八條忠基(@EeoduLzbYVjTprk)さんの人気ツイート(新しい順)

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6月16日のお菓子イベント「嘉祥」(嘉定)は、江戸幕府でも重要な儀式という位置付けをされました。『徳川年中行事』によれば、将軍と世嗣が手ずから大名に菓子を手渡す儀式の後、大名・旗本は1794もの膳から菓子を取って帰りました。「とらや」では、当時の羊羹を再現して販売されています。
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基本的には事前予約ですが、「和菓子の日」である本日は、店頭でもわずかながら販売されています。それぞれの菓銘は、真上より時計回りに、武蔵野・源氏籬(げんじませ)・桔梗餅・伊賀餅・味噌松風・朝路飴・豊岡の里(中央)です。
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古くは6月16日を「嘉祥(かじょう)」と呼んで、お菓子を贈答し合う日とされていました。由緒は諸説あって根拠は曖昧。しかし江戸時代の宮中では7種の菓子、幕府では16種の菓子を用意して宴を催す風習は確実にありました。 「とらや」では今も、幕末に御所ヘお納めした七ヶ盛を復元販売されています。
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本日、吉祥寺で満開のネムノキ(合歓木、学名:Albizia julibrissin)に遭遇いたしました。もやもやっとしたピンクが素晴らしいです。これで雨が降りますと、松尾芭蕉の句の風情ですね。 「象潟や 雨に西施が ねぶの花 」
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皇居東御苑のムラサキシキブ(学名:Callicarpa japonica)が満開です。 園芸品種として愛されている通称「ムラサキシキブ」は、コムラサキ(小紫、学名:Callicarpa dichotoma)で、本種とは別種。しかしコムラサキのほうがよく植栽されてメジャーになり、ムラサキシキブの本家?を乗っ取る勢いです。
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苺に似て赤く甘酸っぱい。平安時代の宮中でも、当然のように賞味されていました。 『延喜式』(大膳) 「諸国貢進菓子 山城国〈郁子四担、葍子一担、覆盆子一棒、楊梅子三担、平栗子十石〉。」
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あちこちで、ヤマモモ(山桃、楊梅、学名: Morella rubra)の実がなっています。ヤマモモは日本に自生する植物で栽培しやすい植物です。 『和名類聚抄』(源順・平安中期) 「楊梅 爾雅注云楊梅<和名夜末毛々>。状如苺子赤色味甜酸可食之。七巻食経云山桜桃。有二種黒桜子<和名上同>味甜美可食矣。」
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本日、皇居東御苑で見かけたコウシンバラ(庚申薔薇、学名:Rosa chinensis)。四季咲きで、60日に一度の庚申の日ごとに咲くからと言うのが和名の由来です。平安時代に中国から導入され、『源氏物語』にも登場した薔薇が、この種だと言われます。
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本日、約半年ぶりに開園した皇居東御苑に参りました。ハナショウブが実に見事。見物の方もごく少なく、ゆっくりと拝見することが出来ました。いま、オススメでございます。
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わたくしの今宵の晩酌のアテ。 お判りになる方には一目瞭然の「唐菓子」の再現でございます。「梅枝」「餲餬」「桂心」「結果」「捻頭」「糫餅」「餢飳」「索餅」。ちょいと塩を掛ければ、麦酒に非常に合うアテでございます。
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当時の酒は、味醂のように糖度が高かったようで、甘味料として用いた可能性が高いと思われます。鎌倉中期になると「醤(ひしお)」の代わりに味噌が用いられるようになったようです。
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さまざまな平安の食材をご紹介していますが、「いったいどういう味付けの料理なのだろう」と疑問を持たれる方もおいでだと思います。しかし平安の料理は、基本的に味付けがなされておらず、「四種(しす)」と呼ばれる調味料、酢・塩・酒・醬を自分の好みで付けて食べていたようです。
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平安時代に事物がどう認識されていたか。そしてそれを話し言葉(和名)で何と呼んでいたか。それをもっとも明快に教えてくれるのが『和名類聚抄』です。承平年間(931~938)、源順(みなもとのしたごう)が編纂しました。全巻をエクセルデータにしました。右手がジンジン痺れております(苦笑)。
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わたくしの今宵の晩酌のアテ。たいへん美味しく、臭み的なものはゼロ。こりこりとした食感です。平安時代の大饗の膳にも出ました。さて、これは何でしょうか?? 『二中歴』(鎌倉前期)「大饗 尊者(中略)窪坏物八坏<脹褁・海月・保夜・蝛蟻・細螺・蠏蜷・石花・肝搔>。」
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今夜は皆既月食。 日蝕・月蝕出現の予想は天文博士・暦博士・算博士・陰陽博士道など、平安の科学者たちにとって重要な仕事でした。それを見事に成し遂げた科学者がいました。 天慶元年(938)12月15日の月蝕を当てた、権暦博士の葛木茂経です。weathernews.jp/s/topics/20210…
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わたくしの今宵の晩酌のアテ。たいへん美味しく、臭み的なものはゼロ。ひとくち目は貝、噛めばカニ。平安時代の大饗の膳にも出ました。さて、これは何でしょうか?? 『二中歴』(鎌倉前期)「大饗 尊者(中略)窪坏物八坏<脹褁・海月・保夜・蝛蟻・細螺・蠏蜷・石花・肝搔>。」
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ビワがたわわに実っていました。 重ね色目の「盧橘」(はなたちばな)という重ね色目があります。表がオレンジ色で裏がグリーンです。そしてこれはタチバナの果実と葉の色という認識です。しかし、「盧橘」はビワ(枇杷、学名: Eriobotrya japonica)のことであるという説もありました。
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お恥ずかしい限りですが、内容もチラ見せ。 こういった内容でございます。
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『「勘違い」だらけの日本文化史』(淡交社)。内容チラ見せでございます。 まずは目次から。とりとめ無い内容でお恥ずかしい限りでございますが……。
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このたび、淡交社さまより『「勘違い」だらけの日本文化史』を刊行させて頂くことになりました。 大仰なタイトルですが、ごく気楽な読み物です。有職故実の勉強の中から拾った、「へ~~」と思える歴史の小ネタを、根拠文献とともにご紹介する内容。どうぞお楽しみながら御笑覧下さいませ。
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ある講座の収録の関係で、早稲田の教場は一足早く7月の「乞巧奠」の室礼にいたしました。角盥(つのだらい)に浮かべた梶の葉は、いかにも涼しげでございます。
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本日5月15日、本来ならば京都で葵祭「路頭の儀」が行われる日でございます。賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)のお祭りが、「葵祭」と呼ばれるのは、行列の一行が冠に葵(フタバアオイ)の葉を飾ったからです。
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『類聚名物考』(山岡浚明・江戸中期) 「鞠の庭に奉る椿餅の事、一旧記ニ云。干飯を粉にして丁子を粉にして、すこしくはへて甘葛にてかためて、椿の葉二枚を合せてつゝみて、上をうすやうの紙を、ほそき壹分計ニきりたるにて、帯にして結びてたるゝ也。」
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椿の葉のおかげで、餅が手に付きません。スポーツ時のフィンガーフードとしては最適だったのも頷けます。
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『源氏物語』(若菜上) 「次々の殿上人は、簀子に円座召して、わざとなく、椿餅、梨、柑子やうのものども、さまざまに箱の蓋どもにとり混ぜつつあるを、若き人びとそぼれ取り食ふ。」