national police reserve 1956(@6pp6OKaJiCDIBGD)さんの人気ツイート(古い順)

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64式7.62㎜小銃の装弾器が出ていたが。 弾倉を嵌めて、蓋を開けて、弾薬を20発並べて、蓋をして、レバーを一気に下げると、弾倉に20発装弾される。 準備が面倒臭く、手で1発づつ込めた方が早い。 試験的に30連弾倉が配備された際に、考案されたらしい。その30連弾倉も、使用する機会もなく回収された。
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九七式中戦車の隊列の先頭になぜトラックが? 実は、指揮官用乗用車が良く襲撃されるため、自動貨車に見せかけた指揮官用作戦車なのだ。 九四式自動貨車にダブルキャビンを仮装した特殊車両で、内部には作戦テーブルを装備、後席天井には敵情視察天窓もある。 九四式自動貨車の非常に珍しい派生型だ。
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超人的な村田経芳の射撃姿勢。 村田は、明治9年のヨーロッパ視察で、各国の射撃名人から公的、私的に挑戦を受けるが、全て勝利している。 二十二年式村田連発銃を構えるこの図は、戦前、靖國神社の宝物殿に展示されていた。 切り替え転把は単発位置にあり、通常は十八年式村田銃同様に単発で使用する。
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伝説の木型師、飯塚勇氏の木型。 70年代オオタキ、80年代エッシー、サトウユウ氏セクターのG50など、出来の良いキットの陰には、氏の木型があった。 外形の正確さ、精密に書き込まれたパネルライン、キットさながら分解できる構造など。通常はメーカー買い上げなので、一般に目にする機会はない。
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秘蔵写真。 昭和34年8月7日、饗庭野演習場で開催された第2回日本ジャンボリーにおいて、陸上自衛隊第3特車大隊の1/4tトラック(jeep)に乗車されし皇太子明仁親王殿下。 同年4月に美智子妃殿下とご成婚されたばかりの、現上皇陛下のお姿。 フロントウインドウスクリーンに、皇太子旗が見える。
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昭和41年に撮影された陸上自衛隊長官直轄部隊の記念式典。制服は紺色の時代。 捧げ銃は旧陸軍の九九式短小銃を、赤羽補給処で米軍の30-06実包に改造した九九式改。前期型、後期簡易型、二式小銃までもが混在配備された。この時点で安全上から実射禁止措置。しかし昭和54年まで後方部隊には存在した。
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霊峰富士を背に試験中の試製56式105㎜自走榴弾砲(SY車)。 M24軽戦車に105㎜榴弾砲M2A2を搭載した自走砲。 新規開発のディーゼルエンジンとATトランスミッションの馬力ロスが大きく、予定性能に達せず、原型のM24の性能バランスを崩す結果となった。長後座の牽引式火砲の搭載も制約が大きかった。
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ありそうで無かった写真。 零式艦上戦闘機二一型の胴体下に装着した300L落下増槽への給油シーン。 給油車が飛行機に横付けしている給油シーンはよく見るが、給油ノズルの先端のアップは珍しい。 空気抵抗を生じないよう、胴体とのフィッティングは、叩いて(笑)合わせてある。
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地球防衛軍のM4中特車。 三菱重工相模原工場にて整備中のM4A3E8?ではない。 何と、実物大ブロップだ。東宝も頑張っておる。
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ファインモールドのおかげでメジャーになった九四式六輪自動貨車の取扱説明書。 五十嵐平達氏によれば、バリエーションは40種にも及ぶという。現時点ではその半分も解明できていない。品質管理は厳しく、ロールスロイス並みと言われた。検査不合格車は、整備の上、逓信省、鉄道省、海軍に供与された。
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マリアナ近海のサンゴ礁で、米海軍偵察機に発見された二式艦偵「鷹-25」。プロペラの曲がりや大きな損傷も見られないので、エンジンを切っての不時着水のようだ。 戦闘詳報を確認出れば、乗員の情報も判明するだろう。 通常は撤去か破壊する既定の照準器、機銃がそのまま残置されている。
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さく杖は尾筒側から通す「銃腔通し」が正解。 米軍を真似した自A隊は「銃口通し」を実施。M1ライフル、64式小銃は、命中精度に重大な影響を及ぼすクラウンが傷だらけだった。 豊和の巡回指導を受けた隊員は3年で転勤、習慣化しなかった。64式、89式は制退器を付けた状態では、銃口からでもOKだ。
