national police reserve 1956(@6pp6OKaJiCDIBGD)さんの人気ツイート(リツイート順)

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ありそうで無かった写真。 零式艦上戦闘機二一型の胴体下に装着した300L落下増槽への給油シーン。 給油車が飛行機に横付けしている給油シーンはよく見るが、給油ノズルの先端のアップは珍しい。 空気抵抗を生じないよう、胴体とのフィッティングは、叩いて(笑)合わせてある。
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昭和8年、陸軍技術研究所で試製自動小銃(特殊鋼第二次案)に二脚を装着して居銃するの准尉どの。 意欲作だったが、陸軍歩兵学校や軍中央は「自動銃は不経済」と否定的。「自動銃と言っても半自動だ。いざという時に火力を集中できる」と上申したが「技術屋が運用に口を出すな!」とねじ伏せられた。
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伝説の木型師、飯塚勇氏の木型。 70年代オオタキ、80年代エッシー、サトウユウ氏セクターのG50など、出来の良いキットの陰には、氏の木型があった。 外形の正確さ、精密に書き込まれたパネルライン、キットさながら分解できる構造など。通常はメーカー買い上げなので、一般に目にする機会はない。
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富士重工の秘密工場をとらえた貴重な画像。 決して、自転車屋の店先ではない。
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#持ってる人が少なそうな装備 豊和製AR-18 1967年に陸上自衛隊に200丁納入。 64式7.62mm小銃の部隊配備の開始直後。 5.56mmM193の評価が未決。 銃身が細く、折り畳み銃床は銃剣格闘に不向き。 1976年に残余部品を合法改造、70丁を玩具化。六研に委託。 六人部登氏が対価を支払わず、供給打ち切り。
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匠の技。 一見すると、ただの玩具(モデルガン)。 実は市販品ではなく、ジュラコン樹脂からの削り出しの手作り品だ。 3枚目の画像を見て驚いて欲しい。
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さく杖は尾筒側から通す「銃腔通し」が正解。 米軍を真似した自A隊は「銃口通し」を実施。M1ライフル、64式小銃は、命中精度に重大な影響を及ぼすクラウンが傷だらけだった。 豊和の巡回指導を受けた隊員は3年で転勤、習慣化しなかった。64式、89式は制退器を付けた状態では、銃口からでもOKだ。
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九五式軽戦車4335号車は、オリジナルの操行装置で走行可能です。 しかしミッションケースを割ってみると...。 戦後70年を経過した内部は、錆とヘドロがぎっしり! 幸いにも、当時のグリスに守られ、致命的な腐食や破損もなく、往時のままに修復されました。 当時の工作精度の高さも再確認できました。
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九七式中戦車の隊列の先頭になぜトラックが? 実は、指揮官用乗用車が良く襲撃されるため、自動貨車に見せかけた指揮官用作戦車なのだ。 九四式自動貨車にダブルキャビンを仮装した特殊車両で、内部には作戦テーブルを装備、後席天井には敵情視察天窓もある。 九四式自動貨車の非常に珍しい派生型だ。
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秘蔵写真。 昭和34年8月7日、饗庭野演習場で開催された第2回日本ジャンボリーにおいて、陸上自衛隊第3特車大隊の1/4tトラック(jeep)に乗車されし皇太子明仁親王殿下。 同年4月に美智子妃殿下とご成婚されたばかりの、現上皇陛下のお姿。 フロントウインドウスクリーンに、皇太子旗が見える。
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プロジェクト完了報告。 そして、次に里帰りさせるのはチハたんだ! readyfor.jp/projects/type9…
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霊峰富士を背に試験中の試製56式105㎜自走榴弾砲(SY車)。 M24軽戦車に105㎜榴弾砲M2A2を搭載した自走砲。 新規開発のディーゼルエンジンとATトランスミッションの馬力ロスが大きく、予定性能に達せず、原型のM24の性能バランスを崩す結果となった。長後座の牽引式火砲の搭載も制約が大きかった。
