87年前の今日、上皇陛下が皇居内の産殿にて産声を上げられました。 誕生を知らせるため、東京市内でサイレンが2回鳴り響きました。 1回なら女の子、2回なら男子の誕生と決められていたのです。 このサイレンのエピソードは、北原白秋作詞の奉祝歌『皇太子さまお生まれになった』でも使用されています。
106年前の今日、東京駅が開業しました。 写真は大正4年の『東京百建築』に掲載された東京駅です。開業直前に、「中央(東京)停車場」から「東京駅」と名称が改められています。 日露戦争で日本が勝利をおさめたことで、設計中に建設予算が増額され、国威を示すために巨大建築の駅舎が作られました。
1910年12月19日、陸軍軍人で清水徳川家8代目当主の徳川好敏が日本で初めて飛行機で空を飛びました。 清水徳川家は華族令で伯爵を授けられましたが、7代目当主の篤守が訴訟事件を起こされたことで、爵位を返上しています。 しかし初飛行が成功すると、清水徳川家の名誉も回復し、男爵が授与されます。
115年前の今日、「白い死神」「ムーミン谷のゴルゴ13」と評されるスナイパーのシモ•ヘイヘが生まれました。 ネット上には数々の伝説まとめが出回っていますが、シモ•ヘイヘのインタビューをした著者による書籍『白い死神』によると、まとめ以上の狙撃成果を上げていたことが明らかになっています。
「菓子は子供の生活の全部である!」 たしか昭和8(1933)年頃の文藝春秋の広告だったかと思います。 新高製菓は台湾•台北に置かれた日本の製菓会社の商品です。 このレモンドロップは、おそらくサクマ式ドロップスのレモンのような味がしたのかなと想像しています。
79年前の今日、真珠湾攻撃が行われれました。 そもそも真珠湾は、航空兵力に対して脆弱な基地として認識されていました。 1930年代から、真珠湾の脆弱性は米軍内で検証されており、真珠湾防衛が重要な課題となっていたなか、日本軍による攻撃が行われます。 ▼開戦直前の真珠湾(1941年10月)
1886年12月6日、民間人として唯一A級戦犯の容疑で起訴された大川周明が生まれました。 東京裁判にて、支離滅裂な言動を繰り返したほか、東條英機の頭を引っ叩くシーンはあまりにも有名です。 大川はそのあと裁判から除外され、松沢病院での入院中に念願だったコーラン全文の翻訳を完成させています。
本日は新嘗祭(にいなめさい)です。 新穀を神様に捧げ、その年の収穫に感謝する日です。 昭和23年まで新嘗祭は同名の祝日でしたが、GHQの占領下のもと「勤労感謝の日」という名称に変更されました。
電車の終電は戦前の方が遅い傾向にありました。 1940年の山手線終電は品川着午前1時49分、1934年の中央線新宿発中野行は午前1時27分(中野着1時34分)までありました。 戦時中は新宿発中野行が午後11時発となるなど大幅に繰り上げられますが、戦後すぐに現在の水準まで戻っています。
206年前の今日、ロンドンビール洪水が起こりました。 醸造所のビールの大樽が破裂し、中身が流出。その衝撃で他の大樽もドミノ倒しのように転倒し、147万リットルのビールが津波の如く屋外に溢れ出しました。 これによって2つの家屋が全壊し、7人が溺死、急性アルコール中毒で1人が亡くなりました。
写真は帝国ホテルライト館の様子です。 完成直後に関東大震災が起きますが、建物はほとんど無傷で人々の注目を集めました。 しかし客室数が270と少ないこと、地盤沈下の影響で柱が傾き雨漏りがするといった老朽化の問題などから1967年に取り壊されました。 現在は玄関部分が明治村に移築されています。
56年前の今日、昭和天皇からの御下賜金を基にして建設された日本武道館が開館しました。 着工、工事期間はわずか12ヵ月で、工事関係者の努力と政界•財界の支援によって創建されました。 ちなみにあの「大きなたまねぎ」は、正式には「擬宝珠(ぎぼし)」と呼び、魔除けの意味が込められています。
