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漱石の『こころ』に出てくる「K」という人物。随分変な名前ですが、誰かのイニシャルではありません。英語の「know」を声に出すとき「k」の一字を発音しない様に「物語中に登場しはするけれど、実際には存在しない人物」そういう意味で漱石は「K」と名付けたんですね。ちなみに今考えました。
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去年の秋頃、王将からのバイトの帰り、ポールへ腰かけてタバコを吸っていると、怪しく見えたのか、通りがかりのお巡りさんに職質をされた。一通り終わって「この頃のお月様は綺麗ですね」と言うと、咄嗟に「ひさかたの月の桂も秋はなほ…ですから」と返されて、風流なお巡りさんもいるものと思った。
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こち亀の部長じゃないけど、警察の中にも色々な人がいるのだな。お巡りさんに横柄な態度をとられると、この事を思い出して、いやいや、一括りにしてはいけないと自分を戒めている。
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今はもう消えてしまったけど、むかし、YouTubeの談志の動画に「談志って上手いな。今度観に行こうかな」とコメントしている人が居た。この人の中では、談志はまだ死んでいないのだ。どうか、もう死んでるよなんて野暮は言わないで欲しいと思った。
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友人がトラックの運転手を「猿でもできる低学歴の象徴」と言っていて腹が立った。「学問に関わらず、その人が働いて暮らしているのならもう十分立派な事じゃないか」と言うと「学歴のないやつはそんな事も考えない」と答えた。バカヤロウ。それを教えてくれたのはうちの親父だ。トラックの運転手だよ。
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王将でバイトをしていたとき、お客さんが天津飯のカニを抜いてくれと言うから、こりゃ急いで厨房へ伝えなければとマイクに向かってどデカい声で「さっきの天飯カニカマ抜きで!」と叫んだら店長含め色んな人に怒られました。意味のわかる人だけわかって下さい。
#バイトやらかし大会
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今日、恋人に「梅田にはなんでもあるね」といったら「生きる意味以外ぜんぶある」といわれた。
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田中角栄が中国へ行ったとき、彼は周恩来から「言必信・行必果(その人は必ず言葉を守り、必ず結果を出す)」と書かれた色紙を渡されて、大満足で帰ってきた。これは論語からの引用で、そのあとには「硜硜然小人哉(けどそんな奴は大した奴じゃねえ)」と続くのだけど、角栄はそのことを勿論知らない。
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古文漢文不要論がTLを賑わすたびに、私はこの話を思い出すよ。エリートとパンピーの分断を生まないためにも、ある程度の教育は必ずあった方がいい。どんな田舎の貧乏人にも「春眠暁を覚えず」を習う機会があって、孟浩然先生に「ほんまそれな!」をすることのできるチャンスは残しておくべきだと思う。
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恋人、京都の大学に通い始めてもう三年になるのに、コロナ直撃世代だから、祇園祭を一度も見たことがないらしい。私が、食べられない粽の話をしたら「またまた~」という顔をしていたけど、本当だよ。京都の人はケチだから、食えない粽を売ってんの。
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知り合いのおねえさんは、京都へ嫁いだ最初の年に、近所から貰った祇園祭の粽を食べようとしたと言っていた。「ひとりで食べようと思って、旦那が寝静まったのを見図らって包を解いたら何も出てこないの。よそ者だからいじめられてるのかなって思った」とのこと。いい話だよね。
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恋人の家にお招きされたんだけど、なに着て行ったらいいの?という私の質問に、TLの全裸中年男性フォロワーたちから「スラックスやろうなあ」「スラックス履いてこ」「スラックスに綺麗めのシャツがよい」と次々にアドバイスが届いて、全裸中年男性も恋人の実家に行くときは服を着るんだなあと思った。
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父のお供で「シンドラーのリスト」を観てる。毎回、歴史と文学の教師が「私が役に立たない? 間違ってる、君たちは間違っている。私は歴史と文学の教師なんだぞ。それが役に立たない?」といいながら、SSに連行されるシーン(研磨工と偽ることで助かる)で泣いちゃう。
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私の育った村は、毎年秋のお祭りにお神楽を呼ぶんです。演目は決まって『ヤマタノオロチ』なのだけれど、神社の境内に敷かれた筵の上で、小さな私たちは飽きもせず「今年もあのヘビがやられるんじゃ」「アホ、あれはヤマタノオロチいうんで」なんていいながら楽しく眺めていた。
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例年の通り、ヤマタノオロチが酔って寝てしまうと、かぶりつきの私たちは、口々に「寝たらいけんわァ」と声を漏らす。すると今まで筵に背を向けていたスサノオが、ひょいと振り返って「そうじゃなあ、寝ちゃいけんわなァ」という。私たちはおかしくって「そうじゃそうじゃ」と声をかける。
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その間、切られ役のヘビは、まだ九月の暑い時分というのに、不自由な姿勢のままじっと刀を待っている。いまでこそ歌舞伎を観に行っても、田舎者とバレないようにすまして座っているけれど、いつかあのお神楽の晩のように「封印切ったらいけんわァ」と声に出してみたいなあ思う。
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昨日、先輩が研究室に、福砂屋の立派なカステラを差し入れして下さったんですね。文明堂ではなく福砂屋という時点で我々は大喜びなのですが、いかんせんその日は講義もなく、部屋に院生は三人しかいない。とても三人では食べきれないし、食べてしまうのも勿体ない。なにせ福砂屋です。
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幸い何人かの教授は各々の研究室にいるらしい。そこで我々は「このカステラをきっかけに教授を集める事ができれば(講義では聞かせてくれない)様々のお話が聞けるに違いない! カステラも片付くし…」と思い立ったわけです。いやあ短慮、短慮ですよ。コロナ禍だもの、とても呑気にお茶はできない。
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しかし一本のカステラには、コロナ世代の院生たちに夢を見させる何かがあったんです。寄席にいる前座のように細々とお茶やコーヒーの準備をしながら、耳をダンボにして教授たちのお話を聞く。そんな古き良き大学院の夢を、たとえ一時でも見る事のできる何かが、カステラ(福砂屋)にはあったんです。
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ではどうやって教授たちを部屋に呼ぶか。ここが問題です。礼儀としてはこちらから研究室を訪ねてお誘いするのが本来だけど、それなら端から持参すべきだし。悩んだ末に、我々は内線で研究室に電話をかけることにした。そうです、内線というものを使ってみたかったんです。使ったことないから。
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さっそくひとりの院生が電話をかけます。「あのォ、〇〇さんが生ものを差し入れて下さいまして…」ふいに出た生もの発言に、様子を見守っていた一同も一瞬怯みましたが、いってしまったものは仕方がない。先生方はきっとお刺身か何かとお思いになられた事でしょう。しかしあるのはカステラです。
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ばかやろう、カステラは焼き菓子だぞ。んなこといったって緊張してたんだから仕方がないじゃねえか、次だよ次、次こそ気を付けりゃいいんだろ。そんなやり取りをしながら、今度は別の先生に電話をかける。「あのぅ、〇〇さんが生ものを…」また生ものです。