昔の風俗をつぶやくよ(@LfXAMDg4PE50i9e)さんの人気ツイート(古い順)

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狙撃兵で歌手で女優で、そして著述家。いるかそんな人と思いますがキーラ・ペトロフスカヤは”そんな人”です。彼女はソ連の狙撃兵としてレニングラード包囲戦に参加。以後2度負傷し3つの勲章を得ます。終戦後米国人と結婚して米に移住。音楽番組のホストを勤め歌を披露し、また多くの本を執筆しました。
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画像は鈴木春信の「鷺娘」。白を主体とした美しい版画ですが、この娘が着ている着物、よーく見ると細工がしてあります、これは空摺というもの。色を塗っていない部分を強く版木に刷ることで紙に凹凸を作っているのです。現代で言うエンボス加工でして、いかに日本の版画が凄かったのかが解ります。
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皆さん知ってるかもしれないけど、私は今日まで知らなかったのでメモ代わりに。芥川龍之介の有名な小説「芋粥」に出てくる粥。あれ私は山芋を米と煮たものと思い込んでいました。しかし本当は山芋と甘葛を煮た台湾スイーツっぽいものだったのですね。勉強不足を痛感した土曜日でした。
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脱いだら凄いは昔流行った言葉ですが、実際この人は凄いです。彼女はLuisita Leers(1909-1997)。ドイツ出身の空中ブランコの名手でした。恵まれた容姿と肉体を持つ彼女はヨーロッパのサーカスで大活躍。この時代筋肉女性は他にも居ましたが、顔と体の「ギャップ萌え」で彼女の人気はダントツでした
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捉え方にもよりますが、絵画にも声と音があります。それを敢えて排除し静謐を求めた画家がハンマースホイ(デンマーク・1916没)です。彼が描く室内は白と灰色。調度品は無く、人物は描かれていても鑑賞者に何も語りかけてはくれません。この感性がビビッと来るらしく日本ではかなり人気があるようです
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時代によっていい男のトレンドは変わりますが、明治はこんな職業の男が格好良かったようです。画像は水野年方の「開化好男子」(明治23)。官吏、法学博士、代議士など堅い仕事に並んで、何故か若旦那というふんわりした職業が入ってます。博士のゴージャスさと若旦那が無駄に粋なのが目立ちますね。
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「生活に潤いが足りない。若い女の太ももなんて見たくない!」。1940年代、そんな米国婦人のリクエストに応えたのがテキサスのダイナー「Log Lodge Tavern」です。この店では短パンと革ブーツの青年が筋肉質の太ももをご婦人方にサービス。毎週金曜の夜は黄色い歓声が店に溢れました。ご婦人嬉しそう!
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埋葬された人が地中で息を吹き返し。苦しんだ挙げ句窒息死。この生埋めの恐怖は多くの有名人を悩ませました。アンデルセンもノーベルも、そしてショパン(右下)もこの恐怖症の罹患者でした。ショパンなどは「死んだ後に蘇生しないよう心臓を切り離せ」と遺言し、遺族は実際その通りにしたそうです。
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youtubeで最も効率的に閲覧数を増やせる動画とは、そう、子供と動物です。そんな鉄板ネタを描き続けたのがチャールズ・バートン・バーバー(英・1894没)。彼は動物画家として名を揚げ、ヴィクトリア女王の依頼で王室のペットを描くほどまでになりました。時代を問わず人間は「かわいい」に弱いですね
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みんな大好きペッツ。人形の首を折ればお菓子が出てくるあのディスペンサーがお馴染みですが、1950~60年代には銃型のものが発売されていました。一見楽しそうなこのオモチャですが、ペッツを食べるときは「銃身を口に咥える」という非常に不吉なスタイルになるため、親に嫌われやがて廃れました。
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白い絵画というものは不思議な開放感があります。みっちりカンバスを色彩で埋めるのも絵画ですが、開放感のある「白」を楽しむのもまた絵画でしょう。画像はAntonio Bueno のThe Painter and the model(1952)。この絵では描き手も別の意味で開放感を楽しんでいるようです。スッキリする作品ですね。
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ハロウィンから一日遅れましたが仮装の話。画面左でヒトラーに扮しているのはあの近衛文麿です。1937年に内閣を組織する直前の姿だと思われます。生まれついての貴族である近衛は平民出のヒトラーに複雑な感情を持っていたと言われますが、いずれにせよ笑えないコスプレです。
