昔の風俗をつぶやくよ(@LfXAMDg4PE50i9e)さんの人気ツイート(古い順)

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フェルトは手芸の人気者。そのフェルトに対する愛を究極まで突き詰め、フェルトだけのコンビニを作っちゃったのが英のルーシーさんです。彼女の店の商品はビスケットだろうがお酒だろうが皆フェルト製。キットカットやレジもフェルトです。通販でちゃんと買う事もできますよ。sewyoursoul.co.uk/exhibitions/
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恐らく1900年初頭、同じ作者と思われる米国絵葉書。黒猫の可愛さが印象的です。一枚目は「何処に流れ着くかは解らない。でも私は私の道を行く」。凛々しい詩です。 二枚目は「貴方と離れ、私はもう貴方への愛を隠せない」という感じでしょうか。ヤスリで心を表面を削り、隠された愛を削り出しています
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19世紀、パリには誰でも入ることができる遺体安置所がありました。遺体の身元確認が目的だったのですが、訪問者の大部分は野次馬。ガラス越しに遺体は安置され、冷たい地下水が腐敗防止のため頭から注がれていたそうです。猟奇的事件が起こった時は犠牲者を見に多くの人が押し掛けたとか。
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出来の悪いネズミの剥製に見えますが、これは爆弾です。英国が二次大戦時に開発したもので、ドイツ占領下にある欧州工場施設の破壊を目的に作られました。ボイラー近くに置いておけば、作業員が死骸と間違え火口にポイ。そしてドカンッ!という訳。しかし情報漏洩により実戦投入は実現しませんでした
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このどことなく不吉な感じのする建物は電話塔です。噴水のように放射されているのは電話線。1887年、ストックホルムに建設され「Telefontornet」と呼ばれていました。塔から伸びる電話線は空中を覆い閉塞感MAXで、住民には大不評。地下ケーブルの発達により無用の長物となり1953年に取り壊されました。
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小指を立てて上品に紅茶を飲んでも、お髭が紅茶で濡れちゃう😭。そんなビクトリア朝時代の英国紳士の悩みに応えた商品が口ひげカップです。髭ガードの穴から優しく紅茶を飲めば髭は乾いたまま。また、髭を固めるワックスが紅茶の熱でカップに落ちることも防止できました。
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男には股間に色々部品が付いてまして、それは昔から絵画やら彫刻やらで描かれてます。しかし、タマ○マにスポットを当てたものは比較的レアなので、夜のサービスにご紹介しておきます。これはDomenico Brusasorci (16世紀)の戦車に乗るアポロン。イタリアの某ホールにあるフレスコ画の一部です。
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1764~67年にかけ、フランスの田舎町を恐怖のどん底に陥れたのが「ジェヴォーダンの獣」です。全身毛に覆われたこの生物は主に女性や子供を狙い撃ち。100人近い死傷者が出ました。時の王ルイ15世は討伐を命令し一旦狼が仕留められますが、事件は再発。結局獣の正体は判明せず、未だ真相は藪の中です。
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18世紀末頃まで人類は、歯痛の原因が「Tooth worm」という虫に拠るものだと思っていました。歯の内部に住む虫が穴を開けて暴れだすと痛むという概念です。ハーブやらロバの乳やらの治療法がありましたが殆どは効き目なし。虫を取り出そうとして歯神経を偶然引っこ抜く、というラッキーはあったようです
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1927年頃、銀座カフェーの女給さんの制服をまとめたイラストです。これを作ったのは今和次郎(1973没)。和次郎はその時代の生活文化をまとめる「考現学」の創設者で、大正から昭和初期の庶民ファッションや建築を記録しました。個人的には画面左側「銀座交差点・ばんぢゅう」の制服が可愛いと思います
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戦地で戦う兵士の心の支え、それは恋人や家族の写真です。でも紙ですからヨレるし濡れる。そうだ、銃のグリップに内蔵すればいいんじゃね?ということで出来たのが「スイートハートグリップ」です。このグリップは1920年代のアクリル樹脂の発明により一気に流行。二次大戦時の米軍で主に使われました。
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小洒落たカフェを見回せば、40%位の確率で飾られているのがミュシャの絵です。言わずと知れたアール・ヌーヴォーの旗手でありますが、この方は写真家の面も持ち合わせていました。彼が専用スタジオで撮影した写真は1万枚以上にも及び、その一部は彼の絵の写真モデルとして活用されたようです。
