岸政彦(@sociologbook)さんの人気ツイート(古い順)

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また適当なこと言ってる 沖縄については明日余力があればなんかツイートしますわ(論文の締切やねんけど) 【上野千鶴子のジェンダーレス連載】「今は、地方大学や地元就職の人気が高い時代です」|STORY(magacol) news.yahoo.co.jp/articles/1fa0d…
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「沖縄好き社会学者」って、だいたいみんな、「核家族とか結婚とかの閉塞的な近代的規範を乗り越えるポテンシャル」みたいなものを沖縄に「勝手に」見出すんだよね
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この記事についてはすでにさんざん叩かれまくっているので、私なんかがいまさら何かを付け足す意味もないですけど、まあいちおう沖縄社会研究の流れをふまえてコメントします。 news.yahoo.co.jp/articles/1fa0d…
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沖縄が「共同体社会」である、ということは、もう沖縄社会研究のなかでは定番のオチになってます。ひたすら沖縄の共同体規範を「発見」する作業が繰り返しおこなわれてきましたが、ここ数年で大きく変わりました。
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問題なのは、そうした社会学的な沖縄研究のなかで、共同体規範に対するロマンチックな理想化・本質化がおこなわれてきたということです。
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その代表が都市社会学者の鈴木広で、彼は次のように述べています。「近代合理的な形の産業化の展開に対抗して沖縄的なるものによってそれを変質せしめながら、全体としては、いわばゲマインシャフト性の濃厚なバザール性経済のなかで……意外にも悠々たる生活現実を保持しえている」(鈴木1986:416)
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要するに「一見すると貧しく見えるけど、沖縄人は共同体のなかで意外にも悠々と楽しそうに生きてる」ということです。80年代の日本の社会学者の沖縄認識はこの程度でした。
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他にも谷富夫も沖縄社会の本質を共同性として捉えていますし(谷1989)、金城一雄は、沖縄に「傍系親族世帯」が相対的に多いことをもって「沖縄家族における優しさと包含力が」存在すると述べています(新崎・大橋1989:119)。
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一方で戸谷修は、沖縄の出生率が本土より高いことの要因として(ちなみにあまり知られてないけど戦前は沖縄のほうが低い)、米軍占領下で社会保障が貧しかった/子どもに高等教育を受けさせる資源がなかった/家族親族の絆の濃い文化、の3点をあげています(戸谷1999:136)。
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このような論点は他の研究者もあげていますが、やはり沖縄の共同体規範を考えるうえでも政治的・経済的要因は決定的に重要だろうと私も思います。
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この点でやはり興味深いのは(私がもっとも尊敬する社会学者の一人である)石原昌家の『郷友会社会』(1986)です。地味なエスノグラフィで、鈴木広のネタ元でもある本ですが、すでに凡庸な社会学的本質化の百歩先を行った議論をしています。
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石原は膨大な聞き取り調査から、戦後の那覇都市圏で、離島や周辺部出身者が同郷者どうしで集まって結成していった「郷友会」の姿を描き、それが沖縄の都市化や近代化に対する沖縄人の「抵抗」であったと説きます。
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つまり同郷ネットワークは文化的本質ではなく経済成長や都市化・近代化に対する「適応の様式」なのです。
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もちろん、現在においても沖縄で共同体規範や家族主義規範が本土とくらべて相対的に強いことは確かですが(たとえば安藤・鈴木(2012)や谷(2014))、重要なのはこのような規範が「どのようにして」歴史的・社会的・経済的条件のなかで「つくられてきたか」です。
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文化本質主義は、簡単に理想化に結びつきます。「貧乏なりにみんなで助け合ってのんびり暮らしてる」のように。そういう面もあるかもしれませんが、すくなくとも基地を押し付けている側がこれを言うことには強い違和感を感じます。ていうかそもそも事実と違う。
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沖縄の共同性について、これまでの社会学的な議論を批判して新しい視点を提起したのが、自分の本で恐縮ですが、岸・打越・上原・上間『地元を生きる』(2020)です。ここでは、沖縄の階層格差から「共同体経験」を捉え返すということをしました。
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沖縄は本土に比べても相対的に階層感覚差の大きな地域です。大きく安定層・中間層・不安定層の三つに分けて、それぞれが沖縄的共同性をどのように経験し、またそれをどのようにつくりだしていくか、ということを描きました。詳しくは本書をお読みください。
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さらに、沖縄のシングルマザーが共同体に助けられている、という俗説を聞き取り調査から批判したのが平安名萌恵の論文「「沖縄の非婚シングルマザー」像を問い直す」(2020)です。 jstage.jst.go.jp/article/ksr/19…
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平安名は当事者への聞き取りから、彼女たちが共同体からサポートされているのではなく、むしろ共同体から排除されているのではないか、という仮説を打ち出しています。こちらもぜひどうぞ。
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打越正行や上間陽子たちの尽力によって、沖縄の理想化や本質化がかなり払拭されたのではないかと思います。及ばずながら私も『地元を生きる』のような調査プロジェクトのなかで、沖縄的共同性も一枚岩ではないこと、その階層的位置によってそれはきわめて過酷な状況にもなることを描きました。
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共同性というものを文化的本質ではなく社会的・経済的条件に対する「適応の様式」だと考えると、排除や暴力も内包した、非常に複雑な現実が見えてくると思います。以上、長くなりましたが、私からのコメントでした〜。
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あと、どうでもいい話ですが、私の友人の沖縄のシングルマザーのひとに何人か聞いてみたんですが、全員カギをかけてました。
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「実はA氏は大物府議の娘婿なのです。その大物府議は松井一郎大阪市長も頭が上がらない存在です。それで、再び職員として雇用したのではないかと言われています」 日本維新の会が「殺人未遂で逮捕」の秘書を党職員として再雇用 friday.kodansha.co.jp/article/248452
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おばあさんは川へ選択へ、おじいさんは山へ集中へ
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選択と集中って「予算削るけど結果だけ出せよ」っていうことですね