【硫黄島の生写真】地上戦直前の45年1月撮影と記録された生写真を複数入手しました。米軍がいかに低空で偵察していたかが分かります。車の影に逃れる兵士が写った写真も。元硫黄島学徒兵から聞いた話を思い出しました。「(敵機はいつも)悠々と頭の上を通っていきましたなあ。編隊も崩さないでねえ」
【ご注目】硫黄島に対する日本青年会議所関東地区協議会の「忘れてはいけない」という思いが冊子になりました。ネットで無料配布中です。硫黄島報道を続ける「旧聞記者」こと不肖酒井も一部史料の助言等協力をさせて頂きました。島の現状等を伝える短編漫画は私の知る限り初です。配布元は以下ご参照
「21人の硫黄島兵士」が本土に帰還しました。到着した入間基地では大勢の自衛官が職務を中断して整列し、21柱を出迎えました。遺骨収集推進法は、戦没者の祖国帰還は「国の責務」としています。ただ海外戦没者240万人のうち112万柱は今なお未収容のままです。決して忘れてはいけない人たちだと思います twitter.com/jasdf_iruma/st…
【硫黄島怪談?】霊を信じない私ですが硫黄島の調査をしていると不思議な話と出会います。例えばある遺骨収集団員の体験記。「島で4柱を収容して本土に帰った数日後、初対面の人から、こう言われた。『あなた4人の兵隊さんを連れて帰ってきたね』。驚いて理由を聞くと、4人立っているのが見えると…」
昭和期の硫黄島遺骨収集の公文書を読了。遺骨以外に「タイムカプセル」のような発見が多々あったとよく分かりました。一例がこの記録。「ある壕では、かまどの上にご飯入りの飯ごうが25個並んだままの状態で見つかった。梅干しやたくあんの樽も。ただし遺骨はなし」(要約)。兵士はどこに消えたのか
戦前戦中に硫黄島で暮らした旧島民たちの故郷の味「島寿司」。硫黄島民1世の男性(84)直伝のレシピ通りに自宅で握ってみたところ「えも言われぬ美味しさ」としか言い表せないうまさでした=写真=。しかも、とっても簡単。直伝レシピは、引用元のツイートをご参照下さいませ。 twitter.com/Iwojima2020/st…
硫黄島の旧島民(84)から簡単な「島寿司」の握り方を教わりました。 ●握り方は様々だがネタは主にサワラ ●スーパーのマグロでも十分美味い ●醤油漬けは5分。味も色も程良い ●ワサビ代わりの和ガラシは百均のチューブ入りで十分。寿司型も百均で可 ●酢飯は茶碗1杯で8貫 皆様ご家庭でお試しをー。 twitter.com/Iwojima2020/st…
硫黄島民の故郷の味「島寿司」をご存じでしょうか。ネタは鮮度を保つため醤油漬け。島にはワサビがないからカラシを使用。旧島民の男性(84)が本日、期せずして自宅で握ってくれました。美味しさは抜群。土日を使って戦争取材を続ける自称「旧聞記者」の心は、戦前の硫黄島にタイムスリップしました。
「どうしてぼくは硫黄島に」ー。硫黄島など戦禍の歴史の風化に抗う自称「旧聞記者」が、初めてトークをライブ配信することになりました。お申込み(無料)はお気軽にどうぞ。参加者は当日視聴できなくても後日録画が無料配信されます。お申込みはhokkaido-np.co.jp/doshin_webinar… #拡散希望RT協力お願いします
硫黄島開拓関係者のひ孫が保管していたモノクロ写真のAIカラー化プロジェクト。本日公開となりました。焦土化前の硫黄島は豊かで美しい島でした。実現に導いてくれた小笠原諸島関係者の皆様に感謝申し上げます。 ※会員登録(無料)すれば全文&全写真が表示されます。#拡散希望 hokkaido-np.co.jp/article/674846…
70年前の今日。午前10時半。戦後初の政府派遣の遺骨調査団が硫黄島に上陸しました。全国から集められた応召兵ら2万人のうち95%が戦死した島の壕内には、多数の遺骨が残存。総攻撃に転じるとの訣別電文を最後に消息を絶った守備隊兵士たちの現状が同行記者によって報道され、国民に衝撃を与えました。
厚労省には、知られざる〝霊安室〟があります。DNA鑑定中の戦没者遺骨が安置されています。昨年末にご遺族と訪ねた際、祭壇には正月の花と鏡餅が。本土での正月を安らかに過ごしてほしい。担当者たちの心遣いが伝わってきました。どうか新年は、1柱でも多くの戦没者が、ご家族の元に帰れますように―。
