226
御所に出向いた和田義盛の帰りが遅いことに息子達が「嵌められた」と思い込み挙兵してしまう。この流れは『吾妻鏡』の仁田忠常の最期に似ている。比企追討の褒美を受けに北条時政邸を訪れた忠常だったが、帰りが遅く、時政追討の謀略が露見したと弟達が勘違いし挙兵してしまう。 #鎌倉殿の13人
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大江広元が御所の文書を鶴岡八幡宮に移そうとする。承元2(1208)年1月16日に名越の三善康信邸が焼亡して、邸宅の文庫も焼けた。そこには将軍家の書物、問注所の裁判記録、先祖伝来の文書などが収められていた。これが全て灰となったことが背景にあるんだろうな。
#鎌倉殿の13人
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和田義盛を半ば騙し討にして、義時が「鎌倉殿に取り入ろうとするものの末路」とのたまう。しかし、戰場を去るときの義時の泣きそうな顔。内心は義盛を討ちたくはなかったのだろう。己を頼朝の代わりとして、黒い部分は鎌倉殿には求めない。全てを飲み込もうと必死なのだ。
#鎌倉殿の13人
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すごいな。「#新語・流行語大賞」で「#ちむどんどん反省会」のノミネートが全方位的に否定されている。と、いうか「#新語流行語大賞」自体があまりに肯定的な意見が少ない。時代がすでに求めていないんだよ。昔のような老いも若きも男も女もという爆発的な大流行なんてないしね。
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陳和卿に「前世は医王山の長老であった」と告げられたことに、実朝が「それは6年前の夢と合致する」と驚いた話(『吾妻鏡』建保四年六月十五日条)。実朝の「特殊能力」は何度となく『吾妻鏡』に記されている。例えば、馬鳴大明神から合戦(和田合戦)があることを夢に託宣されている。
#鎌倉殿の13人
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陳和卿は山師的なところがあって、大仏再建には貢献したんだけど、褒美に貰った土地を巡って東大寺や重源と仲違いして京を飛び出し、あれほど嫌った頼朝の息子・実朝に「あなたは前世の師匠でした!」とかおべんちゃらで取り入って、宋渡りを進言して大船建造してるし。
#鎌倉殿の13人
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源実朝に陳和卿が「前世 貴方は宋の医王山の長老で 私はその弟子でした」と涙ながらに語る。これは百済の僧・日羅や阿佐王子が聖徳太子を救世観世音と拝し、太子も「前世 師弟であったね」と述べた話を模しているのよ。太子信仰してた実朝にしたら「えっ、推しと同じ!」と喜んじゃう。
#鎌倉殿の13人
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今日の #舞いあがれ 。笠やんが何をしていたか、加工の簡単な図解です。使っていたのはフライス盤という金属を切削する機械。見た目には地味な作業ですが、見る人が見るといろいろと「面倒な」作業をしていましたね。(そういうところは説明するのも結構難しいのですが、細かいところはおいおい。) twitter.com/raizou5th/stat…
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舞の記録は飛行時間10分、飛行距離3.5キロ。放送も約8分あまり飛行している姿を映していたから、視聴者も「なにわバードマン」の一員として、テイクオフから着水までをほぼノーカットでリアルに体験していたことになる。今までの紆余曲折を知るものとして、自然と涙してしまう。
#舞いあがれ
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本放送されているドラマの内容を呟いたら、夜見るつもりだったので細かいところまで載せないでほしかった、と言われて困惑している。ではいつだったら呟いていいのか?1時間後?1日経ったら?1週間あけるの?本放送前のネタばらしでもないし、なぜそこまで誰かに気をつかわねばならないのか。
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由良先輩の「日本ではな」の意味を教えてくれる記事。小柄であったことから航空大学校への進学をあきらめて立教大学に進学、日本では叶えられなかったパイロットの夢のために、アメリカに留学した方のお話です。
#舞いあがれ
rikkyo.ac.jp/closeup/alumni…
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公暁が鎌倉に戻ってきた時点で、頼朝の血を引いた男子の子孫は、頼朝の三男・貞暁(32歳)、四男・実朝(26歳)、 頼家の息子・公暁(18歳)、栄実(生死については諸説あり)、禅暁(15〜17歳)。実朝以外は皆、仏門に入っているが、還俗という手もあるので、実朝の後継がいない訳ではない。
#鎌倉殿の13人
