トニー賞を受賞したアレックス・ニューウェルのスピーチ。 「私を見てくれてありがとう、ブロードウェイ。私はここにいるべきじゃない、クィアで、ノンバイナリーで、太ってて、マサチューセッツ出身のブラック・リトル・ベイビーだから。自分にはできないって思ってる皆…↓ twitter.com/SpencerAlthous…
「パレード」でトニー賞ミュージカル演出賞を受賞したマイケル・アーデンのスピーチ。 「子どもの頃から、思い出せないくらいたくさんFワード(※ファゴット、男性同性愛者に対する侮蔑語)で呼ばれてきた。今言えるのは『僕はトニー賞を取ったファゴットだ』ってことさ」 みんな大歓声! twitter.com/SpencerAlthous…
マイノリティが映画等に登場する機会が増えることに拒否感を覚えていたが、子どもが生まれその未来がよりよくなることを悟って考えを改めた、みたいな文章を読んだ。たぶん研究すべき何かを見るような目で見ながら。私にはいつもマジョリティの考えることがわからない。
この人のようなごくありふれた「よき」人は、「自分事」としてとらえない限りは、他者のために自分に都合のいい現実を少しでも変えられるのが嫌らしい。そして「自分事」の範囲はおそらく幅があるだろうが、時には友だちというだけでは十分ではないらしい。
マイノリティの友だちはいて、彼らには悪い感情なんてない、でも彼らのような人たちが映画に出てくると拒否反応を起こす、不自然な配慮だと思う、そして彼らの不在にはきっと気づいていない。こういう人たちが拒否反応を起こすのは決まって彼らの「存在」にであって、「不在」にではない。
でも自分の子どもの生きる未来のことを思って、多様性ある社会の大切さに気付く。友だちがマイノリティだった時には気づかないものが、自分の子どものことを考えると気づける。それは恐らくは、友だちは他者であり子どもは自分の延長線上にあるからなのだろう。
私は他者のために怒りたい。自分と似た人のために。自分とは似ても似つかない人のために。会ったこともない人のために。怒らなければならない。そんなことを考えるなどした。終わり。
「シス/シスジェンダーという語はこのプラットフォーム上で侮辱語とみなされる」と例の人が発言した件、現在シスisnotaslur というハッシュタグで「いや侮辱語じゃねえわ」という声が上がっています。いくつか下に繋げるね。
「あなたがシスで、シスが侮辱語ではないとわかっているならリツイートしてくれ」 twitter.com/sethabramson/s…
「男は覗けるなら覗く」の件、一番怒らなきゃいけないのは男の人ではないの…チャンスさえあればそういうことを「当然」行う生き物だと思われているんだよ…