ふるたか(@furutakatoyo)さんの人気ツイート(いいね順)

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宇宙戦艦ヤマトは知っていても戦艦大和が実在していたことを知らなかった人がいた事はさほど驚かなかったのですが 「大和には波動砲があるのにどうして戦争に負けたのか?」 という疑問にはその発想は無かったと驚きました。
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女学生が特殊な畳み方をした手紙を学内で渡す文化は戦前からあったと思われ、例えばこれは昭和19~20年にかけて京都府立第一高等女学校の生徒間が学内でやりとりしていた手紙です。 当時から様々な折り方があったようです。 twitter.com/shigenowi/stat…
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知る限り最高レベルに短い袴を履いた戦前の女学生の例です。 膝丈どころか完全に膝上丈になっています。
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具体的には書きませんが 「疎開先で受けた戦時下の貧しい食事の思い出」 の例が実はその疎開先の地域では今だに行われている食文化の一つで、引き合いに出されて困惑している、というお話を伺ったことがあります。 汗 twitter.com/shoemaker_levy…
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「これは何か軍隊の印刷物じゃないかな?」 と言われて渡されたのですが、昭和20年8月に牡丹江防衛で全滅した部下の消息を関係者に尋ねる元隊長の何とも切実な内容の手紙でした。
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逆雲形定規…ではなく縮尺1/5000の地図対応の定規で、例えば 「騎兵が一分間に駈歩で進む距離」がすぐ判る といったものすごく使途が限られた定規です 兵棋演習用の専用品
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「征露丸」 おなじみの胃腸薬正露丸の元祖で、陸軍が日露戦争従軍の将兵に赤痢予防などを目的に配布したもの。ブリキの蓋を回すと側面の穴から征露丸が転がり出る仕組みでした。 「スヘシ」の命令口調が軍隊らしいですね。中身は100年程度は経っていると思いますがまだ香りが健在です
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私は 「世界のキッコーマン醤油ボトルコレクター」 なのですが、友人が世界のコーラボトルを集めていたので、私は醤油にしました 写真は タイ・イタリア/スペイン・フィンランド/スウェーデン バージョンで、ご縁頼りでふわっと集めています。ポーランド/ギリシャ語バージョンを探しています。
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幕末に日本から遣欧使節団が派遣されたときに一行は欧州でとうとう醤油禁断症状のような事態に陥ったそうで 「ヨーロッパに醤油などあるはずもない」 と諦めていたところ、オランダで醤油を売っている店を見つけ大いに驚き買い込むことに成功 これははるばる日本から輸出されたものだったようです
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昭和10年頃当時の日本陸軍の歩兵についてごく基本的な兵器、被服、教練を解説した本を仲間と製作しました 「歩兵教程」と題しフルカラー118ページに渡り、美術、創作、歴史再現等に役立つ情報満載となっております 夏コミ13日東ロー39a にて2000円で販売しますので、宜しくお願いいたします #C100
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傷痍軍人になるなどした場合、外見から判るとは限らないので、召集解除ではなく兵役自体が免除になったのだと周囲に示しておかないと 「あの家の息子さんは元気そうなのに再召集されないのは何故か?」 等と噂をたてられることを警戒して、近隣への報告と兼ねて作成されたのではないかと考えます twitter.com/himakane1/stat…
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こちら戦前戦中の学校の法被なんですが、なんと背がフランスの白百合の図案「フルール・ド・リス」になっているという異色の法被です。 乃木高等女学校の関係者用と思われます。
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戦前戦中の森永「シュガーコーヒー」 中身は豆がそのまま入っているわけではなくコーヒーを粉末にしたトルココーヒー系のものに砂糖を混ぜたものだったそうです これはコーヒーの字がカタカナ化された支那事変期のもので80年ほど経っていますが、森永のデザインセンスはさすがに抜きんでていますね
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日露戦争中に「金州丸」という輸送船が撃沈されて、乗船していた歩兵一個中隊がほぼ壊滅という事件があったのですが、当時の記事を読むとその名簿中に私の曽祖父の名前が! しかし曽祖父は生還しているのに同生存者中に名前が無く…戦死扱いに??? そこで気になって少し調べてみました・・・続く
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昔、タミヤ模型の社員の方が海外の軍事博物館を取材していたところ、館員に 「先日、修復のために日本軍機の外板を外したら裏に古い日本語らしい字が書いてあったんだ。是非見てほしい。」 と依頼され、見てみると 「○○チャン 大好き 俺 ヤケル」 というような事が書いてあったそうです。 twitter.com/A6M232/status/…
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古書なんかも古いものはみんなどなたかの遺品ですけれど普通に流通、散逸、消耗、廃棄されている事例の一つでしょう。 この四葉のクローバーは陸軍教導学校生徒の書籍一式に挟まっていた物。 ご本人は昭和13年の徐州会戦で戦死されていることが判明したのは入手後かなり経ってからの事です。
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日本軍の航空隊の関係者が廃品となった航空機のアクリル製風防から作ったと思われる飛行機の模型 風防製のアクセサリーは元が風防なだけに平面的な物が多いのですが、こちらは積層して立体的に作り磨き上げた中々の力作でおそらく作者が関わったであろう陸軍の二式戦闘機「鍾馗」を模しているようです
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戦前のマスクを作ってみました。 俗にカラスマスクと言われるような系統のタイプで、こちらは中でも牛革と別珍を組み合わせた当時としてはなかなか上等な物です。 当時は防塵や防寒目的での利用も含め軍民男女問わず使われておりました。
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チンタオのドイツ兵捕虜がいきなり 「生きているブタが4頭ほしい」 と言い出して、理由を問うと 「収容所内の食材屑の量を計算するとそのくらいは飼えるはず。こちらで飼って増やして食べるようにする」 と、これも日本側は非常に感心したとう話。
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さわやかな青春映画のような一葉で、「丘を越えて」の世界ですね。 昭和13年頃、信州安曇野の女学生3人組です。 どんな毎日を過ごしておられたのでしょうか。
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これは明治37年11月28日、旅順要塞二百三高地攻撃に際して第一師団の一兵士が携帯していた財布と小銭なのですが、銃弾が直撃しています。 「間一髪であぶなかった~!」 と、いうようなわけには行かなかったようで、持ち主は2発の盲貫銃創を受け野戦病院に運ばれています。後生還。
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デニム生地で略帽型の帽子を試作してみました なかなかの平行世界感がある気がします やはりステッチがアクセントになりますのでどんな感じの縫製がいいか試行してみています 材料は手元のあり物で作りましたがせっかくなのでもう少し凝ってみたいところです
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こちら、最近つくったものにしては違和感を感じたのですが説明によると 関東大震災からの復興計画を示す「東京市五千分の一模型」 ということで昭和初期の現物のようです。これは見てみたいですが日程が… 「東京 橋と土木展」 新宿駅西口広場イベントコーナー にて31日まで お近くの方はぜひ twitter.com/hachim088/stat…
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「改良服」の雛形。 改良服は明治後期以降に一時隆盛した和服の改良案の一つで、少女向けに袴と一体式のワンピースのようになったものが多くこれもその一例です。 改良服は一部の学校では制服として採用されています。(写真2の例は山形の酒田高等女学校の生徒で縞の着物が改良服そのものです。)
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相当昔の骨董市で、誰も買わないような物を集めている方がおられて、どうして集めているのか伺った所このような返答を頂いたことを思い出しました。 「いやー実はな、俺も興味ないんやけどな、でもな、こんなもん誰かが買っとかんと無くなってしまうやろ?そやから買ってるねん。それでええねん。」