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「くめ~!つつッ!」 「組め銃」の号令に反応する現役は、もはや皆無だろう。平成一桁の儀仗隊ですら、銃ケースに入れて休憩していた。 予令で、叉銃環というC型のフックを組み合わせ、上位者が小さな声で「よしッ」。すると動令がかかり、上位者は銃口を手のひらで1/3回転させる。 3~5丁で組む。
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匠の技。 一見すると、ただの玩具(モデルガン)。 実は市販品ではなく、ジュラコン樹脂からの削り出しの手作り品だ。 3枚目の画像を見て驚いて欲しい。
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歩兵に限らず、射撃は兵士のお家芸。 競技会で優秀者を表彰するなどして鼓舞した。 かつて、普段の隊務ではボーッとしているが、射撃になるとその真価を発揮する射撃猛者と呼ばれる隊員が存在した。 今は電子標的だし、銃自体の性能も良いから、特別射撃が下手な隊員というのも見かけなくなった。
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占領軍に接収された日比谷公会堂。 現在も変わらぬ佇まいの歴史の生き証人。
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昭和32年、STA(61式戦車の開発コード名)開発の参考に米国留学した某2佐。 見慣れぬ戦車を前に、内緒でパチリ。 到着直後の、イギリスの最新鋭センチュリオンMK3だった。 そういえば、タミヤ1/25のセンチュリオンの箱絵は、なぜか白い星のマーキングだった。
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昭和8年、陸軍技術研究所で試製自動小銃(特殊鋼第二次案)に二脚を装着して居銃するの准尉どの。 意欲作だったが、陸軍歩兵学校や軍中央は「自動銃は不経済」と否定的。「自動銃と言っても半自動だ。いざという時に火力を集中できる」と上申したが「技術屋が運用に口を出すな!」とねじ伏せられた。
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零戦の機体銘板。 昭和18年頃のセルロイド製。なんと未使用。 印刷では無く、機械彫りに塗料を埋めた凝った作り。 ファインモールドの営業S氏の言うところのカクカクしたフォント。 でも何か変だ。 本来名称欄に記載する機種名が、形式欄にある。 何とエラー品だ。群馬の畑で発掘された証拠隠滅モノ。
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珍しいホンダC型の白バイ。 1950年、国家地方警察静岡県支部南磐田地区での撮影。 白いボアのサドルカバーと、白襟を出した警察官がオシャレだ。白バイ仕様としては、タンク以外が白塗装されている。 後輪に大きなプーリーが見えるが、ベルト駆動だ。右側にはペダルとチェーンがある自転車バイク。
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富士重工の秘密工場をとらえた貴重な画像。 決して、自転車屋の店先ではない。
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二世部隊の雄姿。 ではなく、昭和28年第1回島松演習中の保安隊員。 個人携行火器はM1ライフル、M1カービンの混成だ。
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炊事班。 専門職の海軍と異なり、陸軍は指導者の下、作業員が集められ、その指示によって食事を作る。 軍隊調理法などの教範では、まず包丁の持ち方、野菜、鳥・魚類などのさばき方、串の刺し方、焼き方、煮方など詳細に及ぶ。献立も、主食、副菜、菓子類まで。全部覚えたら除隊後は店が開けるレベル。
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#持ってる人が少なそうな装備 豊和製AR-18 1967年に陸上自衛隊に200丁納入。 64式7.62mm小銃の部隊配備の開始直後。 5.56mmM193の評価が未決。 銃身が細く、折り畳み銃床は銃剣格闘に不向き。 1976年に残余部品を合法改造、70丁を玩具化。六研に委託。 六人部登氏が対価を支払わず、供給打ち切り。
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#持ってる人が少なそうな装備 64式7.62mm小銃用装弾器。 1970年頃、試験配備された30連弾倉とともに支給され、2000年頃まで部隊定数にあった。 30連弾倉の方は”く”の字に折れたデザインのバナナ弾倉だったが、すぐに回収された。 実包を20発フル装填する機会は、一般部隊では殆ど無かったはず。