ふるたか(@furutakatoyo)さんの人気ツイート(古い順)

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あまりに遺品整理の実情とかけ離れた要請と思います。またどんな古物でも誰かの遺品であって、国がその印象だけで軍人の遺品を特別な存在と見なすのも歪みを感じます。 戦没者の遺品、ヤフオクに 厚労相が自主規制求める:朝日新聞デジタル asahi.com/articles/ASJB6…
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@furutakatoyo 日の丸の寄せ書きは家族、職場、友人、町内会、等から複数贈られていることもあり、すべては持っていけないので家に置いて出征したようなものがかなりあります。使用品は戦地から生還したからこそ家に残存しているケースが大半では 欧米の戦利品とは事情が異なります
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町の役員みたいなスーツのおじさん(50代後半ぐらい)の後ろから同世代のおじさんが飛びついて 「どーん!」 「ぐぇええー!」 とかやってるの見かけましたが、馴染み同士でやることって年取っても変わらないんだなと思いました。
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昭和11年に発生した226事件の直前に不穏な動きを察知した陸軍が山下陸軍少将宅を盗聴録音した音源が残っているんだけど、家族の女性の通話もあり「~でごザーマスでショ。」といった当時の山の手言葉の日常が記録されていたのが興味深い。
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@furutakatoyo どうも同時期の同校(堀川高女)の制服現物を見る限り、入学時の制服仕立て上がりは短めだったようで、成長に伴う買い替え、作り直しのタイミングで長めにしていたのではないだろうか。上着は丈つめれば済むけどスカートはそうもいかない。
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祖母の話では 「配給の小麦粉は食べるといつも腹を下した。だから食べるのが嫌だったがそれしかないんだから食べるしかない。アク抜き無しのドングリとかの粉が随分混ぜてあったんじゃないか。勤労奉仕で拾い集めたこともあるので。」 とのことで、味うんぬん以前の問題という印象だったらしいです
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江戸川乱歩の「二線銅貨」の出てきた改造銭をどこかで作ってないかと思ったんですが、これはすご過ぎる @へ@; ※現行貨幣の加工自体は犯罪なのでご注意 『007か?』 ⇒ amba.to/2iclcUJ #アメブロ @ameba_officialさんから
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お正月は趣味のものを…。日本軍の「箱詰爆薬」を仕様書と現存品(よく現存してるなと感心しますが…)から製作。10kgの爆薬を充填し、戦車の底部等に投げ入れ爆砕するもの。 映画「沖縄決戦」にも登場しますが、監督の岡本喜八自身がかつて軍人時代に受けた教育そのままに用法を指導されたそう。
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だいぶ前に調べたことなのですが、教科書や歴史本だと「神風のおかげ」という見解は戦前よりも戦後以降のほうが強かったような。戦前期までは案外正確に書かれていました。 勝因は「神風」ではなかった? 「元寇」に新たな見方:朝日新聞デジタル asahi.com/articles/ASK14…
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大戦末期、陸軍の兵隊が下士官に 「お前、この戦争勝てると思うか?」 て聞かれて、本音も言えず答えに窮したので 「○○殿はどうお考えですか?」 て返したら 「…お前と同じ考えだよ!じゃぁな。」 って去っていった。 そんな話ありましたね。
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支那事変期の慰問品に人気だったという「森永スマートドロップス」と「森永ドロップス」 人気というのは味もさることながら重宝されたのはその空き缶。 スマートドロップスはタバコがちょうど入り変形と水濡れ予防に、丸缶のドロップスは油が染みた銃手入れ用の裁断布入れに都合がよかったという
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第一次大戦のチンタオでのドイツ人捕虜に日本の収容所敷地の草刈をさせたら、まず最初に縄を張って区画をわけ、各班で担当を割り振って最終的に完全にやりきって驚いた。 って読んだなぁ
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チンタオのドイツ兵捕虜がいきなり 「生きているブタが4頭ほしい」 と言い出して、理由を問うと 「収容所内の食材屑の量を計算するとそのくらいは飼えるはず。こちらで飼って増やして食べるようにする」 と、これも日本側は非常に感心したとう話。
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コロ助についていつも思うのが、 「茶せん髷」 「朱鞘」 「長い鞘の先に滑車」 という歴史上または巷説で語られるカブキ者のイメージからネタを引っ張ってきているであろうにも関わらず、それを講釈も無しに一目見て可愛い、というところに収めてある藤子先生のデザインは素晴らしいということ。
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軍艦長門後甲板上の大妻高等女学校生徒。 昭和3年の撮影のようだ。帽子にスーツに着物に髪型、軍装、甲板の腐食防止の様子など情報量が多い。世界最大級の主砲も実感としてよくわかる。 生徒はほぼ規則通りの服装。断髪、三つ編みなど揃いの髪形の生徒が隣同士にいたりするのがおもしろい。
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日本陸軍の「野戦パン焼車」の作業配置。 10時間で330gの食パンを1400個製造できた。
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日本固有の武術といえば竹槍術は外せないところ。 巷説、笑い話のように言われますが実用目的に研究されたもので当時の熟練者の動作を見ると恐ろしいものがあります。
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麻脚絆が材料到着待ちとなりましたので明治陸軍の冬襦袢も試作してみました。 販売用試作で生地は当時と同じものは困難なため今回は薄手生地としています。サイズは当時の大号、出来れば中号も予定。 またそのうち夏襦袢も作りたいところです。
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戦前から金属を磨くのに「ピカール」を使ったと言うのはたまに回想で出てくる(海軍のオスタップ(洗面器)をピカールで磨いたとか…)のですが、まさか陸軍兵器学校編著の本にも登場していたとは…。双眼鏡の螺子部のすりあわせなどに使っていたようです。伝統のピカール。
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陸軍は主食として連食が可能なように乾パンはわざと味を控えめにしていたのです。陸海とも各種糧食の実食と研究を重ねて開発したもので単純な格差優劣というものではないと思います。 twitter.com/Geroko/status/…
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白百合学園の百周年記念誌を読んでいると 「和服から洋服になった時、生徒は涙を流していやがった。」 とありました 現代から見ると当時の洋装はさぞお洒落だろうハイカラだろう、と見てしまいがちですが、そういう見方ばかりではないのが当事者の気持ちの一端のようで他にも同様の話があります
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友人の祖母は長崎の方で、原爆で被爆されて家までの帰路にそこかしこで見た満開のキョウチクトウの花が忘れがたく 「キョウチクトウの花だけは見るとぞっとする。見たくない」 と言っていたそうです。 辛いイメージを思い起こさせるものというのは実体験者にとっては人それぞれなのでしょうね。
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今の中国人民解放軍のレーション「13圧縮干糧」って近未来サイバーパンク系というか、攻殻機動隊っぽいような気がしたので撮影… 生産日期 2016 もなぜか未来感 味は各種あり、これで中身はけっこう美味しいのですね
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戦前戦中の森永「シュガーコーヒー」 中身は豆がそのまま入っているわけではなくコーヒーを粉末にしたトルココーヒー系のものに砂糖を混ぜたものだったそうです これはコーヒーの字がカタカナ化された支那事変期のもので80年ほど経っていますが、森永のデザインセンスはさすがに抜きんでていますね
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戦前戦中、軍港のスケッチ等は要塞地帯法で規制されていた違法行為であって、憲兵隊は周辺地域を守るために任務を遂行していたわけです。 それらが単なる市民生活の弾圧を目的としているわけではないことは知られてほしいですね。