来年度の時間割や授業開講形態の調整が進んでいる。その過程で恐れていたことが発生。対面授業を回避したい人、オンライン授業を回避したい人がそれぞれ退職を申し出てきている。時間割担当発狂中。例年この時期は公募はそれほど多くないものだが、今年はいつもより出てくる。うちも出るよ完全公募。
そういう経団連の人たちは、採用時にコミュ力体力従順性ばかり評価して、金も出さないくせに自分たちに都合良く育成させようとして、社内での新しい提案をマメに拾うこともせず、既卒や転職組を積極的に採用せず。大学は八つ当たり用のサンドバッグじゃないんだよ。 twitter.com/news24ntv/stat…
科研費や研究費から懇親会費計上しようとしたら研究に無関係且つ無駄と突っぱねられるが、この記事添付したら通るかな。(無理) 「会食を目的にやっていない。意見交換を考えてやっている。全く無駄なことをしているわけではない」自民党の二階幹事長、大人数会食批判に反論 jiji.com/jc/article?k=2…
1950年代に新型コロナが流行っていたらどうなったと思いますかと学生が。国民皆保険システムができてないから国民の過半数は病院に行かず、診断システムがないから今年の風邪はひどいねーで終わり、高齢化が進んでないから重症になる率が下がり、ワクチンが作られることはなかっただろうと答えた。
そんな情報はネットですぐ調べられるのにどうして当時の人は調べなかったのですか?と学生に問われ遠い目になる案件続出。1980年代には君達のイメージするような「ネット」は存在しなかったんだよ。これって総合的な「歴史の授業」の問題なのか、それとも過去の事象に対する想像力の問題なのか。
公衆衛生史を研究していてつくづく思うが、一旦パンデミックが発生したら、ウィルス様の気が済むまで人間は頭を低くしてやり過ごすことしかできない。ワクチンは万能じゃないし、人の行動は制御しきれないし、環境も組織もすぐには変わらないし。そして過ぎ去った後に残るのは強化された管理。
ノースカロライナの天然痘流行を追っかけていると、ワクチン打つにもいろいろな配慮ポイントがあり、それをクリアするのが本当に大変。変質させずに集めて保管して配布しても、医者が扱い間違ってダメにしたとか。無事に接種まで行きついても子供だと患部をかき壊して別の菌に感染するとか。
いろいろな噂が出回った結果、ワクチン接種に出かけた医者が糞尿をぶちまけられたとか、学校で集団接種しようとしたら親が子供を学校から引き上げさせたとか。結局ワクチンを打たせるには強制接種しかなく、そのために誰がいつ打ったかの記録をきっちり取るようになり。しかしその記録の保管に失敗し。
ちなみにいま上げたのは現代ではなく20世紀初頭の話。でも今でも形は違えど似たようなことはあるよね。
ノースカロライナの天然痘流行の後日談。種痘を適切に施せない医者が続出したので医師免許試験を難しくしたが、すでに開業している医者の再教育には政治的に踏み込めず、結局は大幅な改善には至らず。その他、住民が古くからの馴染みの医者を信頼して、最新の教育を受けた医者を追い出したり。
こういう話をすると、一昨年までの学生は「昔は大変だったんですねー現代に生まれて良かった〜」と言ったが、去年の学生は「……昔も今も変わりませんね。」
「ひとりごちる」の話題を見てみたが、私的に一番ウケたのは一人でいいメシを食うことだと思ってたというやつ。このご時世だし、そのうちそっちの意味が優勢になるかもと楽しくなった。今日のお昼は何をひとりごちるかな。
批判=悪口と思っている学生が多いので批判の仕方を教えるのに苦労する。批判という言葉を使わずに方法だけを示す(どんなバイアスが存在しているか、どんな論点が欠けているか、どう構成したらもっと良くなるか)と学生は上手くやるが、「今のは良い批判でしたね」と口を滑らすと皆凍りついてしまう。
GHQが保健所網を整備して専門知識を持つスタッフを配置して母子保健を中心に保健業務を充実させようとしたが、保健師や助産師の専門性を引き上げる試みを日本文化に合わないとギリギリまで否定し、彼女たち現場の滅私奉公的頑張りだけを称揚してきた姿って、昔話として片付けられないものがある。
COVID19もあと6-7年くらいで市中感染症のひとつになるんだろう。いま私の中で市中感染症になるまでの社会的プロセスがどういうものになるかが熱い。公衆衛生史をやっている者にとっては毎日がフィールドワーク。
いま読んでるスペイン風邪の史料より。 ロックフェラー財団国際保健委「体調不良者を広い兵舎でまとめて寝かせるな。観察と治療に便利?ふざけるな続々と肺炎起こしてる、これ伝染ってるよ」 陸軍「断る」 ロックフェラー「せめて大学生だけは。彼らの知識は社会に必要」 陸軍「だが断る」
電車ですぐ隣に座っている高校生集団が世帯収入の話をしていて「年収6000万?それって大学教授クラスだろ」と言い出したので、情報の訂正をしたくてたまらない。
論文書いててこれで最終段階となった時、こんな皆が知ってるようなこと書いて何の意味があるんだよと、全部消してしまいたくなりませんか。私はなります。実際には知らない人の方が圧倒的に多いんだけど、自分は何度も吟味してるから周知の事実のように思えて。
ところで「あなたはそれなりに論文書いているようですが、その割には一般には全く知名度ないですよね。それって大学としてどうなんでしょうか」と外部理事に言われたのだが、なんなんこれ?クビにしてタレント教員雇いたいってこと?
先日、某部長が「あの先生子どもがいるから夜の会議途中で帰っちゃうんだよね、だから仕事してない」と言ったので、「夜まで会議するのが間違ってませんか」と言い返して嫌われた。少子化で大学の定員満たすの難しいどうしようと言いながら、足元で少子化促進してどーする。
20年前、私も同じことを言われたなあ。会議短くしたらどうですか?と言って今と同じように嫌われたし。まあ、あの人たちに嫌われてもなんとも思わない性格だからいいけど、傷つきやすい人たちは辛いだろうね。(嫌われても構わないがいつまでもネタにするくらい忘れない。)
大掃除のために今まで見ないことにしていた箱を開けた。さまざまな物に混じって20年以上前のポケットティッシュがいくつも出てきた。その辺の街角で配っていた代物だが、使ってみると今のに比べてサイズは大きく紙は厚く、肌触りも良かった。これが使われていた豊かな時代があったのだな。
大体がダイヤルQ2とかテレクラといった今の若い人はわからないだろうサービスのティッシュ。それに混じって北洋銀行の「新キャラクター」ほっくーの宣伝ティッシュも。調べてみたらほっくーが登場したのは2002年。テレクラのよりほっくーのティッシュの方が質が良かった。
その昔、私の師匠は「自分の研究テーマと違っても耳学問のために研究会に出なさい」「そこで必ず一つは質問しなさい」と言った。院生だった私は、いやいや全然関係ないしー質問するにも全くわからんしーと思っていた。でも師匠のアルカイックスマイルが怖いので参加して質問した。
退職後、師匠が学会に出席した時。質問者は名前と所属を言ってから発言しろと司会が言ったのを受けて、「年金生活者の斎藤です。この分野はよく知らないのですが…」と始めてフロアが複雑に揺れたのを思い出した。あれ絶対狙って言った。