1943年9月28日、東京地裁が日本国内でスパイ活動を行っていたリヒャルト・ゾルゲ、尾崎秀実らに死刑判決を下しました。 ゾルゲは、ナチス党員の肩書きで新聞記者を装って来日し、近衛文麿のブレーンの一人で、元朝日新聞記者の尾崎秀実から情報を得て、ソ連共産党最高指導部に機密を報告していました。
1941年9月28日、満洲・朝鮮国境の水豊ダムが営業発電を開始しました。 日本の統治時代に作られたダムで、日本の建設会社の「間組」と「西松建設」が施工しました。 総工費は約5億円で、東京・下関間新幹線の建設費に匹敵します。 北朝鮮の電力の多くは現在もこのダムの水力発電に依存しています。
149年前の今日、散髪脱刀令が布告されました。 「髪型を自由にして構わない」という内容で、ちょんまげを切った「ざんぎり頭」は文明開化を象徴する髪型になりました。 慣れ親しんだ風俗に反対する者もいたと思いきや、女性で断髪する者も現われて大騒ぎにもなりました。
1987年9月22日、昭和天皇の開腹手術が行われ、歴史上初めて玉体にメスが入れられました。 宮内庁は当時、昭和天皇の病名を「慢性膵炎」と報告していましたが、本当の病名は膵臓がんでした。 「陛下にがんの告知はできない」として、医師団らによる苦しい決断のなかで発表が行われた背景がありました。
満州事変といえば板垣征四郎、石原莞爾の両名が有名ですが、満州開拓に奮闘したのは彼らだけではありません。 同じく満州を理想郷としていた民族主義者の小澤開作は、同じ志を持つ板垣と石原の両名から1文字ずつ取り、息子に征爾と名付けます。 のちに名指揮者として知られる、小澤征爾の父親です。
1931年9月18日、満州事変の発端となる柳条湖事件が発生しました。 中華民国は事件から3日後に国際連盟に提訴しますが、この時点では連盟理事会は日本に親和的で、中華民国には冷淡な態度を取っていました。 しかし戦線が拡大するにつれて、日本は国際世論から批判を受けることになります。
420年前の今日、関ヶ原の戦いが起こりました。 写真は1885年(明治18年)に発行された絵本『関ヶ原東勝記』です。 計14ページの短い絵本ですが、石田三成をはじめ、西軍武将を中心に関ヶ原の戦いを簡潔に描いています。 #関ヶ原2020
65年前の今日、放火で全焼した金閣寺が再建されました。 国宝指定は解除されてしまったものの、政府からの補助と全国からの寄付により3,000万円が集まり、3年の工期を経て竣工しました。 明治時代に大修理が行われており、その際に詳細な図面が作成されていたことから忠実な再建が可能となりました。
108年前の今日、乃木希典夫妻が明治天皇の後を慕って殉死しました。 写真は自決当日に撮影されたものです。 乃木の死は国内外に大きく報道され、乃木を慕っていた昭和天皇をはじめ、多くの人が悲しみにくれました。 葬儀の沿道は自発的に集まった約20万人の国民によって埋め尽くされたといいます。
写真左はラバウルにて原住民を 診察する陸戦隊軍医。 右はニューギニアにて原住民に 施米をする陸戦隊。
1871(明治4年)の警察官を描いたものです。 このような格好で横浜の外国人居留地を巡回していたようです。
143年前の今日、寺田屋の女将であったお登勢が亡くなりました。 薩摩藩士が斬り合った寺田屋事件ではお登勢もその場にいて、3歳の次女を竈に隠し、帳簿も守りきったようです。 薩摩藩の定宿であった上に、坂本龍馬など幕末の志士も滞在していたことから、幕府にも目をつけられていました。
昭和34年9月26日、伊勢湾台風の被害の様子。 愛知県発行の『伊勢湾台風 : 災害復興記録写真集』より。