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19世紀仏英の上流社会、ことに女性のドレス姿にこだわり抜いた画家がティソ(仏・1902没)です。当時はバッスル・スタイルという衣装が流行っていましたが、彼はそうしたドレスのひだや陰までを写真の如く徹底的に描き込みました。生家が毛織物業だったことがそのこだわりの原点なのかもしれません。
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モンゴル最後の王妃と言われるのがGenepilです。彼女はモンゴルの皇帝、ボグド・ハーンの后でしたが、1938年ソ連の弾圧を受け非業の死を遂げました。そしてこの特徴的な衣装とメイクはのちにジョージ・ルーカスの目に止まり、SW「ファントムメナス」のアミダラ女王となって復活するのです。
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お金持ちで気前が良く、画力も抜群。そんな理想的画家がカイユボット(1894没)です。貧乏画家揃いの印象派メンバーの絵を買ったり、展覧会の資金を提供したり等々。内部的対立はあったものの、彼は印象派を資金面から支えました。画力についてはこれを見れば一目瞭然。床板の質感などもう光の魔術です
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お金持ちで気前が良く、画力も抜群。そんな理想的画家がカイユボット(1894)です。貧乏画家揃いの印象派メンバーの絵を買ったり展覧会の資金を提供したり。内部的対立はあったものの、彼は印象派を資金面から支えました、画力についてはこれを見れば歴然。床板の質感などもう光の魔術です。
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美しく精緻な筆致ですが、この肖像画は近代や中世のものではありません。紀元前1世紀から紀元後3世紀頃の大昔の肖像画です。古代エジプトでは、死者のミイラと共に生前の姿を描いた板絵を埋葬する習慣がありました。その板絵が出土された姿がコレなのですが、この時代にこの技術力。信じがたいです。
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映画の一場面のようですが彼女は本物のパイロットです。この美人さんはシャーリー・スレイド。二次大戦時のB-26及びB-39の操縦士でした。大戦中、米空軍は深刻な操縦士不足に直面。戦闘機を戦場まで運ぶ役目を担わせる為、女性操縦士養成プログラム(WASP)を組みました。その一員が彼女だったのです。
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明治23年「当時流行こっくりさん」の図です。米国船員から伝わったこっくりさんは明治時代大流行となりました。本来ターンテーブルを使うこの欧米の占いを、日本人は竹の三脚と逆さタライで代用。タライがコクリと動くことからこっくりさんの名が付いたとか。「狐狗狸」は後付の当て字のようです
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東京事変「女の子は誰でも」の歌詞に「女の子はお砂糖とスパイスとで出来てる♪」というのがありますね。あれはイギリスの童謡からの引用です。いわゆるマザー・グースですね。画像は元ネタ「What Are Little Boys Made Of」の1820年の楽譜。ちなみに男の子はカエルや蝸牛で出来ているそうです。
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19世紀、欧州では「パリズグリーン」と呼ばれる緑の染料が使われていました。深く美しい色を出すためドレス、家具、壁紙、オモチャにまで広く使用されましたが、実はこの染料、何と猛毒ヒ素が含まれていました。この為毒性が判明するまで多くの人々が死亡。ナポレオンの死因もこれだという説もあります
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悲しいにも程があるアンデルセンのお話「マッチ売りの少女」。世間ではクリスマスの物語として誤解されることが多いようですが、原作では大晦日の晩の出来事です。マッチを擦った時の幻でクリスマスツリーが現れること、また児童書等でクリスマスの話に改変されているのがその原因と考えられています。
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虎バターのパンに囲まれいい笑顔!画像は1919年版「ちびくろサンボ」です。元々インド人設定のこのお話は多くが改変され、アフリカ系少年が主人公となりました。一時期人種差別問題で絶版の憂き目に遭いましたが現在は復活。一部の本は少年の名をサンボから本来の名前「ババジ」に戻しています。
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毎年のネタですが、今年はまだ誰も扱っていないようなのでお先に。画像は明治33年、日本で最初にサンタクロースを扱った絵本と言われる「さんたくろう」です。「北國の老爺 三太九郎」というちょっと格好いい名を持つ彼。恩ある親子にオモチャで恩返しする義理堅い男として描かれています。
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「これなら俺でも描ける!」。巨匠の作品をディスる時に使う慣用句ですね。そんな訳あるはずないのですが、つい「描けるかも」という言葉が浮かんでしまいそうなのが、ピカソが70代の時描いた「クリスマス」です。クレヨンでのなぐり描きですが、クリスティでは13万ドル以上での価格が付いています。