レール工房ひげしん(@rk_higeshin)さんの人気ツイート(リツイート順)

1992年4月8日に須磨浦公園付近で発生した寝台特急「さくら」トレーラー衝突事故。スハネフ142は14系の先行試作車でしたが、この事故で廃車に、EF66 55も大破したものの復旧されましたが、この事故が原因で不具合が多発して早々に廃車になりました。
JR横須賀線の逗子駅で南海和歌山市駅に向けて出発待ちの、南海50000系50506F甲種輸送列車。となりには横須賀線113系が停車していますが、この前面強化改造車は前面がステンレス地に帯テープを貼付けただけで、ファンからは「鉄仮面」と呼ばれていましたね。
弘前駅でJR701系と並ぶ南海1521系。和歌山市駅から弘南鉄道に向けて甲種輸送された南海1521系は、途中の弘前駅で弘南線用と大鰐線用に分けられました。弘南鉄道の職員さんが線路に下りての撮影を許可していただき、JR701系と大鰐線用1521系との貴重な並びを撮影する事が出来ました。
先日JR北海道789系「ライラック」が除雪車との接触事故があり先頭部が激しく損傷しましたが、これは平成4年の大村線であった485系「ハウステンボス」が踏切内でダンプカーと接触して小倉工場で修繕中の様子です。789系も修繕して復帰するのか、気になるところですね。
3月31日で惜しまれつつ閉園したみさき公園ですが、過去にみさき公園で保存・展示されていた2代目こうや号20001系。私の場合、みさき公園の保存・展示車と言えば未だに20001系のイメージがあります。しかし残念ながら、後に解体・撤去されてしまいましたね。
地下線化される前の、JR大和路線今宮-JR難波間で離合する223系関空快速。都会の中を2両編成で走る姿は、少し違和感を感じますね。
南海1521系は8両が弘南鉄道に譲渡され、そのうち6両が弘南線へ2両が大鰐線に配属されました。20m片側4扉の収容力で朝のラッシュ輸送に威力を発揮しましたが、半自動改造されなかったため冬場の車内保温の問題、また機器などの老朽化に伴い、短命で終わりました。
6905-6016が、旅立ちました。元同僚であった21000系との再会はもちろん、「SLかわね路号」との競演がいまから楽しみですね。再掲ですが、21003Fの時の画像(21004)も。
1994年の今日6月15日、南海空港線とJR関西空港線が開業しました。南海の関西空港行き一番列車は空港急行で1000系1005Fが使われ、難波駅では出発前に一番列車出発式が行われました。空港関係者輸送のために先行開業されたので、一般客は改札を出てもどこにも行く事が出来ませんでしたね。
国鉄和歌山駅で天王寺発の国鉄「きのくに」と連結した南海「きのくに」。和歌山駅では、南海キハと国鉄キハの連結の儀式(?)が、日常的に見る事が出来ました。夏場は、南海キハに乗車してる乗客のほとんどの方が、国鉄キハに移動していましたね。
485系 急行「きのくに」。昭和60年3月のダイヤ改正で、急行「きのくに」は特急「くろしお」に昇格して消滅しましたが、最終日のみ翌日から「くろしお」に投入される485系も使用されました。「開かずの扉」で有名だったクハ481 200番台の貫通扉が使われた姿は、当時はとても新鮮に見えましたね。
京急逗子線神武寺駅付近の、(旧)東急車輛専用線で和歌山市駅に向けて出発待ちの南海50000系。 都営5000形や京急800形の姿も、懐かしいですね。
登場まもない頃の、103系体質改善先行試作編成。この編成は、とても103系とは思えない車内でしたよね。
地上時代のJR難波駅を発車する、103系快速高田行き。前面の警戒帯がないこの頃の姿は、どことなく山手線時代を彷彿させる姿でしたね。
南海天王寺支線廃止と運命を共にすると思われていた南海1521系(1524・1526)は、天王寺支線廃止後に陸送にて千代田工場に入場し、まさかの検査を受けて出場して住ノ江検車区まで回送されました。1524は後に弘南鉄道に譲渡され、1521系一族の中で最も強運の持った車両でしたね。
先日、南海6000系6009Fが小原田まで廃車回送され、本格的な解体作業が始まりました。この編成は6000系唯一の運転台撤去車が組み込まれている編成で、趣味的にも面白い編成でしたね。引退と言うことで、更新改造出場試運転時の6009F編成を。(昭和63年7月) さようなら 6009F。
うっすらと雪が積もった大阪市内の高架線を並走する南海50000系と21000系。 丸ズーム21000系も、ズームカー独特のサウンドを奏でて、50000系に見劣りしない良い走りを見せてくれました。
加悦SL広場が本日をもって閉園、南海モハ1202の今後が心配なところですが、貴志川線引退時にもう1両モハ1210が那智勝浦のグリーンピア南紀に譲渡、軽食などを提供する食堂として利用されました。残念ながら後にグリーンピア南紀が閉鎖されてしまい、同車も恐らく解体処分されてしまったんでしょうね。
1994年10月9日・10日、大宮工場100周年と鉄道の日の制定記念イベントとして、大宮工場で行われた「新旧つばめの出会うとき」。大宮・高崎・梅小路、さらには九州から歴代の「つばめ」号が集められ展示されました。787系は、やはりこのデザインが一番似合いますよね。
旧塗装同士の南海2000系8両編成。南海2000系の緑帯車は2001F~2003Fの4両×3編成しか製造されなかったため、旧塗装同士の8両編成はなかなか見る事が出来ませんでした。これを撮影した頃はCI章導入後だったため、羽車の社章も銀色に塗り潰されているのが確認出来ますね。
国鉄末期の昭和60年7月29日から昭和61年3月末まで、梅田南コンテナヤード跡地にて、義経号を先頭に余剰車のサロ581・サシ581を各国の特急車両の塗装に施された「IMPORT EXPRESS OSAKA」が開催されました。 派手なアムトラック塗装が意外に似合っていましたね。
南海6000系が譲渡された事で話題になっている大井川鐵道ですが、元「SLやまぐち号」12系客車も2年近く整備待ちの状態で置かれています。こちらも整備されて、SL「かわね路号」で活躍する姿を早く見てみたいですね。
東急車輛から和歌山検車区に到着後、整備のため千代田工場へ回送される南海9000系9513F。南海のグリーンを上手く配色したデザインも、新塗装化で消滅したのはとても残念でしたね。
ついにこの日を迎える事が出来ました。本日12月1日、南海6000系6001F(6001-6601(旧6801)-6002)の60歳の誕生日・還暦を迎えました。未だに第一線で活躍、間違いなく名車・レジェンドの名に相応しい車両です。 これを機にNゲージでも製品化して欲しいですよね。 #南海6000系 #南海6000系登場60周年
南海2000系(その2)。初めての山線試運転で、初めて極楽橋駅に到着した時の2001F。初めて極楽橋駅でVVVFサウンドを聴いた時の感動は、今でもハッキリ覚えています。いま見ても、とても洗練された素晴らしいカラーリングだと思うのは、私だけでしょうか?