昔の風俗をつぶやくよ(@LfXAMDg4PE50i9e)さんの人気ツイート(古い順)

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天は二物を与えずといいますが、思い切り与えられた人がヘディ・ラマー(2000没)です。彼女は1930~50年代にかけてハリウッド映画で活躍した女優。「サムソンとデリラ」などに出演していますが、40年代に携帯やWi-Fiの基となる技術を発明し特許を取りました。”美と知”、両方ない身には羨ましいです。
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美しいヴィーナスの光沢ある肌に、見事な和彫の桜吹雪。この不思議な彫刻を作っているのはイタリアのアーティストFabio Vialeさんです。大理石に刻まれた入墨は表層ペイントではなく、吹付け加工によって石に染み込ませたもの。きめ細かい肌に入墨は映えるものですが、大理石の肌とは着眼点がいいです
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昔からパリは文化の都。尖った人々が酒を酌み交わすお店が沢山ありました。中でもダントツに目立っていた店舗がこれ、「Cabaret de L'Enfer」(地獄のキャバレー)です。1892年から1950年までモンマルトルで営業していた同店は地獄をテーマにしたコンセプトバー。酒・歌ありの楽しい地獄だったようです
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男女がフェンシングの試合をするこの絵、違和感ありますね。実は右のおばさま、元男性です。この人はシュヴァリエ・デオン(1810没)。前半生は男性の姿で仏の外交官兼スパイとして過ごし、後半生はカミングアウトして女性として生きました。フェンシングの試合はお小遣い稼ぎで行っていたようです。
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フランツ・カフカによる「変身」。不条理文学として有名ですね。ある青年が目覚めると虫になっていたというこの物語を本にする際、カフカは「変身した虫の姿を描かないでほしい」と要望しました。この要望は基本守られており、近年出版されたArianna Vairo の本でも敢えて虫の姿は描かれていません。
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17世紀のベネチアでは公共の場で盛んにマスクが使われました。その種類は様々ですが、中でも玄人の女性が好んだのがモレッタです。これは黒い仮面で、口で噛んで固定するタイプ。よって喋れない訳で、モレッタを着けると「黒い仮面に白い肌が映えるミステリアスな沈黙の美女」が誕生する仕組みでした。
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明治の日本の風景を西洋画、しかも水彩で残してくれた有り難い女性芸術家がエラ・デュ・ケイン(英・1943没)です。19世紀末、彼女は作家の妹フローレスと中国、日本、エジプト等を旅行。その風景をまとめました。ビクトリア女王は彼女の絵を気に入り、20点以上をコレクションしていたそうです。
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もうすぐハロウィンなのでそれっぽい話でも。画像はメイクップアーティストMimi Choiさんの顔面アートです。カナダの幼稚園教師であった彼女は独学でメイク技術を習得。普通のコスメを使いこの立体的な顔面芸術を作り上げました。今ではインスタフォロワー140万超えの大変な人気者になっています。
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悪い奴にはお仕置きよ!と思って作られたのかどうかは知りませんが、画像は1941年に米で発売された針刺し「Hotzi Notzi」です。ヒトラーのお尻にブスリと針を突き立てるというこのアイテムは、フランクリン・ルーズベルト大統領の机に置かれてから大ヒット。今でも古物商などで取引されています。
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音楽再生は今やiphoneの時代。ですが、実は100年近く前にもポケットサイズのミュージックphoneがありました。それが「MIKIPHONE」です。1925年に発売されたこれはスイス製。直径11センチ、厚さ5センチという小ささは当時としては驚異的でした。動力はネジで、組み立てるとレコードが再生できたのです
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地獄には浄玻璃鏡という鏡があります。生前の悪行が映し出されるモニターで、閻魔様はこれで亡者の極悪度を判断するのです。しかし「閻魔大王浄玻璃鏡図」(河鍋暁斎)での女性は鏡の姿も美しいまま。この異常事態に閻魔様はパニクっています。あんたどーするのよ?という鬼の視線も可笑しいですね。
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1941年、ポケット一杯に石を詰めた女性が英国で入水しました。その人はヴァージニア・ウルフ。数々の名作を書き上げた彼女は長年鬱を患っていたのです。夫に宛てた遺書は”世界一美しい”そうですが、私はこの言葉の方が刺さります。「急ぐことも輝くことも誰になることもない。ただ貴方であればいい」。
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フィレンツェの高級な建物には中世の昔から「ワインの窓」と呼ばれる小窓がありました。生産者が酒屋などを通さずワインを直接消費者に販売するもの。ペストが流行った時などは接触を避けるのに大いに役立ったとか。遺跡となっていたこの窓、皮肉にも今回のコロナで再び現役復帰し始めているそうです。
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童話では悪い子によくバチがあたります。その中でも、なかなか過激なバチの当たり方をする作品が「もじゃもじゃペーター」です。これは独のハインリッヒ・ホフマンが19世紀末に発表したもの。火遊びした子が焼死。好き嫌いをした子がやせ細って餓死。など本の中で子どもたちは散々な目に遭っています。
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この瓶の中に詰まっているのは砂。つまりこの絵は、少しずつ違った色の砂を瓶に堆積させて描かれています。この恐ろしく手間のかかる作品を作ったのはアンドリュー・クレメンス(米・1894没)。彼が使ったのは自然の砂のみであり、一切着色はされていません。かなりの高値で取引されているそうです。
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メリークリスマス! 画像は英国サウスウェールズ州で今でもクリスマスに続けられているという奇習「Mari Lwyd」です。馬の頭蓋骨を掲げた一団が村の家屋を一軒ずつ襲撃。住人と詩歌バトルを行います。住人が負けたら一団は家に侵入し、さんざん飲み食いして去ってゆくというもの。怖いけど楽しそう!
