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そもそも、食品ロスをゼロにしようというのが無謀。そもそも発想に問題がある。食品ロスは「安全余裕」でもあるからだ。
原子炉は多少暴走しても爆発せずに済むよう、余分に頑丈に作ってある。これが「安全余裕」。もし「安全余裕なんか無駄だ、経費削減のため原子炉の壁を薄くしよう」となったら。
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いざというときに大事故を防げなくなる。だから、安全を確保するための「安全余裕」は必須となる。
実は食品ロスも同じこと。もし食料が足りないとなったらどうなるだろう?飢える人が出る。食料は命を支える必須のもの。これが不足したら死ぬ人が出るかもしれない。
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だから食料というのは必ず余分に確保しなければならない。少し余るくらいにしておかないと、いざというときに餓死者が出かねないからだ。そう、食品ロスとは、食料安全保障にとっての安全余裕にほかならない。
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バブル経済の頃と違って、今の日本は貧しく、それに「もったいない精神」が行き届いて、食品ロスはかなり減っている。そんな状況での食品ロスは、量が十分確保できないばかりか、種類もいびつ。先日、フードバンクをやっている人が食品ロスで送られてきたのを見たら、調味料とか変なドリンクとか。
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いやこんなので腹を膨らませることはできないし、食べろとも言えない。わずかばかりマシなのを除いて、他は廃棄するしかない代物ばかりだった。食品ロスのものをフードバンクや子ども食堂に送ろう、という呼びかけは、阪神大震災での「汚れた毛布」と同じになりかねない。
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阪神大震災で、中古の毛布だったのだけれど、未使用品よりも人気の毛布があった。それには手紙が添えられていた。「使用済みのもので申し訳ないのですが、洗濯し、3日間日に干しました。こんなものでよろしければお使いください」。その毛布からは、人情のぬくもりを感じることができた。
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未使用品の毛布でも、10年くらい押し入れにしまいっぱなしだったのだろうという、つぶれてペシャンコのとか、なんだかかび臭いようなものだとかも少なくなかった。しかし手紙を添えられたその毛布は、フカフカで心地よく眠れるよう、配慮されていた。人気があるのも当然。
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不思議なもので、その荷物を送った人がどういう気持ちで送ったのか、感じられることも多かった。「被災地は寒いらしいしモノもないからこんなものでもありがたいと思うだろう」と、どこか見下げている感のある梱包は、段ボールを開けた瞬間「ああ、そういうつもりなのね」と感じる。
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しかし手紙付きの人気の毛布は、日に干してフンワリした柔らかさが潰れないよう、箱詰めにも細心の注意が払われていた。その心づくしが、箱を開けた瞬間に分かる。被災者を人間として見ている、対等な人間として見ていることがよく分かる梱包。
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さて、食品ロスをフードバンクに、という呼びかけは、どちらに転ぶだろうか。「腹が減っているなら文句を言わんだろう、こんなものでもありがたいと思って食うだろう」と思ってモノを出していないだろうか。そうした心映えはしっかり中身に映し出される。
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「食べられる食品を施設に提供」といえば、善意の衣を借りることができる。そう、阪神大震災で毛布を送ったように。しかしその時、「そういえば捨てようと思っていた毛布がうちにあったわ。あれ送ろうか」という人が少なくなかったため、被災地はゴミ捨て場と化してしまった。
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フードバンクもそうなる恐れがある。というか、すでにそれが発生している。支援している方から聞いたけれど、ゴミにするしかないようなものが送られてきて、そうでなくても生活再建ができなくて傷ついている心をさらに傷つけられた、という人がすでに。むしろこうなると、悪意よりもタチが悪い。
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「どうせゴミになるなら、おなかの減っている人に」「どうせ捨てるなら、寒いと思っている人に」これらは善意に見せかけているが、悪意以上に受け取った人の心を傷つける。仕分けする人手がかかる。ゴミとして捨てる作業に手間と時間がとられる。
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支援の基本は、自分も食べたくなるようなもの、使いたくなるようなものをお送りすること。ここを外しちゃいけない。また、「ありがたいと思え、感謝しろ」はダメ。どこまでも対等な人間として対することが大切。
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スーパーの売れ残りの変なものを出すくらいなら、手作りのホカホカおにぎりの方がはるかによい(もちろん今ならコロナ対策して)。相手に喜んでもらおう、どうすれば喜んでもらえるだろうか、変に傷つけないで済むだろうか、という配慮こそが大切。
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安直に、食品ロスを施設に送ろうという話に対して、私は強い警戒感を抱く。善意の衣を被った、人を見下す心理、思い上がりは、悪意よりもタチが悪いことを、私たちはそろそろ学ぶ必要があると思う。これを良い行動として勧めようという掛け声にも、私は細心の注意が必要だと思う。
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それに、繰り返すが、食品ロスはゼロを目指してはいけない。食料安全保障を考えるなら、食品ロスは「安全余裕」なのだから。安全余裕は余りものだから種類や量がいびつになる。それを施設に押し付けるなんて、失礼な話。まず、その失礼さを自覚する必要があると思う。
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「余ったものはみんなフードバンクや子ども食堂に送ればいい」という流れができつつある。私はそれにちょっとした憤りを感じている。食べるに食べられないものを送る流れが今後もひどくなるようなら、いずれ私はその善意の皮をはぐことをためらわないだろう。
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まとめました。
悪意よりタチの悪い善意・・・食品ロスを施設に送る運動について|shinshinohara #note note.com/shinshinohara/…
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「悪意よりタチの悪い善意」は、相手が感謝し、自分にひれ伏すことを暗に求めているのかもしれない。
気持ちのよい善意は、たとえ自分がいなくても、相手が笑顔で暮らせるようになることを祈っているのかもしれない。
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食品ロスは食料安全保障上の重要な「安全余裕」であることを、こちらの本でまとめています。
amazon.co.jp/%E3%81%9D%E3%8…
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日本の農業は守られすぎだ、競争の中でこそ健全な農家が育つ、という言説が最近目立つ。
私は、「与えられた枠の中でのルールある競争」は賛成だが、ルール無用のデスマッチは反対。サッカーのように「手を使っちゃいけない、殴っちゃいけない」というルールの中の競争はありだけど、
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私が子どものころ。公園に行くと年かさの兄ちゃんが「一緒にキックベースボールをやろう!」と声をかけてくれて。一番上は小学6年生、小さいのは3歳。面白いのは、年齢差があってもみんなが楽しめるようにルールを工夫したこと。6年生には容赦なく速球を投げるけれど。
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最近、私が警戒する言葉に「既得権益」がある。既得権益に群がり、それを守ろうとし、変化を嫌う人たちがいる。その既得権益層を打破しなければならない・・・これは小泉元首相が好んで使ったロジックであり、当時、日本で一世を風靡した。だが、私はこのロジックが嫌い。
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当時、タクシーなど、様々な分野で規制改革を行った。「既得権益」を打破し、変革をする!と勇ましい言葉が使われた。労働組合も既得権益扱いされた。それらは見事に弱体化され、結果、どうなったかというと、特定の、ごく少数の人たちだけ儲かり、多くの人が疲弊し、貧困化した。