レール工房ひげしん(@rk_higeshin)さんの人気ツイート(新しい順)

JR横須賀線の逗子駅で南海和歌山市駅に向けて出発待ちの、南海50000系50506F甲種輸送列車。となりには横須賀線113系が停車していますが、この前面強化改造車は前面がステンレス地に帯テープを貼付けただけで、ファンからは「鉄仮面」と呼ばれていましたね。
南海汐見橋駅に停車中の6000系の各駅停車堺東行き。汐見橋駅発の最終列車で、高野線と分断される前の岸ノ里駅のポイントを乗車して渡れる貴重な列車でした。
先日JR北海道789系「ライラック」が除雪車との接触事故があり先頭部が激しく損傷しましたが、これは平成4年の大村線であった485系「ハウステンボス」が踏切内でダンプカーと接触して小倉工場で修繕中の様子です。789系も修繕して復帰するのか、気になるところですね。
ついにこの日を迎える事が出来ました。本日12月1日、南海6000系6001F(6001-6601(旧6801)-6002)の60歳の誕生日・還暦を迎えました。未だに第一線で活躍、間違いなく名車・レジェンドの名に相応しい車両です。 これを機にNゲージでも製品化して欲しいですよね。 #南海6000系 #南海6000系登場60周年
地下線化される前の、JR大和路線今宮-JR難波間で離合する223系関空快速。都会の中を2両編成で走る姿は、少し違和感を感じますね。
旧塗装同士の南海2000系8両編成。南海2000系の緑帯車は2001F~2003Fの4両×3編成しか製造されなかったため、旧塗装同士の8両編成はなかなか見る事が出来ませんでした。これを撮影した頃はCI章導入後だったため、羽車の社章も銀色に塗り潰されているのが確認出来ますね。
地上時代のJR難波駅を発車する、103系快速高田行き。前面の警戒帯がないこの頃の姿は、どことなく山手線時代を彷彿させる姿でしたね。
狭軌鉄道では日本初の中空軸平行カルダン駆動を採用し、当店の店名の由来でもある南海1001系特急四国号。21m級2扉の車体は堂々とした風格があり、とても魅力的な車両でしたね。
弘南鉄道に譲渡、弘前駅に到着した南海1521系。 朝ラッシュ時輸送では威力を発揮しましたが、冬季の車内保温などに難があるなどで出番が減少、2008年までに全車廃車解体されました。 1522は結局本線に出ることなく廃車、末期は平賀で入替機みたいに使われていた事もありました。 #弘南鉄道1521系
お盆期間における高野山への参拝客や観光客などへの対応として、特急「こうや」とは別に一般車を使った臨時自由席特急が、難波-極楽橋間で運転されていました。いまは難波-極楽橋間の臨時自由席特急の運転もなくなり、とても寂しくなってしまいましたね。
登場まもない頃の、103系体質改善先行試作編成。この編成は、とても103系とは思えない車内でしたよね。
大井川鐵道に譲渡された南海6000系、この塗装で使われるみたいですね。これから保安装置などを大鐵仕様に改造されますが、改造後はどの様な姿になるのかも楽しみです。工場入りのお迎えの牽引車には、南海ファンとしては是非とも21000系ズームカーを期待したいところですね。
南海6000系が譲渡された事で話題になっている大井川鐵道ですが、元「SLやまぐち号」12系客車も2年近く整備待ちの状態で置かれています。こちらも整備されて、SL「かわね路号」で活躍する姿を早く見てみたいですね。
南海1000系1次車の登場時は、CI導入以前に登場したため旧社章の羽車マークをつけ、NANKAIロゴの書体も旧タイプの書体でしたね。
1994年の今日6月15日、南海空港線とJR関西空港線が開業しました。南海の関西空港行き一番列車は空港急行で1000系1005Fが使われ、難波駅では出発前に一番列車出発式が行われました。空港関係者輸送のために先行開業されたので、一般客は改札を出てもどこにも行く事が出来ませんでしたね。
南海天王寺支線廃止と運命を共にすると思われていた南海1521系(1524・1526)は、天王寺支線廃止後に陸送にて千代田工場に入場し、まさかの検査を受けて出場して住ノ江検車区まで回送されました。1524は後に弘南鉄道に譲渡され、1521系一族の中で最も強運の持った車両でしたね。
うっすらと雪が積もった大阪市内の高架線を並走する南海50000系と21000系。 丸ズーム21000系も、ズームカー独特のサウンドを奏でて、50000系に見劣りしない良い走りを見せてくれました。
過去に、朝のラッシュ時の上り列車の浜寺公園駅で見られた「準急行」の通過待ちをする「準急行」のシーン。いまは青準急(B準急)のみですが、空港線開通前までは赤準急(A準急)もあり、浜寺公園駅ではこの様な光景を見る事が出来ました。「準急の準急退避」、ちょっと不思議な光景ですよね。
3月31日で惜しまれつつ閉園したみさき公園ですが、過去にみさき公園で保存・展示されていた2代目こうや号20001系。私の場合、みさき公園の保存・展示車と言えば未だに20001系のイメージがあります。しかし残念ながら、後に解体・撤去されてしまいましたね。
加悦SL広場が本日をもって閉園、南海モハ1202の今後が心配なところですが、貴志川線引退時にもう1両モハ1210が那智勝浦のグリーンピア南紀に譲渡、軽食などを提供する食堂として利用されました。残念ながら後にグリーンピア南紀が閉鎖されてしまい、同車も恐らく解体処分されてしまったんでしょうね。
国鉄末期の昭和60年7月29日から昭和61年3月末まで、梅田南コンテナヤード跡地にて、義経号を先頭に余剰車のサロ581・サシ581を各国の特急車両の塗装に施された「IMPORT EXPRESS OSAKA」が開催されました。 派手なアムトラック塗装が意外に似合っていましたね。
6905-6016が、旅立ちました。元同僚であった21000系との再会はもちろん、「SLかわね路号」との競演がいまから楽しみですね。再掲ですが、21003Fの時の画像(21004)も。
国鉄和歌山駅で天王寺発の国鉄「きのくに」と連結した南海「きのくに」。和歌山駅では、南海キハと国鉄キハの連結の儀式(?)が、日常的に見る事が出来ました。夏場は、南海キハに乗車してる乗客のほとんどの方が、国鉄キハに移動していましたね。
東急車輛から和歌山検車区に到着後、整備のため千代田工場へ回送される南海9000系9513F。南海のグリーンを上手く配色したデザインも、新塗装化で消滅したのはとても残念でしたね。
485系 急行「きのくに」。昭和60年3月のダイヤ改正で、急行「きのくに」は特急「くろしお」に昇格して消滅しましたが、最終日のみ翌日から「くろしお」に投入される485系も使用されました。「開かずの扉」で有名だったクハ481 200番台の貫通扉が使われた姿は、当時はとても新鮮に見えましたね。