男女の夫婦やカップルの名前は「男→女」の順で表記されるのがメディアでは通例で、「山田太郎さん・花子さんご夫妻」の様に書かれる。 そんなジェンダーの「当たり前」を変えたくて、今度うちのお店を掲載してくれる雑誌の記事では、僕たちの名前の並びを逆の「女→男」にしてもらうようお願いした。
本来はどっちでも良いことのはずなんだけど、根深い家父長制的価値観に抵抗するためには、「どっちでも良いこと」もあえて通例と逆にすることで意思表示していくことが必要だと思う。
ジェンダーギャップについて勉強しても、資本主義について勉強しても、とにかく気づかされるのは、労働時間の短縮がとてつもなく重要だということ。
「家族のために頑張るのが愛」 「自分を犠牲にするのが愛」 「尽くすのが愛」 みたいな価値観を、もうこれ以上押し付けないでほしい。 まずは自分を大切にすることが、家族や他の人に愛情を注ぐためにも大切だと思う。
「Twitterが殺伐としていて嫌だな」と思う事はたしかに僕もあるんだけど、でもその殺伐は、踏んづけられていた誰かが勇気を出して声を上げたことがキッカケなことも多いのではないかと思う。 だから、「殺伐としていて嫌だ」という言葉が誰かの口を塞いでしまわないか心配になるときがある。
「SNSでは議論なんてできない」とか「ハッシュタグ・アクティビズムでは何も変わらない」といった言葉にも同じ違和感がある。 これらが言えるのは、ネットの外でも行動できる力や議論の場を持っている人じゃないかな。 力や場所を持たない人がネットで何とか声を上げようとする口を塞ぎたくないよ。 twitter.com/keitanakamu/st…
ジェンダーギャップ解消のために、お店を取材して下さるメディアにも対応をお願いすることにしました。伝わりますように。
これには直接的な効果とは別に、メディアの内部から変化を起こそうとしてる人を後押ししたい意図もある。 以前ジェンダー問題に理解あるメディア関係者が「内部からの変革は難しい。でも、取材対象から言われたらメディア側も変わらざるを得ないからどんどん言って欲しい」と言ってて、なるほどなと。 twitter.com/keitanakamu/st…
この件に関係する文章を以前まとめています。読んでもらえたら、今回の意図がより伝わるかと思います。 男性の僕がフェミニズムTweetをしたらバズったので反応をまとめて分析し反論もします|中村 佳太 note.com/keitanakamura/…
商売してる身でフェミニズムやジェンダー問題について発信してると「お客さん減るよ」って言われることがあって、そんなの知ったこっちゃないんだけど、とはいえ「実際どうなんだろ?」とは思ってた。 で、発信を始めて一年半、むしろ売上は伸びてるし、新規のお客さんも増えてる。皆さんに本当感謝。
Twitterでは「こんな店では買わない」とか書かれるので、それを見て不安になる経営者もいるかもしれないけど、大丈夫です。 全国のジェンダーギャップに問題意識を持っている店舗の皆さん、あまり心配せずに思っていることを発信して下さい。商売的に問題にならないことはうちの経験が示してます。
「人妻」とは言うけど、「人夫」は(その意味では)使われない。 こういう社会に深く染み込んだ言葉って怖い。
平等になることで奪われる選択肢とは、どのようなものだろう?
「“ジェンダー平等”を他人に押しつけて、今のままで幸せな人の選択肢を奪わないでほしい」 というコメントがきて、頭を抱えてしまった。
ジェンダー平等が実現したあとでも、今現在のジェンダーロールに沿った生き方を自らが積極的に選択する自由はあるし、何かしらの選択肢が奪われるとしたら、それって何なのだろう?
さっきテレビで祇園祭の山鉾巡行を見てたらこんなやり取りがあった。 (女性)「裏方ではたくさんの女性たちが活躍されています」 (男性)「本当にそうなんです。女性たちが裏で支えてくれなければ、男だけでは祇園祭は成り立ちません」 性別役割分担の礼賛はやめてほしい。
祇園祭の女人禁制、はやくやめてほしい。 一部しきたりを緩和している部分もあるみたいだけど、いまでも原則として女人禁制なの、ほんと嫌だ。
内閣府による『“おとう飯”始めよう』キャンペーンなるものを見かけたのだけど、なんだろうこの違和感は。。
「見守っててね、おかあはん」とか 「“おとう飯”なら(立派じゃなくて)いいんです!」とか。。 それって、母親が作る料理は立派じゃないとダメってこと??
その女性はその後ずっとモヤモヤし続けていたそう。 話を聞いた僕は怒り心頭。 いい加減にしてほしい。全マスメディア関係者がジェンダー平等教育を受けてはどうか。
女性と男性で事業をしている友人から聞いた話。 テレビの取材を受けたのだけれど、取材陣は男性にだけ話を聞き、女性は男性の横でカメラに映った以外、話を振られることもなかったそう。マイクも1つだけで、男性にだけ用意されていた。事前に「2人で事業をしている」と伝えていたにも関わらず。
「目の前にいる2人の人間を対等に扱う」、それだけのことがそんなに難しいのかな。 しかも人に話を聞くのが仕事のメディアの人間がそれをできないなんて。
「政治家に女性が少ないのは政治をやりたい女性が少ないからでは?」 「数学科に女性が少ないのは数学が得意な女性が少ないからでは?」 「コーヒー焙煎家に女性が少ないのは焙煎したい女性が少ないからでは?」
こういう風に思ったときには、なぜ「やりたい/なりたい/得意だ」と思わない(or思えない)のか、その背景にある慣習やカルチャー、業界構造にまでどうか目を向けてほしいです。
目に見えるところに現状をそのまま反映させることは、そういった現状を固定化・再生産してしまう効果を持つことまで考えてほしい。