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トイレが汚れたら誰かが掃除する訳です。それにお金をもらってる人から仕事を奪うなという人もいますが、そんな次元の話でなく、キレイに使って誰も損はしません。他に使う人も掃除をしてくれる人も気持ちがいいですし、あえて汚く使わないと誰かから仕事がなくなるなんてことがある訳ありません。
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例えば、仮に観客席がキレイなのが事実だとして、ではなぜ男性用トイレは汚いのか。前にも書きましたが、私はこれはキレイ好きかどうかの問題ではなく、ケア労働=女性の仕事、のような差別的で古い意識の社会の中で男性は幼少期から大人まで常にケアしてもらう立場の人が多いからだと感じています。
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海外にもトイレが汚い地域はたくさんあります。でも私が気持ち悪いのは、汚いのが当たり前な文化ではなく、むしろキレイなのが誇りみたいな風潮まであるのに汚いという点です。妻に聞いたり女性からの話を聞くと、女性用トイレはそんなにいつも汚くはないようです。皆さん、気にならないでしょうか。
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他人を思いやる、皆が使うものならキレイに使うのがマナー、これらは、海外で言われるように実際に日本のいい所だと私は信じます。そして人を思いやる社会は、差別だって本当はないはずです。大袈裟な話ではなく、差別をなくす一歩としても、皆さん、性別に関係なくトイレはキレイに使いましょう。
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障害を持つ人が何かを頑張って達成することを必要以上に美化する傾向をなんとかしたい。健常者は、健常者を主とする社会に健気に適応しようとする障害者の心を美しいと感じるのかもしれませんが、吃音障害を持つ私から見ると、それを美しいと感じる健常者の心は、むしろ醜い。
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この状態でどうやって平等な社会を作っていくのでしょう。高学歴な層が社会を動かす力がある学歴社会を作っておいて、その層が社会に無理解で無関心。社会作りの根本的なシステムが成立していません。そしてそんなシステムだから高学歴層の中でも人に優劣をつけて生きづらさを生み出したりしています。
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SNSなどを見ていると、社会的な弱者の訴えを「めんどくさいやつ」扱いしたり、「大袈裟」と考えている人が、特に高学歴層に多いと感じます。これは日本社会独特の傾向です。教育を受けることの一つの意味は、社会に対する感度を持つことです。これを学んでいない高学歴者が日本には多すぎます。
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思いやり。これを日本の良さだと言うのなら、真に思いやりのある社会を作りましょう。思いやりのかけらも感じない悲しい事案が、今の日本社会には溢れすぎています。
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日本に帰国して、事業に携わるようになって、あらゆる手続き時にそのシステムを運営する側の利権を感じて怖すぎます。アベノマスクなんて氷山のほんの一角だと思います。国や一部企業がやりたい放題で国民を搾取する現状をここまで放置するメディアは、民主主義国家の中では世界的にもかなり珍しい。
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メディアが伝えなければ、多くの人は気がつきません。気がつかなければ、批判したり選挙などでNOを突きつけることもできません。何となく政治家って悪いことやってそう、みたいな話でなく、明確に一つ一つ、権力を持つ側をメディアが監視しなければ、民主主義は機能しません。
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ニュースで新しい社会に向かう素晴らしい試みと絶賛されていた、ある会社の女性従業員を増やす対策
「かわいいユニフォームを用意」
「働く『お母さん』の為に社内に保育園」
メディアが、「女性=美しくあるべき」「女性=育児」の前提を疑わない。メディアの視野の狭さは、日本の深刻な問題です。
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中田敦彦さんが松本人志さんにYoutubeを通して、松本さんが審査員を多くやることなどお笑い会の力のバランスの悪さに提言をしたことに対し、実力で地位を築いた人に、そうでない人間が何かを言う権利はない、という意見が少なくない現状に、日本に生きづらさが集約されていると感じました。
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今回の入管法も、LGBT法案も、いつまでも認めない同性婚に選択的夫婦別姓も、インボイス制度も、日本政府は、「国内の、安定した職のある、結婚しても姓を変えない、健常者の、シスジェンダーの男性」だけに主眼を置いて、それ以外を切り捨てるか使い捨てる方向性を貫いて、社会を作り続けています。
