ふるたか(@furutakatoyo)さんの人気ツイート(いいね順)

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捨てられるゴミを大事な物だと考えて、バカにされようと対価を払って数十年も引き取り続けていた人がいて、ある日誰かに 「そのゴミには価値があると判った!貴方にはふさわしくない。こちらに寄越せ!」 と言われたら 「何を今さら」 と呆れ果てるのではないでしょうか。news.yahoo.co.jp/articles/324f2…
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この方の絵の才能はすばらしいものがありますね。早速注文させていただきました。 享年19歳、夢と才能にあふれた若き特攻隊員の"漫画"が一冊に『まんが少年、空を飛ぶ 特攻隊員・山崎祐則からの絵手紙』 | ほんのひきだし hon-hikidashi.jp/know_learn/592…
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もう少し書いておくと、当時は出征等に際して餞別を渡す風習が多くあり、内地に帰還した際に頂いた方には何かの返礼を、という風潮もかなりあったのではと思います。 盃などは多く現存していますが、このようないわゆる消えモノの食品も沢山あったのかもしれませんね。
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コロ助についていつも思うのが、 「茶せん髷」 「朱鞘」 「長い鞘の先に滑車」 という歴史上または巷説で語られるカブキ者のイメージからネタを引っ張ってきているであろうにも関わらず、それを講釈も無しに一目見て可愛い、というところに収めてある藤子先生のデザインは素晴らしいということ。
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日本固有の武術といえば竹槍術は外せないところ。 巷説、笑い話のように言われますが実用目的に研究されたもので当時の熟練者の動作を見ると恐ろしいものがあります。
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第一次世界大戦中、カナダ軍日本人義勇兵として欧州戦線に従軍した和歌山県人、特に日高地方出身者4人(尾浦氏、二井氏、浜出氏、原氏)の特集記事が19日付の日高新報に掲載されました。 私も少し協力させていただきました。 本紙では2面に渡って大きく取り上げられています。 twitter.com/p7V2UB8iSWozEZ…
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白百合学園の百周年記念誌を読んでいると 「和服から洋服になった時、生徒は涙を流していやがった。」 とありました 現代から見ると当時の洋装はさぞお洒落だろうハイカラだろう、と見てしまいがちですが、そういう見方ばかりではないのが当事者の気持ちの一端のようで他にも同様の話があります
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普通の手紙も含めてまとめて数百通以上あるのですが、やはりノートの切れ端も多くそっけないものは花や星、イラストでデコレーションしてみたり色々なパターンが伺えますね。 紫の物は卒業時に書き合ったサインブックで、級友のメッセージとして各人の好きな物、嫌いな物などが書かれています。
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南方に派遣された兵士でも、最初の上陸地点で敵機への対空射撃を見て 「これこそが文明国同士の近代戦だ!」 と感じて当初はワクワクしたなんていう人もいたり。当事者の感覚というのは幅広いものだと思いますね。 現代の倫理観や善悪だけでそれらを選別すると偏りが出来上がってしまうと思います。
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第一次大戦のチンタオでのドイツ人捕虜に日本の収容所敷地の草刈をさせたら、まず最初に縄を張って区画をわけ、各班で担当を割り振って最終的に完全にやりきって驚いた。 って読んだなぁ
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支那事変期の慰問品に人気だったという「森永スマートドロップス」と「森永ドロップス」 人気というのは味もさることながら重宝されたのはその空き缶。 スマートドロップスはタバコがちょうど入り変形と水濡れ予防に、丸缶のドロップスは油が染みた銃手入れ用の裁断布入れに都合がよかったという
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こういう紙の書き付けが付いたまま保管されていることがどれだけ重要か計り知れないですね。これが無ければよくあるキセル入れの一つにしかなりえないわけで。伝統的な忘れ物の管理法としても興味深い所 新選組の忘れ物 キセル入れ見つかる 草津宿本陣 滋賀 | NHKニュース www3.nhk.or.jp/news/html/2019…
