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当時、癌の末期にあったパートナーの方は延命措置をしないように希望しており畢安生さんはそれをよく理解していたといいます。
しかし当時の台湾ではまだ同性間の結婚は認められておらず、畢安生教授はパートナーの希望を叶える術を持たなかったばかりか、最期に立ち会うことさえできませんでした
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そして畢安生さんを除く家族の決定により延命措置は施されました。
また遺産相続の権利がない畢安生さんは35年もの長いあいだパートナーと暮らした住まいを相続することも出来ませんでした。それらのことが、畢安生さんを絶望のどん底に追いやったのではと言われています
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台湾社会が大きく動くのはいつも、大きな犠牲が出てからです。
それから翌年、2017年に最高裁判所で「同性の二人による結婚の自由に関する憲法解釈」が発表され「同婚」が法制化されることが決まりました。
その後起こったバックラッシュで、住民投票により民法ではなく特別法を制定することが決まり
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そして、だからそれ良いって話では全然なく、だめなんですよ、それでは。もう個人への負担が大きすぎて、、、
じゃあどうしたらいいのか?
日本の「真善美」を大事にしつつ、クソアップデートしまくるんですよ。
とりあえず、公務員増加、ジェンダー平等教育法と議員クオータ制お願いします。
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基本は、情報の先取りや民間含めた色んな機関や地元組織とのヨコの繋がり、同じ価値観を示して相互に信頼関係を築くこと。
そして方法のブラッシュアップとガバナンス、実装に関してデジタルが便利に働くことは大きいです
でもマスクアプリが無くても福井県では「マスク券」が全世帯に渡りました。
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畢安生さんが亡くなった当時の台湾も「同性パートナー登録制度」が始まっていました。
条例に相当するものであくまでも法律的な効力はなく、すでに登録カップル数は全県合わせて1000組を超えていたようですが、登録することによって、畢安生さんが抱えたような問題に対応する制度ではありませんでした
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映画人らとも親交の深かった畢安生さんの死は報道で大きく取り上げられ、そこから同婚法制化についての議論が高まりました。
直後の10月20日には、最高裁判官7名のうち6名が同性婚を支持し、人権と平等のもとに法改正をするべきと明言、議論のなかでも大きく進展しました。
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畢安生教授はまた映画を深く愛した人物でもありました。
台湾ニューシネマの製作にかかわり、侯孝賢、蔡明亮、楊德昌、王家衛らと親交もふかく、彼らの作品をフランス語訳して海外へ積極的に紹介、出演もしました。
亡くなる前年にカンヌ映画祭で監督賞を受賞した侯孝賢監督の「黒衣の刺客」のなかでも
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専門家の知識を「活かす」のではなく、専門家も公務員も市民も共に同じ目標で「活きる」こと。
墨田区も、保健所が「上」でもなく、手伝うのでもなく、専門家と一緒に「協同」する姿が見えてきます。
日本には素晴らしい技術やセンスが民間にある。それをどう繋げていくのかが問われていると思います
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ものすごく誤解の多い映像作品におけるポリティカル・コレクトネスとは実際にどういうことなのかについて、非常に具体的に説明されたスレッドです。
ぜひご一読を。 twitter.com/Yuki_Mats/stat…
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実を言えばソーシャル・イノベーションの実践には、ホントはID証明書も(実際に便利に活用されるようになれば本当に便利ですが)、憲法改正も、「オードリー・タン氏が日本に居てくれれば」と思うこともないんです。
墨田区の実践、広まってほしい。江川紹子さんの実に素晴らしい記事に感服します
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畢安生さんの姿を観る事ができます。
台湾映画がヨーロッパで評価されるようになった、その礎を築いたひとりと言ってもいいのかもしれません。→つづく
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「こうした対応が可能になったのは、1人の保健所職員がいたからだ。検査技師の大橋菜穂子さん。西塚所長が独自の検査実施の方法について頭を悩ませていたところ、大橋さんが「私はPCR検査ができます」と申し出た」
専門家を信頼したところ、本当に台湾も全く一緒
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そのぶん低収入の人が、自分の道を切り拓いていく「空間」みたいなものがある。
台湾人の夫と結婚しようと台湾に来たとき、賑やかな夜市を見て「もし経済的にどうにもならなくなったら二人で屋台をやれば何とかなるだろう」と考えて、言葉もままならない場所に来る覚悟を決めた。そういう余裕を台湾に
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本当に、出会った方々すべて素晴らしい人達だ。職務のみならず郷土のためと身を削っている。
しかしそれは「郷土愛」とか「愛国心」とか「美しい日本」とか、飾り立てられたスローガンではない。
自分が保ちたい、ずっと大事にしたい風景のため。これこそが「矜持」というものなんだとおもう。
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老舗の台湾ご飯屋さんを長年続け、店の見た目は古いままでもオーナーはベンツ乗って子供はアメリカ留学してるよーみたいな人も少なくない。
台湾は税収が他国より安く、税収少ないから日本みたいに社会福祉も手厚くない。だから思い切った事も出来なかったりする(そんな中で医療費がすごく安い)が、
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日本の良さかも知れないと思った。地方の過疎地域にもかかわらず、目が行き届き、教育も充実している。あそびのじかんが沢山ある。美術教育も家庭科もちゃんといい感じに体系化されている。大人が手出しすることなく、子供が自分でやり遂げられる。台湾の教育に、いちばん足りていないと思う部分だ。
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「台湾は中国の一部ではない」と主張したり、応援したりすることもこの法律の適用対象です
つまり日本からネットに
「台湾は台湾!」
と書くことも、この法律が適用されて罰せられる可能性を含みます
#日本政府は香港国家安全維持法に抗議してください
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その後、地方自治体と仕事をする機会を頂いた。
そこでわかったのは、地方自治体で勤めておられる少なくない方々が、プライベートの時間の殆どを犠牲にして仕事に労力を割いておられること。信じられないぐらい残業し、また個人のお金を、仕事のためと割り切って使っている場合も少なくないこと。
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感じたからだ。その時まで、日本に対して余りいい記憶はなかった。氷河期ど真ん中だし、なんだか日本の何もかもにガックリしていた。
でも台湾で暮らし、子供もできて日本に一時帰国し、子供が地元の小学校に体験入学するようになって、どんどんかんじ方が変わった。子供が通った小学校の校長先生は
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子供が初めての集団登校に馴染めるかを心配して、朝七時半の集合時間に家近くの集合場所まで様子見に来て下さった。ひと学年ひとクラスの田舎の小さな小学校だったけど、里山にあそび行き帰りにカナヘビを追いながら帰るような、台北では考えられない充実した時間を過ごさせて貰った。
これこそが、
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今振り返って、また他の業界の人と話して思うのは、日本の映画業界は日本の多くのあらゆる製作現場の縮図だということ。
映画業界は極端だが、ある意味日本のすべての業界が多かれ少なかれそういう性格を持ち問題を抱え、一つ確かに言えるのは、このままだと日本コンテンツ本当にやばいよってこと
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台湾で「質感」は単なるテクスチャーという意味じゃなく、実質的なものに支えられたエレガントさとかきめ細やかさ、ホンモノという意味。
日本の質感には到るところに「見えない個人」の努力とか気遣いや積み重ねが見える。
例えば、石碑のあるとある場所にあるご夫婦と行った。