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台湾のハマグリって、日本のものと違うなとずっと思っていた。火を通してもプリプリしてレアーな感じで透明感があって、、、食べるのが好きな日本友人たちも声を揃えて「台湾のハマグリって美味しいよね」って言っていた。
やっぱり違う種類だったんだ! twitter.com/focustaiwanjap…
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すごい❗
台湾のNTT 的な存在、中華電信のサブスク「MOD」で配信始まった大河ドラマ『#どうする家康』で、松本さんが台湾向けに「大家好!台湾の皆さんこんにちは❗」って挨拶してるよーー
NHK 大河でこんな時代が来るなんて感慨深いですね、、、
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地方選は国防意識や台湾アイデンティティーと全く異なる論理で動いているのですが、選挙後は日本はじめ外国メディアが
「台湾世論は習近平と志を同じくする」とか見当外れな評論をしそうで心配だし、注意を払わなければならないポイントです。 twitter.com/LIU_Yen_Fu/sta…
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私もこの桃太郎のtw見て最初に思い出したのが『悲情城市』のトニー・レオンでした。
「きれいな日本語」と「わたしは方言を話しません」札の関係もそうだが、日本の人はもうちょっと言葉を奪われた方々の歴史を頭の何処かに置いてほしい。
日本はその当事者。
それもなく日台友好とか笑止千万である。 twitter.com/books_plug/sta…
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台湾入国について緩和の内容、こちらの記事が詳しいです。
けっこうややこしいですね。かなり緩和されたとはいえ、以前の感覚で気軽に個人旅行へどうぞ、とはまだまだ言えない状況ですね。
しかし在台日本人、日本に行きたい台湾人にとってはハードルかなり下がりました
japan.focustaiwan.tw/column/2022092…
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どうしたらいいのだろうか。
とりあえず、「兎に角このままではだめ」ということしか今はわからない。
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石碑の周りにちょっと草が長く生えていたのだけど、ご夫婦がまったく自然な動作でその碑の周りの草を抜いていて(別にその碑の管理人とかご家族ではありません)、そういう動作がとても美しいなあと思った。
しばらく距離と時間を置いたことで、そういう良さも感じられたのはとても良かった。
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台湾で「質感」は単なるテクスチャーという意味じゃなく、実質的なものに支えられたエレガントさとかきめ細やかさ、ホンモノという意味。
日本の質感には到るところに「見えない個人」の努力とか気遣いや積み重ねが見える。
例えば、石碑のあるとある場所にあるご夫婦と行った。
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でもすごく良いところも感じた。それは「質感」。
大阪や京都、山口と広島の行った範囲のみだけど、羽二重のようなというと言い過ぎだが繊細でなめらかで、ガサガサチクチクしたものを全く感じなかった。
それは建物内外のしつらえとか動線とか人とのコミュニケーションとか、、、台湾では「質感」とは
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台湾の日本教育の現場にいる方々から、若い台湾人たちが急速に日本コンテンツに魅力を感じなくなっている(日本語学科でも多くが韓国コンテンツが一番好きとか)とか、日本語学習に興味を失っている話とか聞いて、これから日本の魅力は「食べたり買ったりが安い国」でしかなくなっていくのかと心配に。
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先日ひさびさに日本に帰って感じたのは、日本で現在保たれている様々なもののクオリティーが殆ど個人や各企業の努力のみでギリギリ支えられているのではないかということ、
この円安でインバウンドが開かれることでそうした努力の積み重ねの上澄みが掬い取られていってしまうのではないかという不安。
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台湾の戸籍制度は日本統治時代より始まり百年以上続いています(法は改正されていますが)
台湾では現在、夫婦別姓が原則ですが、別姓のために家族が崩壊したり、子供がいじめられることはなく
また戸籍制度も廃止されていませんよー 先週も用事があって戸籍の写し取ったばかり、しっかり有用です twitter.com/nana77rey1/sta…
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いける社会に、日本が一刻も早くなってほしいとおもいます。
台湾もまだ完全とはいえないまでも、歩みをどんどん進めています。
そんな台湾でも、たった6年前にはこんな悲しい事があったのだということを、知って頂ければと思い書きました。長々と読んで頂き有難うございました。
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本当は、犠牲が出てからでは遅いのです。台湾は「同婚」が法制化されましたが畢安生さんはもう戻ってはきません。
愛は、ただでさえ苦しみを伴うものです。
どんなに愛し合っていてもいつかは離別がくる。
ならばせめて、どんなセクシャリティーであろうとも、二人が祝福され安心して年を取って→
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台湾は証明しています。
畢安生さんの悲しい事件はニュースで大きく取り上げられ、台湾社会を動かしました。しかし実は、そのようなむごい状況は、これまで私たちの知らないところで沢山起こってきたのではないかと思います。
台湾でも、日本でも。
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2019年に施行されたのは、多くの方がご存知の通りです。施行以降は、多くの方々が登記し周囲に祝福されて結婚しています。
また法律の施行以前に比べて「同婚」を支持する人は20%以上上昇しました。
議論を「尽くす」ことが国民の理解を促すのではなく、制度化されることが理解を後押しすることを→
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台湾社会が大きく動くのはいつも、大きな犠牲が出てからです。
それから翌年、2017年に最高裁判所で「同性の二人による結婚の自由に関する憲法解釈」が発表され「同婚」が法制化されることが決まりました。
その後起こったバックラッシュで、住民投票により民法ではなく特別法を制定することが決まり
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映画人らとも親交の深かった畢安生さんの死は報道で大きく取り上げられ、そこから同婚法制化についての議論が高まりました。
直後の10月20日には、最高裁判官7名のうち6名が同性婚を支持し、人権と平等のもとに法改正をするべきと明言、議論のなかでも大きく進展しました。
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畢安生さんが亡くなった当時の台湾も「同性パートナー登録制度」が始まっていました。
条例に相当するものであくまでも法律的な効力はなく、すでに登録カップル数は全県合わせて1000組を超えていたようですが、登録することによって、畢安生さんが抱えたような問題に対応する制度ではありませんでした
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畢安生さんの姿を観る事ができます。
台湾映画がヨーロッパで評価されるようになった、その礎を築いたひとりと言ってもいいのかもしれません。→つづく
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畢安生教授はまた映画を深く愛した人物でもありました。
台湾ニューシネマの製作にかかわり、侯孝賢、蔡明亮、楊德昌、王家衛らと親交もふかく、彼らの作品をフランス語訳して海外へ積極的に紹介、出演もしました。
亡くなる前年にカンヌ映画祭で監督賞を受賞した侯孝賢監督の「黒衣の刺客」のなかでも
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そして畢安生さんを除く家族の決定により延命措置は施されました。
また遺産相続の権利がない畢安生さんは35年もの長いあいだパートナーと暮らした住まいを相続することも出来ませんでした。それらのことが、畢安生さんを絶望のどん底に追いやったのではと言われています
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当時、癌の末期にあったパートナーの方は延命措置をしないように希望しており畢安生さんはそれをよく理解していたといいます。
しかし当時の台湾ではまだ同性間の結婚は認められておらず、畢安生教授はパートナーの希望を叶える術を持たなかったばかりか、最期に立ち会うことさえできませんでした