ふるたか(@furutakatoyo)さんの人気ツイート(いいね順)

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茨城県水戸市大町にあった水戸高等女学校の生徒用バンド こちらは大正6年制定の物で、海老茶色の袴とあわせた制服姿は同校のシンボルとしてあこがれの対象であったようです。洋装化は大正14年以降であったとか。 長らく現物を見てみたいと思っていたのですがご縁があったようです。
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戦利品として外国に残る遺品と家庭から処分される遺品(多くは戦後に余剰を配布したような物ですが)は当のご遺族にとっても違った性質を持っているという視点は重要でしょう ある意味では処分された時点でご遺族にとっての役割は果たされた、という考えもあるかと思います news.tbs.co.jp/newseye/tbs_ne…
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古銭はさっぱりわからないのですが、古銭の中に銭とも言えなさそうな小粒の板が混ざっていて、なんだろこれ?と思って調べると、キセルの頭を叩きつぶして作った「雁首銭」というものだそうです。 束に混ぜて贋金のようなそうでないようなで微妙に流通していたというファジーなもののようです。
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知人の地元に「はらしょうさん」と呼ばれていたおじいさんが居て、きっと原田正一さん的な本名だろうなとずっと思っていたところ、ある日知った本名が全く違っており、家族に尋ねたところ 「あの人は抑留帰りでよくロシア語で「ハラショー」と言ってたのでハラショーさんなんだよ」と言われ驚いたそう
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あまりに遺品整理の実情とかけ離れた要請と思います。またどんな古物でも誰かの遺品であって、国がその印象だけで軍人の遺品を特別な存在と見なすのも歪みを感じます。 戦没者の遺品、ヤフオクに 厚労相が自主規制求める:朝日新聞デジタル asahi.com/articles/ASJB6…
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袴の紐に安全ピンを付けている100年前の女学生 ちょっとしたお洒落だったのかと思いますがこの時代の着用例は初めて見ました 最初何かの徽章を裏からとめているのかと思ったのですがそうではなさそうで、安全ピンが見えるようにしているようです
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「此の次からは立派な品物をドシドシ皆さんのために作るつもりです」 終戦後に大量に市場にあふれた軍用被服を解体して作られたランドセルにあった一文。 まさに「泣きの一手」ながら、ほどなく倒産した模様です 汗
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そういえば数年前に親族がうちを訪ねてきた際に、私が持っている陸軍の編上靴を見て 「これ家でもこないだ出てきたのよ!」 ふ「え!?どうしたの?」 「すぐ捨ててやったよ!うちのおとうちゃんな、弾当ってな6時間苦しんで死んだんやって。見たくもないわ!」 いろんな考えがあるなと思いました
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軍艦長門後甲板上の大妻高等女学校生徒。 昭和3年の撮影のようだ。帽子にスーツに着物に髪型、軍装、甲板の腐食防止の様子など情報量が多い。世界最大級の主砲も実感としてよくわかる。 生徒はほぼ規則通りの服装。断髪、三つ編みなど揃いの髪形の生徒が隣同士にいたりするのがおもしろい。
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訪日中の香港の友人たちが富士山に登ったというので私の祖父の写真を。 昭和16年11月12日西富士演習場で撮影 この写真にはある秘密があるのですがほとんどの方は気づかれないと思います。(私も祖父に教えてもらうまで気づきませんでした。)
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「結構立派な革の筒だから持ってるんだけどこれ軍用品かな?」 「これ日本軍の航空機から地上に落とす通信筒ですよ、後ろに長い紅白の吹き流しが付いてるんですけど無くなってるのが惜しいですね」 「・・・それ付いてたんだけど・・・変な布ついてるなと思って捨てちゃった・・・」 よくある話です
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今日見つけてきました江戸時代頃と思われる非常に変わったデザインの道具です。 使い道は…私は箱書きが無ければ見当もつきませんでした。両面同じようなデザインになっていて中央がくぼんでいます。 素材などノーヒントでこれが何かわかる方はおられますでしょうか…??