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珍しいホンダC型の白バイ。 1950年、国家地方警察静岡県支部南磐田地区での撮影。 白いボアのサドルカバーと、白襟を出した警察官がオシャレだ。白バイ仕様としては、タンク以外が白塗装されている。 後輪に大きなプーリーが見えるが、ベルト駆動だ。右側にはペダルとチェーンがある自転車バイク。
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マリアナ近海のサンゴ礁で、米海軍偵察機に発見された二式艦偵「鷹-25」。プロペラの曲がりや大きな損傷も見られないので、エンジンを切っての不時着水のようだ。 戦闘詳報を確認出れば、乗員の情報も判明するだろう。 通常は撤去か破壊する既定の照準器、機銃がそのまま残置されている。
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占領軍に接収された日比谷公会堂。 現在も変わらぬ佇まいの歴史の生き証人。
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64式7.62㎜小銃の装弾器が出ていたが。 弾倉を嵌めて、蓋を開けて、弾薬を20発並べて、蓋をして、レバーを一気に下げると、弾倉に20発装弾される。 準備が面倒臭く、手で1発づつ込めた方が早い。 試験的に30連弾倉が配備された際に、考案されたらしい。その30連弾倉も、使用する機会もなく回収された。
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歩兵に限らず、射撃は兵士のお家芸。 競技会で優秀者を表彰するなどして鼓舞した。 かつて、普段の隊務ではボーッとしているが、射撃になるとその真価を発揮する射撃猛者と呼ばれる隊員が存在した。 今は電子標的だし、銃自体の性能も良いから、特別射撃が下手な隊員というのも見かけなくなった。
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#持ってる人が少なそうな装備 64式7.62mm小銃用装弾器。 1970年頃、試験配備された30連弾倉とともに支給され、2000年頃まで部隊定数にあった。 30連弾倉の方は”く”の字に折れたデザインのバナナ弾倉だったが、すぐに回収された。 実包を20発フル装填する機会は、一般部隊では殆ど無かったはず。
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昭和32年、STA(61式戦車の開発コード名)開発の参考に米国留学した某2佐。 見慣れぬ戦車を前に、内緒でパチリ。 到着直後の、イギリスの最新鋭センチュリオンMK3だった。 そういえば、タミヤ1/25のセンチュリオンの箱絵は、なぜか白い星のマーキングだった。
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九五式軽戦車4335号車の蓄電池箱。 ポーランドの工房では、完成すれば床下に格納され、見ることはできないこんな部品も完全再現しています。もはや唖然としてしまいますね? 技術遺産の継承という命題に真摯に向き合った復元と言えるでしょう。 ただ動くだけ、外見だけの復元とは次元が違います。
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彗星艦爆の爆弾投下装置。 プロペラの回転半径の外に投弾するため、ヤゴの顎のような構造。 通常は折り畳まれているので、見ることができない。
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二世部隊の雄姿。 ではなく、昭和28年第1回島松演習中の保安隊員。 個人携行火器はM1ライフル、M1カービンの混成だ。
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零戦の機体銘板。 昭和18年頃のセルロイド製。なんと未使用。 印刷では無く、機械彫りに塗料を埋めた凝った作り。 ファインモールドの営業S氏の言うところのカクカクしたフォント。 でも何か変だ。 本来名称欄に記載する機種名が、形式欄にある。 何とエラー品だ。群馬の畑で発掘された証拠隠滅モノ。
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二色迷彩の70式戦車回収車の画像は無いのか! とお嘆きの貴兄に。 式典会場の裏方で、ひっそりと佇むその姿に刮目せよ! 迷彩は全塗装され、履帯は黒塗装、転輪ゴムは水性塗料でお色直し。一見だらしないツナギは車体の乗り降りで塗装を汚さない配慮。故障車両が出なければ、静かに任務完了。
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九五式軽戦車4335号車のオリジナル空冷ディーゼルエンジン。 完全分解整備の上、実に72年振りに火が入った。 古い内燃機は、クランクシャフトが生きていれば、生き返る可能性が高いという。 幸いにも、ジャーナルも含めて良い状態で、見事に再生された。 オリジナルエンジンで走行可能なのは意義深い。