境音は草津温泉の清重館で収録されています。 #千と千尋の神隠し
カオナシは当初、橋の上に立っているだけのチョイ役でした。しかし、制作中に尺が3時間を超えることが判明し、2時間前後に収めるためにカオナシを物語後半のメインキャラクターに昇格させました。イメージボードにあるカオナシの初期案は完成版と比べるとかなり印象が違います。#千と千尋の神隠し
千尋は湯婆婆に名前を奪われて「千」となりますが、「荻」の字の「火」の部分を「犬」と書き間違えていました。絵コンテでもそうなってるので、これは作画ミスではないことが分かります。また、字を間違えたからこそ千尋は自分の名前を完全に忘れなかったとも解釈できますね。 #千と千尋の神隠し
油屋のエレベーターで千尋の隣に立っていた大きな神様は「おしらさま」といいます。大根の神様です。 #千と千尋の神隠し
イモリの黒焼きは相当精力がつくらしく、この世界では解禁前のバイアグラよりも価値があるらしいです。 #千と千尋の神隠し
油屋で女性従業員が神々を接待するというアイディアは、鈴木敏夫さんによるとキャバクラがモチーフとなっているとのことです。また、油屋に大浴場がなく風呂が個別になっていることについて、宮崎駿監督は「色々いかがわしいことをするからでしょうね(笑)。」と語っています。 #千と千尋の神隠し
大所帯で風呂に入っているこの神様は「オオトリさま」です。ヒヨコをモチーフとした可愛い姿をしていますが、もともとは食べられてしまったヒヨコの神様という悲しい説もあります。 #千と千尋の神隠し
リンは14歳です。正体は不明ですが、イメージボードではリンの絵の横に「白狐」と書かれてあります。一方、作画監督の安藤雅司さんによると、リンはイタチかテンが変ったキャラクターにしようという話が最初の頃にあったそうです。 #千と千尋の神隠し
油屋の従業員のほとんどがナメクジ女とカエル男です。ナメクジ、カエルともに水や湿気を好む生物であり、千尋の「尋」は水の深さを表す単位、ハクはコハク川の神様。本作は「水」が大きなモチーフとなっている映画です。 #千と千尋の神隠し
不思議の町の飲食店街は、新橋の烏森口や有楽町ガード下の歓楽街が参考にされています。台湾の九フンがモデルになったとの風説が流布していますが、2013年に行われた台湾メディアに対するインタビューにおいて、宮崎駿監督は否定しています。 #千と千尋の神隠し
絵コンテによると、ハクの左手から舞い散った白い花びらのような物体はウロコです。初登場のシーンで既にハクの正体が竜であることが示唆されています。 #千と千尋の神隠し
油屋の外観のモデルとなったのは、江戸東京たてもの園にある子宝湯と、宮崎駿監督が社員旅行で訪れた道後温泉本館です。 #千と千尋の神隠し
千尋が迷い込んだ町にある不思議な建築群は、江戸東京たてもの園にある看板建築が参考にされています。看板建築は関東大震災後に数多く建てられた店舗併用の都市型住居で、建物の前面に衝立を置いたような看板を兼ねた外壁を持つのが大きな特徴です。 #千と千尋の神隠し
千尋のお父さんの車はアウディA4クアトロ。この車が石畳の上を走るシーンでは、福島県いわき市にあるアルパインのテストコースで実際にアウディを走らせて効果音を収録しています。ちなみに、千尋のお父さんのモデルは奥田誠治さんですが、車の運転が荒いところも似ているそうです。#千と千尋の神隠し
#この世界の片隅に」にカメオ出演している14歳の #大塚康生 少年。進駐軍のジープをスケッチしていますが、大塚さんは実際に地元の山口を中心に島根県や福岡県にも足を伸ばしてジープをスケッチしていたりします。広島県の呉でスケッチしたという記録はこの地図では確認できませんが。
坂場が責任を取り退職願を出していましたが、「太陽の王子 ホルスの大冒険」では興行不振の責任を取って企画の関政次郎さんと原徹さん(後のスタジオジブリ常務取締役)が東映動画を退社しています。高畑勲監督は演出から演出助手に降格させられました。#なつぞら
仲が「神をつかんだ少年クリフ」に途中参加することになりましたが、森康二さんも「太陽の王子」には途中から招聘されています。吹雪の中でヒルダが笑みを浮かべるシーンは森さんが描いた屈指の名シーンです。後に高畑勲監督は「森さんのヒルダだけが本当のヒルダだった」と述懐しています。#なつぞら
坂場は仲さんのキアラの絵を採用しました。「太陽の王子 ホルスの大冒険」でも最終的には仲さんのモチーフとなった森康二さんの絵が採用されています。画像2~3は森さんによる修正原画。#なつぞら
坂場の要求が高くてキアラのキャラクターデザインが難航しますが、「太陽の王子 ホルスの大冒険」でも複数のスタッフがヒルダを描いています。画像1は奥山玲子さん、画像2は小田部羊一さん、画像3は宮崎駿さんが描いた絵です。しかし、採用されたのはあの人の絵でした。#なつぞら
本日、7月29日で「#魔女の宅急便」が公開されて30周年です! 配給収入21.5億円は当時のアニメーション映画における興行成績の新記録で、毎日映画コンクールにおいて新設されたアニメーション映画賞の初代受賞作品になっています。本作から日本テレビが製作に参加し、ジブリ初のヒット作となりました。
坂場が危惧したように、リミテッドアニメーションは「鉄腕アトム」をきっかけに日本のアニメの主流となっていきます。神地が憤慨していましたが、手塚治虫が亡くなった際、宮崎駿監督は「COMIC BOX」1989年5月号において手塚のアニメーションにおける業績を批判して物議を醸しています。#なつぞら
「鉄腕アトム」のヒットを受けて、東洋動画が初めて制作するテレビまんがのタイトルは「百獣の王子サム」。東洋動画のモデルとなった東映動画は「狼少年ケン」でテレビに進出しています。高畑勲監督は「狼少年ケン」の第6話で演出に昇格しています。#なつぞら