フカフカ(@fukafuka_9)さんの人気ツイート(新しい順)

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父的には、子供が見る番組というが前提なので、前者のスタンスでデザインをするべきという考え方だったが、 成田さんは後者のスタンスだったと。 「彫刻家だからさ、まずは見栄えに走るんだよ」 まあこれはどっちが正解というのもないし、実際成田メカ、カッコ良いしねぇ…。
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本当にそりが合わず、衝突ばかりしていた。 円谷プロを辞めた後、当時の話を聞くと、まず成田さんへの愚痴がでてくるのだ。 決まってその時に出てくる言葉が 「あの人のは飛ばねぇ!」だった。 成田さんが亡くなりニュースになった時に、何でそんなに衝突ばかりしていたかを詳しく聞いたことがある。
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【成田亨さんと父の事】 今日は成田亨さんの誕生日との事。 間違いなく、私は成田さんへの悪口とまでは言わないが、不満というか、愚痴の数を、日本で2番目に聞かされた人間だろう(1番は母)。 以前にも書いたが、円谷英二氏の日記にも残されているように、円谷プロで美術をしていた父と成田さんは
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『エンターテイメントアーカイブ ウルトラセブン』を母と一緒に見ました。② P.166のペロリンガ星人の後ろの建物を見て懐かしがっていた。 これは美センの美術棟。 1階が怪獣作成などの作業場。左側に階段があり、2階が美術部の部屋。手前に親父の机があり、奥が成田さんの机だったなぁ、と。
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【ゴモラが壊した現存する3つの建物】 今週のウルトラマンZにゴモラが登場するとの事。 初代ウルトラマンでゴモラが登場する『怪獣殿下』は父が特撮美術で 初めてクレジットされた作品。 この中で、ゴモラは現存する3つの建物を破壊します。 #ウルトラマン #ウルトラマンZ
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なので、ウルトラマンのシリーズを繋げてくれた人。 そして今でも繋げてくれている全ての皆さんに感謝します。 『ウルトラマンZ』も『シン・ウルトラマン』も成功することを祈願します。 父の日の記録として。
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今まであまりこういう事は言わなかったのです。 父「なんか不思議な感じだな」 私「そういう人達がいたから、今でも昔やった作品が見返されるんだから、物造りしてた人間としたら幸せな事じゃないか。羨ましいよ」 父「そうか…」 これが最後の会話で、翌日ぽっくり死にました。
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私「親父がやった初代もセブンも今でも人気高いけど、いまだに本とかが出るのは、その後ウルトラマンがシリーズとして続いているからだよ。親父が辞めた後も、帰マンもAもタロウもあったし、今も新しいシリーズやってるからだろ。ちゃんと繋いだ人がいたからだよ」 父「繋いだ人がいたんだよなぁ…」
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#父の日 #ウルトラマンZ 今日は父の日という事で、父に昨日から新しいウルトラマンシリーズが始まった事を報告に行ってきました。 うちは生前の父子の最後の会話がウルトラマンの事だったのです。 死ぬ前日、病室で白石雅彦さんの本を貸して欲しいという話からウルトラマンの話になりました。
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父はシン・ウルトラマンには間に合いませんでしたが、ウルトラマンはまだまだ長生きしそうだよと報告しておきます。 「俺が書いた」という確かな記憶を元にした話ではないので、皆さん話半分で聞いといてくださいね。 (終)
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天国で、父と成田さんの喧嘩の種が一つでも減ったという事になっていれば幸いです。 若い頃は、円谷時代の事はあまり語りたがらなかったですが、晩年には「自分が係った作品が、こうやって受け継がれているのは不思議な感じだな」と言っていました。 (続)
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まあ、もし何か証拠が出てきても、一部にだけ著作権や意匠権が発生するわけでもないので、まあ今回シン・ウルトラマンでカラータイマーが無くなったのも、元々の成田さんの意向に沿うという意味では、良い選択だったのでは。当人も亡くなっているし、特に深田家からの異論はございません(笑)。 (続)
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まあまあ信憑性のある話かなと。 父は、メインメカ以外の一回くらいしか使われないものばかりを、とにかく枚数を書いたので、どれが自分で書いたかは殆ど覚えていないとの事でした。 (続)
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白石雅彦さんの『「怪奇大作戦」の挑戦』のP.41に、成田さんとの衝突が円谷英二氏の日記に残っているのが収録されていて、まあ事実だったのだろうと。 なので、「成田さんが嫌がる事を、俺以外に頼める人もいないし、恐らく金ちゃんあたりに頼まれて書いたんじゃないか」というのも、(続)
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私にとって成田亨さんは巨匠であり、父の言葉には「何言ってんだ」とずっと思っていました。 ただ、最近当時の事を、父と一緒に円谷プロで働いていた母に聞くと、美術部の事務所の端と端にお互いの机があり、二人が同時に居る時の空気の悪さを感じていた事、(続)
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「成田さんが嫌がっているのに、成田さんのデザインに何か付け足すなんて、俺くらいしかやらないだろう」との事でした。 一回り以上年が離れていて、経歴も段違いなのに、父は「円谷時代はとにかく成田さんと合わなくて、顔を合わせるとぶつかってばかりだった」とよく言っていました。(続)
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デザインしたか解っていない事」が書いてあったので、誰がデザインしたか知っているかを聞きました。その時の答えは「あー、だったら俺だな」でした。 理由を聞くと、「ウルトラマンが始まる前や初期なら、機械関係のデザインをしていたのは自分か成田さんしかいない」(続)
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興味が無く、「あー、確かにこんなんだったな」という感じでした。 そこに書かれたウルトラマンにカラータイマーが無いので、それも聞きましたが、「そうだったっけな?」と記憶には無いようでした。 その更に数年後、他の本に「成田亨がカラータイマーを嫌っていた事」「誰がカラータイマーを(続)
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初めは80年代末か90年代の始め。『ウルトラマン研究序説』や『不滅のヒーローウルトラマン白書』などが出版されていて、ガッパからレッドマン、そしてウルトラマンにデザインが変遷している設定が何かの本に書いてあって、父に「こういうの知ってる」と聞きました。父はウルトラマンや怪獣に元々(続)
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【ウルトラマンのカラータイマーについて】 当人ももう亡くなっていて、聞いたのもかなり昔で、もう確認する方法もないので、話半分で読んでもらいたいのですが、父(深田達郎)にウルトラマンのカラータイマーについて何回か聞いた事があります。 #シンウルトラマン #シン・ウルトラマン #ツブコン twitter.com/fukafuka_9/sta…
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担当作品は、円谷プロで 『ウルトラQ』で美術助手。 『ウルトラマン』 『快獣ブースカ』 『ウルトラセブン』 『マイティジャック』 『戦え!マイティジャック』 『怪奇大作戦』で美術。 退社後は、NHKの『空中都市008』の特撮。 虫プロの『クレオパトラ』で装置を担当していました。
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本日11月19日は、円谷プロの初期作品群で美術を務めておりました、父深田達郎の命日(2017年没)です。 特撮史に残した足跡は、在籍期間も短く、あまり大きくは無いかも知れませんが、特撮が好きな人に故人を悼んでいただければ幸いです。 写真は遺品にあった『戦え!マイティジャック』の集合写真。
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@eraitencho 人事をやった経験からすると、履歴書がまともな時点でかなりマシです。 世の中には、写真を四角に切れない。真っ直ぐ貼れない。枠線というものの意味が解ってなく、字が枠に収まっていない。チラシを封筒の形に折って貼って、それで投函してくるという猛者がいるのですよね。