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お正月は趣味のものを…。日本軍の「箱詰爆薬」を仕様書と現存品(よく現存してるなと感心しますが…)から製作。10kgの爆薬を充填し、戦車の底部等に投げ入れ爆砕するもの。 映画「沖縄決戦」にも登場しますが、監督の岡本喜八自身がかつて軍人時代に受けた教育そのままに用法を指導されたそう。
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グリル面が蓋のまま使われているのが日米の発想の違いという気がして興味深いです。というのもフィリピンの日本兵捕虜用炊事場で米軍が用意した鉄板を日本側が嫌がって剥がす事例があり 「飯盒に火が当たってないと炊ける気がしない!」 「熱が伝わればいいのだから同じだ!」 と押し問答があったそう twitter.com/bco_100bn/stat…
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昭和11年に発生した226事件の直前に不穏な動きを察知した陸軍が山下陸軍少将宅を盗聴録音した音源が残っているんだけど、家族の女性の通話もあり「~でごザーマスでショ。」といった当時の山の手言葉の日常が記録されていたのが興味深い。
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友人の祖母は長崎の方で、原爆で被爆されて家までの帰路にそこかしこで見た満開のキョウチクトウの花が忘れがたく 「キョウチクトウの花だけは見るとぞっとする。見たくない」 と言っていたそうです。 辛いイメージを思い起こさせるものというのは実体験者にとっては人それぞれなのでしょうね。
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今の中国人民解放軍のレーション「13圧縮干糧」って近未来サイバーパンク系というか、攻殻機動隊っぽいような気がしたので撮影… 生産日期 2016 もなぜか未来感 味は各種あり、これで中身はけっこう美味しいのですね
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陸軍は主食として連食が可能なように乾パンはわざと味を控えめにしていたのです。陸海とも各種糧食の実食と研究を重ねて開発したもので単純な格差優劣というものではないと思います。 twitter.com/Geroko/status/…
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だいぶ前に調べたことなのですが、教科書や歴史本だと「神風のおかげ」という見解は戦前よりも戦後以降のほうが強かったような。戦前期までは案外正確に書かれていました。 勝因は「神風」ではなかった? 「元寇」に新たな見方:朝日新聞デジタル asahi.com/articles/ASK14…
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自分が知る限り第一次世界大戦で欧州に渡った日系カナダ義勇兵は徳永姓が2人、原田姓が1人おられるのですが、ニックネームでは個人がなかなか特定できないかもしれませんね。ともあれ非常に興味深い写真です。 twitter.com/SkyNewsWW1/sta…
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江戸川乱歩の「二線銅貨」の出てきた改造銭をどこかで作ってないかと思ったんですが、これはすご過ぎる @へ@; ※現行貨幣の加工自体は犯罪なのでご注意 『007か?』 ⇒ amba.to/2iclcUJ #アメブロ @ameba_officialさんから
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祖母の話では 「配給の小麦粉は食べるといつも腹を下した。だから食べるのが嫌だったがそれしかないんだから食べるしかない。アク抜き無しのドングリとかの粉が随分混ぜてあったんじゃないか。勤労奉仕で拾い集めたこともあるので。」 とのことで、味うんぬん以前の問題という印象だったらしいです
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@furutakatoyo どうも同時期の同校(堀川高女)の制服現物を見る限り、入学時の制服仕立て上がりは短めだったようで、成長に伴う買い替え、作り直しのタイミングで長めにしていたのではないだろうか。上着は丈つめれば済むけどスカートはそうもいかない。
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@furutakatoyo 日の丸の寄せ書きは家族、職場、友人、町内会、等から複数贈られていることもあり、すべては持っていけないので家に置いて出征したようなものがかなりあります。使用品は戦地から生還したからこそ家に残存しているケースが大半では 欧米の戦利品とは事情が異なります