この前カフェに行ったら、お母さんと4歳ぐらいの女の子が入ってきて隣の席に座った。女の子が「ママ〜絵描いて」と言い始め、お母さんが「何描いてほしい?」と聞き返す。きっとアンパンマンや子どもに人気なキャラクターの絵を言うのかと思ったら「オカモト タロウ」とその子が答えた。うん…?何かの
看護学生の頃、夏休みの宿題で「オムツに排泄をしてみて感想を書きなさい」という課題が出た。1人1枚ずつオムツを配られた。夜中、尿意を極限まで我慢し、誰もいない部屋でオムツへの排泄を試みた。でも、全く出ない。頑張って出そうとするけど、脳が勝手にストップをかけてくる。とてつもない羞恥心も
感じた。私たち看護師は「トイレに行きたい」と言う患者さんに、「今は立てないから、オムツにしてください」と平気で言ってしまっているけど、これがどれくらい恥ずかしくて自尊心を奪うものなのかを身をもって経験した。今でも「オムツに排泄してください」とは極力言わないようにしている。医師に
安静度を確認して、トイレへの移動許可を得たり、リハビリをしてトイレにお連れしたり。オムツへの排泄は看護師としては処理も楽。だけど、「こんなところにするなんて恥ずかしい」という患者さんの気持ちには寄り添いたい。
看護師9年目の頃、新人指導に頭を悩ませていた。5人のグループリーダーが集まり話し合い。どのグループの新人もなかなか成長せず、リーダー達からは「言っても理解してくれない」「何度言ってもできない」と諦めに近い言葉が出ていた。そんな時、話し合いに参加していた師長が
「何回伝えたの?新人に7回同じ事を言っても無理なら、それは相手に理解力がないのではない。それは伝え方の問題。今までの教え方では相手に伝わってないって事。伝え方を変えてみなさい」と言われた。その時は納得できなかった。なぜ、全て教える側だけに努力を強いるのか理解できなかった。
でも時間が経ち、今なら分かる。人の理解力は本当にさまざま。言葉を噛み砕くことや、日常の分かりやすいものに例えて伝えるなど工夫はできる。相手の理解力が足りないと嘆くのではなく、まずは自分の伝える力が足りないのではないかと考えるようになった。相手に合った伝え方って必ずある。
看護師になってから「内縁の妻」という言葉をよく聞くようになった。時々、緊急連絡先の欄に続柄を「内縁の妻」と書かれており、新人の頃に初めて聞いた時には、オープンにできないようなドロドロした関係なのかと思っていた。世の中って、内縁関係の人が案外多いんだなって気付かされる。
70代の男性患者さん。ナースコールが鳴り、部屋に行くと「水ください」と言わた。吸い飲みに水を入れ、持っていく。「・・・」無言。「お身体拭き終わりました」と言っても頷くのみで無言。違和感を感じた。稀にいる、何をされても「ありがとう」という言葉を言わないタイプの人だなと察した。
"看護師は、これぐらいして当たり前"という考えがあるのか…。私たちは、「ありがとう」の言葉が欲しくて働いているわけではないけど、患者さんの「ありがとう」の言葉で頑張れているのは事実。この「ありがとう」の言葉って不思議で、言われると、この患者さんのためにもっと何かをしたいと思える。
これは日常生活でも一緒で、どんな職種、どんな相手であっても「ありがとう」を言う事で、相手のやりがいや、もっとしてあげたいという気持ちを引き出す事に繋がる。だから私は、コンビニ店員、配達の方、清掃員、飲食店の店員さんなど日常で関わる人全てに「ありがとう」を伝えるように心がけている。
これだけは言える。今までの人生で「ありがとう」を言って、得した事は山ほどあるけど、損をした事は一度もない。
何を隠そう、私はレッドブル恐怖症。疲れた時には病院内の自販機に売られていたユンケルを飲んでいた。そんな私が、レッドブルの存在を知ったのは看護師6年目の時。味も好きな感じだし、疲れも吹き飛ぶ感じがした。しかし、それを飲んだ夜勤。患者さんが急変し亡くなった。その時はレッドブルを飲んだ
