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戦利品として外国に残る遺品と家庭から処分される遺品(多くは戦後に余剰を配布したような物ですが)は当のご遺族にとっても違った性質を持っているという視点は重要でしょう
ある意味では処分された時点でご遺族にとっての役割は果たされた、という考えもあるかと思います
news.tbs.co.jp/newseye/tbs_ne…
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知人の地元に「はらしょうさん」と呼ばれていたおじいさんが居て、きっと原田正一さん的な本名だろうなとずっと思っていたところ、ある日知った本名が全く違っており、家族に尋ねたところ
「あの人は抑留帰りでよくロシア語で「ハラショー」と言ってたのでハラショーさんなんだよ」と言われ驚いたそう
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あまりに遺品整理の実情とかけ離れた要請と思います。またどんな古物でも誰かの遺品であって、国がその印象だけで軍人の遺品を特別な存在と見なすのも歪みを感じます。
戦没者の遺品、ヤフオクに 厚労相が自主規制求める:朝日新聞デジタル asahi.com/articles/ASJB6…
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そういえば数年前に親族がうちを訪ねてきた際に、私が持っている陸軍の編上靴を見て
「これ家でもこないだ出てきたのよ!」
ふ「え!?どうしたの?」
「すぐ捨ててやったよ!うちのおとうちゃんな、弾当ってな6時間苦しんで死んだんやって。見たくもないわ!」
いろんな考えがあるなと思いました
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「結構立派な革の筒だから持ってるんだけどこれ軍用品かな?」
「これ日本軍の航空機から地上に落とす通信筒ですよ、後ろに長い紅白の吹き流しが付いてるんですけど無くなってるのが惜しいですね」
「・・・それ付いてたんだけど・・・変な布ついてるなと思って捨てちゃった・・・」
よくある話です
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戦前戦中、軍港のスケッチ等は要塞地帯法で規制されていた違法行為であって、憲兵隊は周辺地域を守るために任務を遂行していたわけです。
それらが単なる市民生活の弾圧を目的としているわけではないことは知られてほしいですね。
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今でもそうですが、身体、精神の障害って見た目で判るとは限りません。
特に情報伝達の手段が限られた昔は親族、近隣住民同士でも様々な局面で挨拶回りしないと誤解される部分は今以上に大きかったのではないでしょうか。
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大戦末期、陸軍の兵隊が下士官に
「お前、この戦争勝てると思うか?」
て聞かれて、本音も言えず答えに窮したので
「○○殿はどうお考えですか?」
て返したら
「…お前と同じ考えだよ!じゃぁな。」
って去っていった。
そんな話ありましたね。
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町の役員みたいなスーツのおじさん(50代後半ぐらい)の後ろから同世代のおじさんが飛びついて
「どーん!」
「ぐぇええー!」
とかやってるの見かけましたが、馴染み同士でやることって年取っても変わらないんだなと思いました。
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三月まで文京区の竹久夢二美術館
yayoi-yumeji-museum.jp
で開催されております「はいからモダン袴スタイル展」の様子をお伝えします。
当時の袴、リボン、共に着用された徽章類などを今回貸出協力させていただきました。皆様よろしくお願いいたします。
※写真掲載許可済み