昨夜、硫黄島から遺骨14柱と共に本土に帰った政府遺骨収集団員らは本日、骨箱を抱え、宿泊先からバスで千鳥ヶ淵墓苑に向かいました。私もその1人。移動中、21世紀の祖国を見てもらおうと、膝の上の骨箱を窓の高さまで上げ続けました。超高層ビルが並ぶ風景。きっと目を丸くされたのではないでしょうか twitter.com/ModJapan_jp/st…
#硫黄島 通信兵の最期を巡る情報は様々です。父島の元将校によると、玉砕前に「サヨナラサヨナラ ジカンガナイジカンガナイ」との電文とともに「○ニヨロシク△ニヨロシク…」と人名や住所を交えた電文が次々と届いたそうです。死に際し、家族ら大切な人々に最後の思いを伝えようとしたと推察されます
#硫黄島 発の米軍戦闘機による惨劇「湯の花トンネル列車銃撃事件」(八王子市)。現場近くの高尾駅の柱にはその1カ月前に掃射された際の弾痕があり、本日見てきました。弾痕部分だけ塗装されず当時のままの柱。戦争の惨禍と平和の尊さを忘れないでー。駅ホームの雑踏の中、そんな声が聞こえた気がした
「戦没者遺骨をご遺族のもとへ」「DNA鑑定対象地域拡大」。そんな政府広告が新聞朝刊に載りました=写真=。遺骨返還のための鑑定の対象地域が10月から大幅拡大されました。政府は鑑定費を全額負担します。広告で遺族にこう呼びかけています。「お迷いの方もまずはご相談ください」―。 #拡散希望︎
「戦没者遺骨をご遺族のもとへ」「10月1日から申請受付開始」―。厚労省がそんな遺族向け広報紙の配布を始めました。沖縄など一部地域限定で行ってきた遺骨返還のためのDNA鑑定を10月から拡大。過去に遺骨を収集した全地域を対象とします。1952年に始まった遺骨収集事業。大転換とも言える制度改正です
きょう8月28日はソ連軍が北方四島への侵攻を開始した日です。日本固有の領土なのに戦後76年たっても元島民や子孫が自由に帰れない島は、ほかにもあります。#硫黄島 です。93歳の元島民が取材に応じてくれました。記事全文を公開中です。「南方領土」の歴史にも目を向けたい―。hokkaido-np.co.jp/article/447171…
遺骨1万柱が今なお未発見の #硫黄島。ある議員は「多くの生還者が『滑走路の下に戦友がいる』と言い続け、亡くなった」と無念さをにじませ、こう語りました。「実際に滑走路を掘り返さなければ、遺族と戦友の戦後70年をかけた悲願は達成されない」 全文は特集「令和の硫黄島」bit.ly/2Pyhx2G
「戦没オリンピアン」は #硫黄島 で戦った馬術金メダリスト西竹一男爵だけではありません。が、その人数はJOC100年史でも触れられていないなど、全容は不明です。一方で、38人に上るとの研究者の調査結果も。主な戦没地は南方の激戦地など。シベリア抑留で戦後に命を落としたサッカー日本代表もいます
日本人唯一の馬術金メダリスト西竹一男爵(バロン西、#硫黄島 で戦死)。最後の五輪(ベルリン)ではメダルを逃しました。報道によると、西はナチスに憤り、妻にこう話したという。「コースは濠の真ん中だけ深くしてあった。ドイツ以外の選手は知らずに飛んで落馬したりした。騎士道に反したやり方だ」
#硫黄島 戦で消息を絶った1932年ロス五輪馬術金メダリストの西竹一男爵(バロン西)。西夫人は52年ヘルシンキ五輪の日本代表壮行会で形見のムチなどを馬術代表選手に託しました。西男爵の消息は不明のまま年月が過ぎましたが、彼の〝魂〟は終戦の7年後、オリンピックの舞台に向かったのです=写真=
「バロン西といふアナウンスが響き観衆が嵐のような拍手を浴びせた」。1932年ロス五輪表彰式を伝えた新聞の一文です。西竹一男爵(#硫黄島 で戦死)は今なお日本人唯一の馬術金メダリスト。国際社会で日本が孤立化しつつあった時代、ウラヌスと人馬一体で見事な技を見せ、国の枠を超え、讃えられました
東京五輪開幕を前に、#硫黄島 戦で戦車部隊を率いた1932年ロス五輪馬術金メダリスト西竹一男爵(バロン西)の墓参のため、青山霊園に来ました=写真=。硫黄島玉砕から76年。現在に至るまで日本人唯一の馬術金メダリストの最期は不明で、遺骨も未発見とされています。
【令和の遺骨帰還1】遺骨返還を望む戦没者遺族を公募し、国が無料でDNA鑑定する新制度。厚労省は14日、これまで沖縄や硫黄島等に限定した公募対象を10月1日から拡大すると発表しました。多数が抑留死した旧ソ連や南方の激戦地など11地域が対象となります。1人でも多くの遺族に伝わってほしいと願います