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公暁は通称「悪別当」。「悪」は「悪い」ではなく「強い」の意味があったことは、ご存知の通り。公暁が自ら「悪僧」と言っていたが、相当強かったのね。
#鎌倉殿の13人
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政子が実朝に向かって「従三位♥」とやるシーンは、頼朝が京より帰ったとき「征夷大将軍じゃ!」と政子と喜んだシーンに重ねたのね。実朝もあのときの政子と同じように頬をペチペチやる。ああ、これが実朝の「絶頂」であったのね。
#鎌倉殿の13人
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義時が見た白犬の夢。『吾妻鏡』(建保六年七月九日条)には、実朝の直衣始の夜、義時の夢に信仰していた薬師如来の眷属 戌神将が現れ「今年は無事、でも来年の拝賀は供奉をやめよ」と告げた。義時は「何いってんだがよく分からないけど、ありがたい」と、堂を建て薬師を祀ることにした。
#鎌倉殿の13人
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平六が襟に手をかけながら「(公暁に怪しい動きは)何もない」と答える。平六が襟を触るときは、何か後ろめたいことがあるときなのね。比企能員の変のとき、狼狽する能員に「北条とは二代に渡る刎頸の交わりよ」と言って襟に手をかけていた。(襟を触るは、何度となくやっているよね……)
#鎌倉殿の13人
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実朝が拝賀出発の際に覺阿(大江広元)は涙を流し「成人ののち、私は泣いたことがない。なのに傍らにあるだけで涙が出てくるのです。只事ではないので、御束帯の下に腹巻を着けてください」と進言したが、源仲章が「大臣大将に昇る人がそんなことせんやろ」と止めた。広元何か知ってたな。
#鎌倉殿の13人
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「私の顔がわるくなったとおっしゃいましたね。」
「あまりひどい時は言わないようにしているんだ。」
運慶さん、それは……そういうことですか?救いを求めながら黒くなっていかざるをえない義時の苦悩を、
「好きなだけ拝んでいけ」
と言い放つ。やはり名人とは目が利くし鋭い。
#鎌倉殿の13人
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源実朝は建保7(1219)年1月27日、夕方に降り出した雪が二尺あまり積もるなか、右大臣拝賀式のため鶴岡八幡宮に向かう。南門をくぐったのは酉の刻(午後6時の前後1時間)、参拝を済ませて退去する頃には恐らく戌の刻を過ぎていたのだろう。それだから「白犬=雪の戌の刻」なのか。
#鎌倉殿の13人
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この逸話を義時(何かありそうと伝える)と泰時(腹巻=鎧をつけてください)、それぞれに割り振ったんだな。そして #鎌倉殿の13人 の広元は「予感」で進言などしない、現実主義者でしたね。
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舞ちゃんが入学まで1年待機していたのは、航空大学校では合格者を年4回に分けて入学させるため。合格後、6月、9月、12月、翌年の3月に入学することになるが、これは入学者の希望などを聞いた上で決定される。また訓練の進み具合により、あとからの入学時期が変更されることもある。
#舞いあがれ
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この6人の中で自らの操縦で空を飛んだことのある人って、たぶん舞ちゃんだけなのよね。人力飛行機とはいえ、空を飛ぶにはどれだけの人が関わり、話し合い、協力して飛ばすものか経験しているのは大きい。都築ポイントのこともあるが、チームを繋ぎ止め、世話を焼くのはそこにありそう。
#舞いあがれ
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源仲章が太刀を持つ役割を交代する。これは参列した公卿との官位の関係で、義時では官位が低すぎるためだとは思うが、それをここまで憎々しく描くとは、三谷幸喜さんの筆の力はすごいな。
#鎌倉殿の13人
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『吾妻鏡』には、実朝が庭の梅を眺め
出でいなば主なき宿と成ぬとも軒端の梅よ春をわするな
と詠んだ。この歌は菅原道真の
こちふかば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春をわするな
を思わせることから、(主=実朝が戻らない)「不吉な歌」と記されている。そういえば共に右大臣…
#鎌倉殿の13人
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例の入浴剤の話でトレンドに「エリザベート・バートリー」が上がるのはなかなかのものだと思うのと同時に、日本の教養は漫画・アニメによって底上げされているんだなぁとつくづく思う。