日本人は謙遜を美徳とする生き物だけど、先日両親といた時、父親の知り合いに会い「え、娘さん?キレイだね〜」と褒められた。お決まりの「そんな事ないですよ〜」と返そうとしたところ、父が「韓国に5回ぐらい行ってるからね」と言った。"うん?私、韓国にそんな行ったことないけど?"と思っていたら
看護師2年目の時、担当した患者さん。威厳がある方だった。14時になり面会時間となると、黒ずくめのスーツの方達が続々と集中治療室に入って来られた。21歳にして初めて出会うヤ○ザの方々。緊張して血圧を測る手が震えた。すると、「お世話になります」「状態はどんなでしょうか?など、とても礼儀が
あまり知られていない看護師の仕事。それは"お亡くなりになった患者さんのご遺体を、冷蔵庫に入れる"というもの。ある日、深夜にお亡くなりになった患者さん。病理解剖をする事になった。しかし、病理解剖が後日になると聞き、それまで冷蔵庫で保管することになった。患者さんをストレッチャーで
地下にある冷蔵庫まで運び、冷蔵庫用のステンレスの板に移し替える。そして冷蔵庫の扉を閉める。暗くて狭い場所。さっきまで生きていらっしゃった方を冷蔵庫に入れるというものは、何だか悪い事をしているような複雑な気持ちになった。自然と「ごめんなさい」と心の中で言ってる自分がいた。
看護師3年目の頃、夜間に患者さんが急変した。心筋梗塞を起こした様子。当直の先生へ連絡し、緊急の心臓カテーテル検査をする事に。当直の先生が人を集めるため、応援を呼ぶ。しばらくして院外から集まってきた先生たちからは、お酒の匂いがした。「今日、忘年会だったんだよね」と一人の先生が言う。
その日、循環器内科の忘年会中だった先生たちが、忘年会を切り上げ全員集まってきた様子。酔っ払ってるのに大丈夫なの?と思ったが、白衣を来て検査が始まると、全員顔つきが変わり、普段の真剣な表情に。スイッチの入り方に驚いた。急変対応の時に出る、人間のアドレナリンってあなどれないなと思った
看護師6年目の春、地元の桜の名所で友人たちと花見をしていた。自販機で並んでいた所、突然となりの列にいた高齢女性が直立のまま後ろに倒れた。駆け寄ると心肺停止状態。病院外での急変に体が震えた。すぐさま心臓マッサージ開始。友人Aが救急車を要請し、友人BがAEDを探しに向かった。
必死で心臓マッサージをしていたところ、突然見知らぬ男性が来て「心臓マッサージ止めてみて」と言ってきた。救急隊が到着したのかと思い、心臓マッサージの手を止める。すると男性は、首の動脈を触れ「(心臓)戻ってるね」と言った。よく見ると救急隊ではない。"誰、この人?"と頭が真っ白になった。
すると「僕、医者です」と男性が一言。話を聞くと、その男性は友人に誘われて他県からたまたま旅行に来ていた医師だった。なんとも奇跡的な状況に驚いた。その後、救急車が到着し女性は病院に運ばれた。命のバトンが繋がった瞬間だった。
その日は嫌な予感がした。ある夜勤の日、病院に向かっている途中でふと感じた不安な気持ち。"今日の夜勤中、突然地震がきたらどうしよう" と脳裏に浮かび、そこからずっと災害時にリーダーとしてどう動くかをイメージしていた。病院に到着し、夜勤メンバーにさっき感じた不安について話すと笑われた。
少し落ち着いた頃、後輩から「勤務前に言ってた事が本当になりましたね」と言われ、鳥肌が立った。今でも不思議な体験。でも、あの時に頭の中でシミュレーションをしていたから、スムーズに動けた。災害はいつ起こるか分からない。普段から、訓練やシミュレーションをしておく大切さを改めて感じた。
ある日、自殺未遂を図った患者さんが入院してきた。翌日、患者さんのお母さんから話しかけられた。「この子は昔から不幸続きなんです。お姉ちゃんはいつも上手くいくのに、この子は上手くいかない事ばかりで…かわいそう」と言われ、今回の自殺の経緯も聞き、同情した。その時は、母親の言葉は