片柳弘史(@hiroshisj)さんの人気ツイート(古い順)

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色づき始めたモミジの木。赤、オレンジ、黄色、緑など、さまざまな色が混じりあっています(^^)
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教会の花壇のコスモスたち。まだまだ、きれいに咲いています(^^)
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誰かに悪口を言われたなら、それは、その人があなたのことを気にしている証拠。「この人は、私のことをこんなにも気にしている。なぜだろう」と考える心のゆとりがあれば、悪口を言われてもあまり腹は立たないでしょう。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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美しく色づいた山のモミジ。寒暖差が大きい場所の木ほど、色づきが鮮やかなようです(^^)
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風に揺れるススキの穂。山の中を車で走っていて、たまたま見つけたススキの野原です(^^)
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教会の庭にやってきたジョウビタキ。まるで火打石を打つような「カッカッカッ」という声で鳴くので、ヒタキ(火炊き)と名付けられたそうです(•ө•)
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出張で近くまで来たので、伊勢神宮の境内を久しぶりに散策しました。巨木たちの生命力に圧倒されます(^^)
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美しく色づいた伊勢神宮の木々。そろそろ見ごろが近づいています(^^)
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死別を悲しんでいる人を、無理に励ます必要はありません。死別を悲しんでいる人は、生きていればその人に注ぐはずだった愛を、悲しみという形でその人に注いでいるのです。静かに見守り、悲しみたいだけ悲しませてあげるのがよいでしょう。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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伊勢湾から昇る太陽。雲がオレンジ色に染まり、荘厳な美しさでした(^^)
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自分のために働いていると、途中で「こんなはずじゃなかった」と思って心が折れることがあります。苦しんでいる誰かのために働いていると、「でも、この人を放って置くことはできない」と思ってほとんどの困難を乗り越えることができます。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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美しく色づいた山のモミジ。思わず息をのむ美しさです(^^)
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夕暮れ時の後楽園。こちらから見る岡山城も見事です(^^)
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「なぜあの時、あんな道を選んでしまったのだろう」と、後から自分を責めても仕方がありません。そのとき、そのときで、自分にできる最善の判断をしてきたのなら、いまいるこの場所こそ、自分が本当にいるべき場所なのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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美しく色づいた公園の木々。ケヤキやウルシから始まって、イチョウ、モミジへと紅葉が進んでいきます(^^)
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見ごろを迎えた教会の庭のリンドウ。秋の陽射しを浴びて、次々に花を咲かせています(^^)
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銀座・教文館で開催中の「ハウス・オブ・クリスマス」、ヨーロッパから直輸入のクリスマス・グッズが店内を埋め尽くしています。本場のクリスマス・マーケット並みの品ぞろえ。銀座にお越しの際は、ぜひお立ち寄りください。 ※オンラインでもお求めになれます⇒ shop-kyobunkwan.com/house-of-chris…
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美しく色づいた公園の木々。宇部の街中でも、紅葉が一気に進みました(^^)
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「体が疲れて動かないときには、決してあせらないこと。『あれもしなければ、これもしなければ』とあせり、心を空回りさせれば、心まですり減ってしまいます。体が動かないときには、自分の限界を受け入れ、回復を待つのが一番です。」 『こころの深呼吸~気づきと癒やしの言葉366』(教文館刊)
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「こんな自分でも、誰かの役に立つことができる」、そう気がついたとき、私たちの中に眠っている力が目を覚まします。私たちの中には、自分自身のためには使うことができない力、誰かを幸せにするためだけに使える力が眠っているのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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教会の庭の水場に、エナガ、メジロ、ヤマガラなど、小鳥たちが次々とやってきます。見ていて飽きません(・θ・)
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美しく色づいた山のモミジ。燃え上がるような赤です(^^)
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見ごろを迎えた、山口市・瑠璃光寺の紅葉。まるで名所カレンダーかHPのような美しい景色です(^^)
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幸せとは、この世界で自分にしかできない大切な役割を見つけ、それを精いっぱいに果たすこと。誰かをうらやましがり、その人と入れ替わったところで、決して幸せにはなれません。自分の幸せは、自分で見つけ、自分で生きるものなのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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美しく色づいた、山口市・パークロードの木々。都市の中心部にありますが、山の紅葉にも負けないほどの美しさです(^^)