レール工房ひげしん(@rk_higeshin)さんの人気ツイート(新しい順)

先日、南海6000系6009Fが小原田まで廃車回送され、本格的な解体作業が始まりました。この編成は6000系唯一の運転台撤去車が組み込まれている編成で、趣味的にも面白い編成でしたね。引退と言うことで、更新改造出場試運転時の6009F編成を。(昭和63年7月) さようなら 6009F。
本日は、南海6000系(6001・6601・6002)の57歳の誕生日です🎂  おめでとう🎉 いまも快速急行から各駅停車までの幅広い運用をこなす6001Fは、誰もが認める『レジェンド』の名に相応しい車両です。 6000系の置き換えがいよいよ始まりましたが、最後の最後まで全力で駆け抜けて欲しいですね❗
弘前駅でJR701系と並ぶ南海1521系。和歌山市駅から弘南鉄道に向けて甲種輸送された南海1521系は、途中の弘前駅で弘南線用と大鰐線用に分けられました。弘南鉄道の職員さんが線路に下りての撮影を許可していただき、JR701系と大鰐線用1521系との貴重な並びを撮影する事が出来ました。
489系白山色による「スーパー雷鳥」。本来は485系「スーパー雷鳥」専用編成で運用されますが、ごく稀に489系白山色が運用に入る事がありました。 もちろんボンネット車にも、専用のヘッドマークが用意されていました。
京急逗子線神武寺駅付近の、(旧)東急車輛専用線で和歌山市駅に向けて出発待ちの南海50000系。 都営5000形や京急800形の姿も、懐かしいですね。
大阪球場とラピート。いまは「なんばパークス」となってるこの場所、かつては大阪球場で南海ホークスの本拠地として使用されてましたが、この頃は住宅展示場として利用されていました。いまでも難波駅いえば、この光景を思い浮かべる方が多いかと思います。
1992年4月8日に須磨浦公園付近で発生した寝台特急「さくら」トレーラー衝突事故。スハネフ142は14系の先行試作車でしたが、この事故で廃車に、EF66 55も大破したものの復旧されましたが、この事故が原因で不具合が多発して早々に廃車になりました。
1994年10月9日・10日、大宮工場100周年と鉄道の日の制定記念イベントとして、大宮工場で行われた「新旧つばめの出会うとき」。大宮・高崎・梅小路、さらには九州から歴代の「つばめ」号が集められ展示されました。787系は、やはりこのデザインが一番似合いますよね。
大阪駅で発車を待つキハ58系 急行たかやま。この日は、先頭に国鉄急行色のキハ58が連結されていました。やはりキハ58は、国鉄急行色が一番似合いますね。
223系0番代普通日根野行。いまも223系の普通は見られますが、2連口+2連口での普通は、この頃にしか見れなかった姿でした。
南海2000系(その2)。初めての山線試運転で、初めて極楽橋駅に到着した時の2001F。初めて極楽橋駅でVVVFサウンドを聴いた時の感動は、今でもハッキリ覚えています。いま見ても、とても洗練された素晴らしいカラーリングだと思うのは、私だけでしょうか?
奥羽本線の有名撮影地を走る南海1521系甲種輸送。弘南鉄道大鰐線所属となる1524・1527は、大鰐線内はED221に牽引されて車庫のある津軽大沢駅まで輸送されました。なかでも1524は、本来は天王寺線廃線で廃車になる予定が奇跡の本線(支線)復帰を果たした、1521系一族の中で最も幸運の持ち主でしたね。
いまはなき阪和ライナーですが、一時的にやくも色の381系が日根野に貸し出された事がありました。残念ながら阪和ライナー専用で、くろしお運用には使われませんでした。
南海1521系は8両が弘南鉄道に譲渡され、そのうち6両が弘南線へ2両が大鰐線に配属されました。20m片側4扉の収容力で朝のラッシュ輸送に威力を発揮しましたが、半自動改造されなかったため冬場の車内保温の問題、また機器などの老朽化に伴い、短命で終わりました。
鉄コレ南海6000系新塗装2両セット販売を記念して・・・。平成4年のダイヤ改正で御幸辻~橋本間が、部分改良により20m車の入線が可能となりました。11000系以外にも、朝・夕のラッシュ時に各1本、20mステンレス車が4両編成で橋本まで運用されていました。旧線の単線時代を走る、橋本発の急行です。