片柳弘史(@hiroshisj)さんの人気ツイート(いいね順)

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教会の花壇が、だいぶ賑やかになってきました。アネモネやラナンキュラス、ノースポール、サイネリア、ネモフィラなど春真っ盛りです(^^)
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外見が美しいかどうかは関係がありません。どんな姿であっても、自分なりに精いっぱい生きようとしているなら、その人は美しいのです。たとえ汚れても、傷だらけでも、それでもあきらめずに生きようとしているあなたは限りなく美しいのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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満開を迎えた、神戸布引ハーブ園のコスモス畑。さわやかなレモン色が、真っ青な秋の空によく映えています(^^) #神戸布引ハーブ園
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教会の庭のメジロたち。ミカンをおいしそうについばんでいます(◉Θ◉)
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次々と開花する、教会の庭の「プリンセス・ド・モナコ」。寒さが厳しくなるにつれ、色が濃くなってゆくようです(^^)
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色とりどりの梅の花が、満開を迎えた春の梅林。まるで絵のような美しさです(^O^)
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教会の軒先に咲いた「曜白朝顔」。中心部から延びた、白い筋がおしゃれです(^^)
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津和野にて。軒先の手水鉢に、乙女椿が一輪浮かべられていました(^^)
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誰かに助けてもらうのを情けなく感じるなら、助けあって生きる社会は実現できません。助けあって生きる社会とは、自分が誰かを助けられるときには助ける。助けが必要なときには助けてもらう。それが、当たり前にできる社会のことなのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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開花が進む、光市・冠梅園の梅。菅原道真の冠を祀っている冠天満宮に隣接して、100種類、2000本の梅が植えられています(^^)
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教会の軒先で、節分草が開花しました。毎年、この時期になると花を咲かせるかわいらしい山野草。季節の変化を実感させてくれます(^^)
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たとえ体は衰えても、心に愛の火が燃えている限り、その人はいつまでも若さを失いません。目は喜びに輝き、口からは明るい言葉があふれ、自分よりも周りの人たちをいたわって、いつまでも幸せに暮らすことができるのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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大きな失敗をして自分の弱さや不完全さを思い知らされたとき、私たちは、そんな弱くて不完全な自分さえゆるし、受け入れてくれる家族や仲間の愛に気づきます。自分の小ささに気づくとき、私たちは、家族や仲間の愛の大きさに気づくのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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住む所があるのは当たり前。食べ物があるのは当たり前。友だちがいるのも当たり前。そうやって当たり前と思えるのは、その人がとても恵まれているということ。「当たり前」の一つひとつに感謝すれば、幸せをかみしめることができるでしょう。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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美しく色づいた、教会の庭のアジサイたち。いよいよ、アジサイのシーズンの到来です(^^)
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開花を始めた寒桜。うつむき加減に、清楚な花を咲かせています(^^)
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満開を迎えた庭園の梅。庭中に、甘酸っぱい香りが漂っています(^^)
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光市、冠山公園にて。見ごろを迎えた梅の枝で、メジロたちがお花見の宴を楽しんでいました。くちばしが、花粉で黄色くなっています(◉Θ◉)
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「ああなったら困る」と恐れを感じていると、自分を守ろうとして周りの人を攻撃するようになり、実際、困ったことになってしまいます。「大丈夫、なんとかなる」と信じ、みんなと仲よくやっていれば、実際、なんとかなってしまうものです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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柿の木の枝に止まったスズメたち。ふっくらと、可愛らしい姿に癒されます(。・ө・。)
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満開を迎えた、美祢の山里の桜。山奥なので訪れる人はほとんどいませんが、美しさには変わりがありません(^^)
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教会の花壇で、シュウメイギクが花を咲かせました。漢字で書くと「秋明菊」。その名の通り、秋の庭を明るくしてくれる花です(^^)
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清らかな水をたたえた、美祢市の弁天池。吸い込まれそうな青さです(^^)
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自分の足にぴったりの靴を見つけると、その靴を履いて、どこまでも歩いてゆきたくなります。生き方もそれと同じ。自分にぴったりの生き方が見つかれば、人生の道のりを、軽やかな足取りでどこまでも歩いてゆくことができるでしょう。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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公園のスズメたち。くちばしで突いたり、足で掻いたりして、丹念に毛づくろいをしています(。・ө・。)