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この美しき版画は米国人リリアン・メイ・ミラー(1943没)の手によるものです。外交官の娘に生まれた彼女は狩野友信や島田墨仙に師事。墨仙は彼女に「玉花」という号を与え、大変その腕を買っていました。驚くことに、彼女は本来職人がするべき木版画の彫りや摺りまで自分でこなしていたとか。
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昔の本は分厚くて重いです。ですので、何冊もの本を使って調べ物をするのはかなりの労力とスぺースが必要でした。そんな大変さを解決してくれたのがこの回転式図書閲覧機。300年ほど前のもので、今でもメキシコの図書館に展示されています。言うなればウェブブラウザのご先祖様みたいなものですね。
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コロナ都内新規感染者2千人超。ごっつい数字ですね。もう病気関係の話は止めてという感じですが、あえて意識向上の為つぶやきます。画像は1920年代、日本赤十字社の衛生啓発ポスター。スペイン風邪の直後ですので、衛生観念の大切さが日本国民にも身にしみていた時期のものですね。手洗い、大事ですよ
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伊勢参りに行きたい。でも仕事あるし体も弱いし。そうだ!犬に代わりに行ってもらおう!そんな無茶苦茶な話が江戸時代には実際ありました。お参りの印として首にしめ縄を巻いたワンコは、道行く人々にご飯を貰ったり先導されたりしながら伊勢へ向かったそうです。善意に支えられていたのですね。
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今の季節、朝が辛いですね。起きるのが大変なことは目覚まし時計が普及していない時代も一緒だったようで、産業革命時の英国では「起こし屋」(ノッカーアッパー)が存在しました。彼らは決められた時間に訪問。棒で窓を叩く、豆鉄砲でスナイプするなどの方法でお寝坊さんを起こして廻りました。
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19世紀末米国の片田舎、家族だけで壮大な空想世界を創造した人たちが居ました。ネルソン三兄弟です。農夫であった彼らは三大陸から成る異世界を構築。その異世界の住民に向け60冊以上の戦記や新聞、雑誌を刊行しました。しかし2013年に資料がガラクタ市で発見されるまで、誰もこの事を知りませんでした
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これは室町時代のおとぎ話の一部。「雀の発心」または「小藤太物語」です。ある日、雀の小藤太夫婦が可愛がっていた赤ちゃんが蛇に食べられてしまいます。世を儚んだ夫婦は出家。妻雀は尼となり、小藤太は梟の僧のもと剃髪し諸国修行の旅に出ます。重いテーマですが、絵はことごとく可愛らしいです。
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公園に椅子を用意し佇む二人。しかし男はレースの結果に、女は楽しいメールに夢中になってお互い目を合わせようともしません。これは1907年の未来予想図。電信が無線化することによって、将来私達はこうなると言っています。100年以上経った今、スマホによって私達は実際この通りになりました。
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冗談のような大きさのこのカメラはコダックのK-24です。元々英国にあったF-24を改良し、1942年に米国で誕生しました。もちろんこれで「はい、チーズ(古)」などと記念写真を撮る訳もなく、偵察機で航空写真を撮る為に使われたようです。二次大戦では9千台近くが連合国側に配備されていたとか。