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まず、多様性や差別の前に、政府の主眼を置くこのグループは、もはやまったくマジョリティでもないです。その幻のマジョリティの限られた範囲内だけで、日本にいるそれ以外の多くの可能性に、国外から日本に興味を抱いてくれたり時に助けてくれる可能性を無視して、何をどうできると言うのでしょう。
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ましてや、この超少子高齢化社会を、その限られた範囲内だけでどう乗り切るつもりなのでしょうか。私たちに、このような破滅的な政治に付き合う余裕はもうとっくにありません。遠い未来ではなく、明日を生きるために、いまとは違う政治を求め、多様な可能性のある豊かな社会に変えていきましょう。
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ラジオを聴いていたら、障害者を扱った作品の脚本家が、障害を特別扱いしないように描く、それが多様性だと話していました。この価値観は、障害を持つ立場からはただ恐怖です。社会的強者と弱者が分かれている段階の今の社会では、強者が弱者を特別に配慮しなければ、それは単なる弱者の切り捨てです。
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障害に限らず、現在被差別側にいる人たちを、差別側にいる人たちが特別扱いしないでまるで差別なんてなかったように振る舞うことは、多様性の受容とは反対に、差別に蓋をして見ないようにして、差別側から見て世界が差別がない世界に錯覚させるだけの行動です。
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例えば、障害者と呼ばれている人の「障害」は、その人の特性が社会に想定されていないために、その特性が「障害」となってしまっている状態です。その特性を「障害」としているのは社会です。多様性を受容するとは、その特性が「障害」とならないための特別な配慮を社会がするということです。
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私は吃音という発話障害がありますが、私のカミングアウトに対して、よく悪意なく「私は気にならないよ」と話されますが、私が求めているのは、「気にして」助けてくれることです。歩けずに地面を這いつくばる中で、歩ける人が「私は気にならないよ」と歩いて行ってしまう状況を想像してみてください。
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歩くことを想定して社会が作られているなら、歩けない人が社会やっていけるための特別な配慮をするか、社会のシステムそのものを、歩ける人と歩けない人で作り変える。それが多様性を受容するということです。このような理解のないまま、曲がった価値観が広まることは、私はとても怖いです。
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「共働きの夫を家事に参加させるには?」というテレビの特集で、
「責めない。成功体験からやりがいが生まれるから」
「できることを話し合う」
といった提案がなされていました。
子供にお手伝いさせるようなことをしないと家事ができない大人の男性が多い社会が、前向きに進むとは全く思えません。
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日本の男性は、共働き夫婦でも、家事育児関連時間が女性に比べて世界的にも際立って短い。言い訳のできない状況です。ただ、ケア労働をしたくない。自分がするものではない。そう考えているということです。こんな幼稚で筋が通らない思考がマジョリティの状況で、筋の通った社会を作れる訳ありません。
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超少子高齢化社会で、すでに経済的にも厳しい状況のいまの日本が、明るい未来に向かうには、人が人に対して筋を通して、皆で思いやって生きやすい社会を作っていくしかないのではないでしょうか。
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ドラマで、社会に絶望して仕事を辞めようとする人に先輩が「ちゃんとしてないやつ奴の話は誰も聞かない。社会の輪の中で働いて居場所を持って堂々と声を挙げろ」と言うシーンがありました。「仕事=ちゃんとする、社会の居場所」という感覚が迷いなく描かれる社会は生き辛い社会だと改めて感じました。
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先日、相方が倒れて命の危機と聞かされても寝たり食べたりするかを隠し撮りする番組がやっていて、ある芸人さんが、心配のあまり泣き出していて、それに対して心が温まるいい企画みたいな記事がありました。私には、騙されて身近な人の命の心配をする人を見るショーを肯定する気持ちは分かりません。