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「観察」考。
昨晩のウェブ飲み会は、観察がテーマ。でも、観察って難しい。見ていても見えないことがあるから。次はナイチンゲールの言葉。
『経験をもたらすのは観察だけなのである。観察をしない女性が、50年あるいは60年病人のそばで過ごしたとしても、決して賢い人間にはならないであろう。』
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まとめました。
安い穀物の輸出は「豊作貧乏の外部化」|shinshinohara #note note.com/shinshinohara/…
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穀物は厄介な性質がある。足りなければ餓死者が出かねないことだ。穀物はカロリーを稼げる基礎食料。これが不足すると命に関わるから、価格が暴騰しかねない。するとお金のない人は手が出せず、食えなくなり、餓死者が出かねない。だから穀物は必ず余分に確保する必要がある。
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私の仮説は、「豊作貧乏の外部化」ではないか、というもの。
昔から農村だと、豊作祈願をすることを私達は聞かされているから、豊作になればなるほど農家は豊かになるんだろう、と、素朴に信じてしまう面がある。しかし実際には、豊作貧乏というのが起こり得る。
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政府からの補助が農家の所得に占める割合は、日本は15.6%、アメリカは26.4%、フランスは90.2%、ということを前にも紹介した。こうした補助金を出すことで、アメリカやフランスは小麦などの穀物価格を下げ、世界に輸出している。どうしてこんな気前のよいことをするのだろう?持ち出しになるのに。
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まとめました。
農業の企業化、工業化?|shinshinohara #note note.com/shinshinohara/…
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効率化は、8割まで求めても、2割のゆとり、余裕を失わないようにしたい。その2割で創造的なことができるようにしたい。農業も、より良い土にして次世代に受け継ぐ余裕を持ちたい。効率化一辺倒に歯止めをかける必要があるように思う。
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生物は、こうした「ゆらぎ」を確保する余裕、ゆとりを確保することで、変化に柔軟に対応できる力を備えている。しかし効率化は、しばしばこうしたゆらぎ、ゆとりをムダと排除し、硬直化を生みやすい。
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アリはエサが見つかるまで、右往左往しながら歩き回る。エサが見つかって巣に戻る際、その右往左往した道を戻ることになるから、ひどく遠回り。しかし、道しるべを見失うおっちょこちょいが混じるおかげで、近道を発見できる。この結果、巣とエサまでを最短距離でつなぐことができる。
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ムダは決してムダとは限らない。アリの中には、フェロモンという道しるべになる印が分からなくなり、道に迷うおっちょこちょいが混じっているという。しかしそのアリのおかげで、近道が見つかるという。どういうことか。
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アリの群集には、働かないアリが一定割合で含まれるという。怠惰なアリを取り除いて、よく働くアリだけにすると、またしても一定割合がサボるようになるという。アリの研究者は、働かないというゆとり、余剰を確保することが、群集の生き残りに大切なのだろう、と考えている。
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農業は、土という「生き物」を相手にする。しかし効率化一辺倒だと、ラティフンディウムという効率的経営がヨーロッパの土壌を枯らしてしまい、石灰岩の露出した荒廃した大地に変えてしまったように、農業基盤そのものを破壊しかねない。
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余裕を生もうとして余裕を失う皮肉な現象を、ミヒャエル・エンデは「モモ」という作品で描いている。効率化すれば余裕が生まれますよ、といううたい文句で始めるものの、実際には効率化競争の嵐に巻き込まれ、全員が余裕を失うという皮肉な結果になりやすい。
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しかし、効率化、能力拡大を狙って機械化を進めると、よそも機械化を進めるので、より効率化を目指して機械化を進める、といういたちごっこが始まり、最初は余裕を生むために始めたはずの機械化が、余裕を奪うという皮肉なことになりかねない。
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農地をよりよくしよう、という動機が生まれるようにする必要があるが、大規模化や効率化を頑張ってしまうと、その動機が失われることになりがち。宮崎安貞「農業全書」は、自分の能力を超えた面積を耕そうとするな、と戒めている。しかし機械化は、能力を拡大できるかのように思わせてくれる。
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アメリカでも、農業地帯の過疎化は深刻で、学校や病院も近くの町でなくなってしまい、遠くの町まで行かないといけなくなってしまったり。生活に不便が出てくる。効率化し、人手をかけなくてもよくなった結果、アメリカの農業地帯では、過疎化が進んでいるという。
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利益が薄ければ、後継ぎも出にくい。実際、アメリカやフランスも、農家の高齢化が深刻。効率的経営をした結果、大規模な面積を必死に耕しても収益は大きいとは必ずしも言えず、その様子を見た子どもたちは後を継ごうとはなかなか思わない。都会に出て行ってしまう。
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大規模化し、効率化すると、農業は儲からなくなる。儲からないから規模をさらに大きくして売り上げを増やし、なんとか利益を出そうとする。するとさらに市場がだぶつき、値下がりする。効率化を進めれば進めるほど、利益は薄くなり、人手をかけられなくなる。
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今や、1ブッシェルのトウモロコシの値段は、それを生産するのにかかった経費より1ドル安い。つまり、赤字。赤字を補填し、農家が生活できるようにと所得補償を政府が出してくれることで、農家はどうにか生活できる。それでも妻に働きに出てもらわないと、4人を養えないのだけれど。
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化学肥料や大型機械で大規模農業で効率化を果たし、10倍もの量のトウモロコシを市場に出荷する農家が現れると、トウモロコシ市場は暴落、小さな農家はろくに現金をもらえなくなった。負けじとうちも大規模農業を、となって、またそこも10倍量のトウモロコシを出荷。さらに値崩れ。その結果。
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穀物がだぶつくようになったから。西部開拓時代なら、農家はどこもたいして生産性が良くなかった。だからトウモロコシを1ブッシェル分、市場で売れば、そこそこのお金になった。しかし現代では、トウモロコシの生産性は、同じ面積で10倍も量が採れるように。そうなるとどうなるか。値崩れする。
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西部開拓時代なら、非効率的な生産だったのに三世代家族を支えることができたのに、現代のアメリカの農家は、妻に働きに出てもらい、自分は政府から補助金をもらい、それでようやく4人家族を養える、というありさま。効率的経営で生産性が10倍以上に跳ね上がったら、養える家族の数が減った。なぜか。
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また、効率的経営で農作物を大量生産できるようになった結果、儲けが減ってしまうという、おかしなことになりがち。たとえばアメリカの西部開拓時代は、1農家で12人分の余剰食糧(家族以外の食料)を作っていたが、現在のアメリカの平均的農家なら、129人分の余剰食糧を作る。超効率的。ところが。
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効率的経営は、人手が足りなくなるわけだから、やった方がいいと分かっていても、それに手を回すことができなくなる。長い目で見た経営ではなく、今日をしのぐ短期的な視点で仕事を回すことになりやすい。
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少人数で大面積を耕すとなると、「細かいことは気にしていられない」になりやすい。微細な変化は無視することになる。土が少しやせるかも、という心配があっても、年1%にもならない変化なら、まあ、いいか、となる。事態を放置し、それよりも効率化できるところをどんどん効率化することに。