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今日見つけてきました九谷焼の急須です。 シベリア出兵凱旋に際して第十二師団臨時兵站電信隊が記念に作成したもの。同師団は1919年に凱旋したようなので丁度100年目の出会いでしょうか。 なかなか凝った特注デザインでよく見るとちゃんと電信柱と電線が図案に組み込まれています。
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日本陸軍の「野戦パン焼車」の作業配置。 10時間で330gの食パンを1400個製造できた。
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Q 当時、猩々皮の陣羽織を着た22,3歳の面長の美男子の首を取ったのですがどなただったのでしょうか? A その陣羽織を着た物は200人以上居たけれど討死したのは4,5人でおそらく宇佐見三拾郎殿でしょう 。 大坂の陣から30年後、豊臣方で戦った自身の戦功確認を敵方とした往復書簡の写し
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以前このスケッチを見つけた時 「尾翼などに標識が描かれていない」→おそらく防諜を要する戦中 「新鋭機で現物を見て描いてるぽい」→現物を描いてよい立場 「腰を据えてそつなく描いていてる」→許可を得た従軍画家以外無理では と判断して購入したのですが果たしてやはりそうだったことがあります
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戦前戦中、軍港のスケッチ等は要塞地帯法で規制されていた違法行為であって、憲兵隊は周辺地域を守るために任務を遂行していたわけです。 それらが単なる市民生活の弾圧を目的としているわけではないことは知られてほしいですね。
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麻脚絆が材料到着待ちとなりましたので明治陸軍の冬襦袢も試作してみました。 販売用試作で生地は当時と同じものは困難なため今回は薄手生地としています。サイズは当時の大号、出来れば中号も予定。 またそのうち夏襦袢も作りたいところです。
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戦前から金属を磨くのに「ピカール」を使ったと言うのはたまに回想で出てくる(海軍のオスタップ(洗面器)をピカールで磨いたとか…)のですが、まさか陸軍兵器学校編著の本にも登場していたとは…。双眼鏡の螺子部のすりあわせなどに使っていたようです。伝統のピカール。
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今日から開始の「天皇陛下御即位記念五百円バイカラー・クラッド貨幣」を郵便局で交換していただきました。 バイカラーということで新500円発行の先行という感じを受けますね。 あと個人的に図案に既視感があると思ったら昭和三年の昭和大礼記念章からだったようです。
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今でもそうですが、身体、精神の障害って見た目で判るとは限りません。 特に情報伝達の手段が限られた昔は親族、近隣住民同士でも様々な局面で挨拶回りしないと誤解される部分は今以上に大きかったのではないでしょうか。
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大戦末期、陸軍の兵隊が下士官に 「お前、この戦争勝てると思うか?」 て聞かれて、本音も言えず答えに窮したので 「○○殿はどうお考えですか?」 て返したら 「…お前と同じ考えだよ!じゃぁな。」 って去っていった。 そんな話ありましたね。
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まとめて買ったメダル類の中に四角いメダルが入っており、SDカード?と思ったのですが、60.iが歩兵第六十連隊、2585は紀元2585年、大正14年とすると、同年同連隊が宇垣軍縮により解隊されたときの記念品ではないかと思われます。銅を黒く染めてありシンプルで先進的なデザインですね
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町の役員みたいなスーツのおじさん(50代後半ぐらい)の後ろから同世代のおじさんが飛びついて 「どーん!」 「ぐぇええー!」 とかやってるの見かけましたが、馴染み同士でやることって年取っても変わらないんだなと思いました。
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三月まで文京区の竹久夢二美術館 yayoi-yumeji-museum.jp で開催されております「はいからモダン袴スタイル展」の様子をお伝えします。 当時の袴、リボン、共に着用された徽章類などを今回貸出協力させていただきました。皆様よろしくお願いいたします。 ※写真掲載許可済み