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猫には9つの命があるそうです。3つは遊び、3つは放浪し、最後の3つで人間と過ごすとか。 画像は1860年の童話「The nine lives of a cat」です。猫は沈められたり撃たれたりと8回もピンチに見舞われますが、果敢に切り抜けます。そしてとういう9度目、寿命に追いつかれ静かに命を閉じるのでした。
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司祭の隠れ穴。そう呼ばれる場所が今も英国には残されています。これは16世紀のエリザベス1世統治時に主に作られたもの。彼女はイギリス国教会を支持し、カトリックを強く弾圧しました。専属のプリーストハンターから逃すため、隠れカトリック教徒は司祭を隠す場所を家のあちこちに作ったのです。
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失礼クリエイターとも揶揄される怪しいマナー講師が跋扈している昨今ですが、昔の日本では基礎的なお行儀をちゃんと学校で教えていたようです。画像は大正9年、麻布小学校での襖の開け方訓練会の様子。これだけの大観衆が見詰める中での襖の開け締めは、かなり緊張感があったんじゃないでしょうか。
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本日は満月、ピンクムーンです。無論月がおピンクである訳はなく、芝桜の色にちなんでピンクムーンなんだとか。で、ピンクの月の絵があるかと思って探したらありました。月岡芳年の「玉兎 孫悟空」。女性に变化した「月の兎」玉兎に悟空が勝利した瞬間です。玉兎は負けて元の兎の姿に戻っていますね。
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緊急事態宣言以来、東京の夜が暗くなりました。閉まったシャッターの中を一人歩く時、迷子になったような不安を時々感じます。ポール・デルヴォー(ベルギー・1994没)はそんな不安を掻き立てるような絵を描く人。ふっと何処か知らない場所に迷い込んでしまったような、不思議な気持ちにさせられます。
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雨に濡れたロンドンの路上に倒れ込む少年。それを必死に抱き上げる母親は寡婦の服装をしています。栄養失調か病か、いずれにせよ少年が倒れた原因は貧困です。これは画家で社会活動家でもあるトーマス・ケニントンのHomeless (1890)という作品。彼はいくつもの絵画を通じ英国の貧困を訴えました。
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ネズミ用のお店を街角に作る。そんな活動を延々と続けている匿名集団が欧州のanonymousemmxです。路面に接するように作られたミニチュアハウスは肉屋だったり仕立て屋だったり本屋だったり。みなネズミを顧客に想定した造りとなっています。かわいいですよ!instagram.com/anonymouse_mmx/
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魔女テイストふんだんなこの衣装。これは1930年代までポルトガルのアゾレス諸島で着用されていたアゾレアンフードです。色は藍色で頭頂部は鯨の髭で固定。女性の伝統衣装として使用されました。フードは地域によって形状も多少違うようです。神秘的ではありますが、向かい風には極端に弱かったとか。
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この痩身の麗人はアンネマリー・シュワルツェンバッハ(スイス・1942没)です。写真家でジャーナリスト。性別は女性ですが両性愛者で、男性も女性も彼女の美しさに魅了されました。反ファシストであった彼女はナチスの台頭を嫌いベルリンを離れ海外を流転。事故により僅か34才で亡くなりました。
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絶対何か邪悪なものが潜んでる、とこの写真を見て感じちゃう人は良くない映画の見すぎです。私もその一人ですが。 これは写真家Marvin Konerが1940~50年代頃に撮ったハバナの孤児院の様子。尼僧が子供達の就寝を見廻っています。彼女が被っているのはCornetteという尼頭巾。独特ですよね。
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方向オンチの強い味方カーナビ。実はこの文明の利器が1930年代にも存在しました。「 Iter Avto」(イタリア製)と名付けられたコレは表示画面が布。各地域のルートを記した巻物をこのナビにセットすると、車の速度に比例して巻物がスクロールしていくという仕組みでした。
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殿様商売、殿様芸などの言葉にあるように、殿様がやる事は大概イマイチです。でも下野佐野藩藩主・堀田正敦(1832没)は一味違う殿様でありました。彼は堀田禽譜に代表される鳥類の一大資料を編纂。この時代最高峰の鳥類図鑑を感性させています。左画像の「ピングイン」、可愛くて最高です。
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「ブルターニュの雌ライオン」14世紀の女海賊ジャンヌ・ド・クリソンの渾名です。彼女の夫はブルターニュ公国貴族。5人の子供を設けるほど彼女と夫はラブラブでした。しかし夫は英仏の紛争の中で仏王にだまし打ち(右)に遭います。夫の無残な死を知った彼女は激怒し、仏勢力に復讐を誓いました(続)