鉄コレ南海6000系新塗装2両セット販売を記念して・・・。平成4年のダイヤ改正で御幸辻~橋本間が、部分改良により20m車の入線が可能となりました。11000系以外にも、朝・夕のラッシュ時に各1本、20mステンレス車が4両編成で橋本まで運用されていました。旧線の単線時代を走る、橋本発の急行です。
南海1521系は8両が弘南鉄道に譲渡され、そのうち6両が弘南線へ2両が大鰐線に配属されました。20m片側4扉の収容力で朝のラッシュ輸送に威力を発揮しましたが、半自動改造されなかったため冬場の車内保温の問題、また機器などの老朽化に伴い、短命で終わりました。
いまはなき阪和ライナーですが、一時的にやくも色の381系が日根野に貸し出された事がありました。残念ながら阪和ライナー専用で、くろしお運用には使われませんでした。
奥羽本線の有名撮影地を走る南海1521系甲種輸送。弘南鉄道大鰐線所属となる1524・1527は、大鰐線内はED221に牽引されて車庫のある津軽大沢駅まで輸送されました。なかでも1524は、本来は天王寺線廃線で廃車になる予定が奇跡の本線(支線)復帰を果たした、1521系一族の中で最も幸運の持ち主でしたね。
南海2000系(その2)。初めての山線試運転で、初めて極楽橋駅に到着した時の2001F。初めて極楽橋駅でVVVFサウンドを聴いた時の感動は、今でもハッキリ覚えています。いま見ても、とても洗練された素晴らしいカラーリングだと思うのは、私だけでしょうか?
223系0番代普通日根野行。いまも223系の普通は見られますが、2連口+2連口での普通は、この頃にしか見れなかった姿でした。
大阪駅で発車を待つキハ58系 急行たかやま。この日は、先頭に国鉄急行色のキハ58が連結されていました。やはりキハ58は、国鉄急行色が一番似合いますね。
1994年10月9日・10日、大宮工場100周年と鉄道の日の制定記念イベントとして、大宮工場で行われた「新旧つばめの出会うとき」。大宮・高崎・梅小路、さらには九州から歴代の「つばめ」号が集められ展示されました。787系は、やはりこのデザインが一番似合いますよね。
1992年4月8日に須磨浦公園付近で発生した寝台特急「さくら」トレーラー衝突事故。スハネフ142は14系の先行試作車でしたが、この事故で廃車に、EF66 55も大破したものの復旧されましたが、この事故が原因で不具合が多発して早々に廃車になりました。
大阪球場とラピート。いまは「なんばパークス」となってるこの場所、かつては大阪球場で南海ホークスの本拠地として使用されてましたが、この頃は住宅展示場として利用されていました。いまでも難波駅いえば、この光景を思い浮かべる方が多いかと思います。
京急逗子線神武寺駅付近の、(旧)東急車輛専用線で和歌山市駅に向けて出発待ちの南海50000系。 都営5000形や京急800形の姿も、懐かしいですね。
489系白山色による「スーパー雷鳥」。本来は485系「スーパー雷鳥」専用編成で運用されますが、ごく稀に489系白山色が運用に入る事がありました。 もちろんボンネット車にも、専用のヘッドマークが用意されていました。
弘前駅でJR701系と並ぶ南海1521系。和歌山市駅から弘南鉄道に向けて甲種輸送された南海1521系は、途中の弘前駅で弘南線用と大鰐線用に分けられました。弘南鉄道の職員さんが線路に下りての撮影を許可していただき、JR701系と大鰐線用1521系との貴重な並びを撮影する事が出来ました。
本日は、南海6000系(6001・6601・6002)の57歳の誕生日です🎂  おめでとう🎉 いまも快速急行から各駅停車までの幅広い運用をこなす6001Fは、誰もが認める『レジェンド』の名に相応しい車両です。 6000系の置き換えがいよいよ始まりましたが、最後の最後まで全力で駆け抜けて欲しいですね❗
先日、南海6000系6009Fが小原田まで廃車回送され、本格的な解体作業が始まりました。この編成は6000系唯一の運転台撤去車が組み込まれている編成で、趣味的にも面白い編成でしたね。引退と言うことで、更新改造出場試運転時の6009F編成を。(昭和63年7月) さようなら 6009F。
485系 急行「きのくに」。昭和60年3月のダイヤ改正で、急行「きのくに」は特急「くろしお」に昇格して消滅しましたが、最終日のみ翌日から「くろしお」に投入される485系も使用されました。「開かずの扉」で有名だったクハ481 200番台の貫通扉が使われた姿は、当時はとても新鮮に見えましたね。
東急車輛から和歌山検車区に到着後、整備のため千代田工場へ回送される南海9000系9513F。南海のグリーンを上手く配色したデザインも、新塗装化で消滅したのはとても残念でしたね。
国鉄和歌山駅で天王寺発の国鉄「きのくに」と連結した南海「きのくに」。和歌山駅では、南海キハと国鉄キハの連結の儀式(?)が、日常的に見る事が出来ました。夏場は、南海キハに乗車してる乗客のほとんどの方が、国鉄キハに移動していましたね。
6905-6016が、旅立ちました。元同僚であった21000系との再会はもちろん、「SLかわね路号」との競演がいまから楽しみですね。再掲ですが、21003Fの時の画像(21004)も。
国鉄末期の昭和60年7月29日から昭和61年3月末まで、梅田南コンテナヤード跡地にて、義経号を先頭に余剰車のサロ581・サシ581を各国の特急車両の塗装に施された「IMPORT EXPRESS OSAKA」が開催されました。 派手なアムトラック塗装が意外に似合っていましたね。
加悦SL広場が本日をもって閉園、南海モハ1202の今後が心配なところですが、貴志川線引退時にもう1両モハ1210が那智勝浦のグリーンピア南紀に譲渡、軽食などを提供する食堂として利用されました。残念ながら後にグリーンピア南紀が閉鎖されてしまい、同車も恐らく解体処分されてしまったんでしょうね。
3月31日で惜しまれつつ閉園したみさき公園ですが、過去にみさき公園で保存・展示されていた2代目こうや号20001系。私の場合、みさき公園の保存・展示車と言えば未だに20001系のイメージがあります。しかし残念ながら、後に解体・撤去されてしまいましたね。
過去に、朝のラッシュ時の上り列車の浜寺公園駅で見られた「準急行」の通過待ちをする「準急行」のシーン。いまは青準急(B準急)のみですが、空港線開通前までは赤準急(A準急)もあり、浜寺公園駅ではこの様な光景を見る事が出来ました。「準急の準急退避」、ちょっと不思議な光景ですよね。
うっすらと雪が積もった大阪市内の高架線を並走する南海50000系と21000系。 丸ズーム21000系も、ズームカー独特のサウンドを奏でて、50000系に見劣りしない良い走りを見せてくれました。
南海天王寺支線廃止と運命を共にすると思われていた南海1521系(1524・1526)は、天王寺支線廃止後に陸送にて千代田工場に入場し、まさかの検査を受けて出場して住ノ江検車区まで回送されました。1524は後に弘南鉄道に譲渡され、1521系一族の中で最も強運の持った車両でしたね。