maromiso(@maromiso1)さんの人気ツイート(古い順)

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吃音障害とはただ最初の音の発声に難がある障害ではありません。正確には、そこから様々な問題が重なっていきます。例えば私の場合は、ある単語を話そうとしてもその最初の音の発声が難しいと感じた場合に、話の途中で急遽別の単語を探します。その結果、話したくない単語を咄嗟に出してしまい、
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そしてそうした失敗を繰り返す中で、話し方や社交性はマジョリティが普通と感じるそれとは離れていったりします。今回の芸人さんについてはわかりませんが、少なくとも私は、今回番組が吃音障害への理解を持った上で芸人さんを扱っていたようには感じられませんでした。
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繰り返しますが、苦しい人生の中で芸人という仕事を選んだ方は本当に尊敬しますし、そのような人が少ないのは障害を持った私たちの問題ではありません。また抗議をしたら芸人さんが出られなくなるという意見も、番組もそれを見る側も現在の吃音への理解度合いは変えないという前提に立っており、
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なぜじゃあ吃音について調べてみよう理解してみようとならないのか。協会への批判を見て私はとても悲しく感じました。どこかで習う訳ではないので、皆が悪意なく理解がないのは当たり前です。だからこそ、私たちは訴えています。今回の問題をきっかけに少しでも社会の理解が進むことを心から願います。
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抗議をすることで出られなくなる、抗議をすることで吃音に触れられなくなるなら、それは、見る側またマジョリティは、今後も特に吃音に対する理解を深めるつもりはないと宣言しているに等しいと私は思います。今回の問題は、番組の吃音への理解がなかった点にあり、
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抗議もその点についてのものです。番組側も見る側も吃音に対する理解が足りないのは明らかです。抗議を受けたり見たりして、なぜじゃあもう吃音には触れられないとなってしまうのか。なぜ吃音障害への理解も進み芸人さんもそのままでいられるような理解ある社会に向かおうとならないのか。
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障害者支援。ギフテッドの子への支援。どちらも関わった経験がありますが、社会から「変わってる」と思われている子供たちへの支援として「変わったまま」の自立を目標とするのはいいですが、特に政府など権力が強い立場ほど「変わってる」と拒絶する社会側を変える方向にならないことが私は残念です。
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誰もが自分のままで生きられる社会は、今自分のままで生きられない人が周りからの圧力を乗り越えて自分らしく生きようとする社会ではなく、そんな圧力がなく、今自分らしく生きられない人が本当に自分らしく生きられる社会です。そしてその社会の実現は、圧力を与える側の変化なしにはありえません。
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何なんでしょう。私が開発した研究手法をある大御所の教授が使いたいと研究所まで来たので丁寧に説明しましたが、いざその教授の論文を見たら私の論文を引用せずに自分で考えたみたいに書いてあり、教授の論文の共著になってる上司に聞いたら気づかなかったと。更にごにょごにょと教授を庇う始末。
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こういうシニア達、つまりこういう自分中心で下の世代に無責任なシニア達が出世し業界を衰退させているのがまさに今の研究業界ど真ん中です。そんな中で体調を壊し辞める私ですが、筋を通している自分を誇らしく思ってます。だってそんなだっさくてくっだらない出世人生なんて恥ずかしくて私は嫌です。
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人間の知性は欲に勝てない低いものであり、世界の歴史は戦争に差別など醜さの歴史でもあります。そんな中で人間社会がこれまで成立してきたのは、その醜さを見せびらかす人達に対し、美しく生きようとする人達がいたからに他ならないと私は解釈しています。だから私は誇りを持って辞めようと思います。
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研究業界でもどんな分野でも、また仕事でなくても差別や格差や人間関係など様々な場面で、だっさくてくっだらない人達が目立つ一方で筋の通らないことで苦しむ方はたくさんおられると思います。しかし私は、例え苦しむ側にいてもまっすぐ一生懸命に生きることは、とても美しく尊いことだと思います。
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現代では残念なことに、上記の心を持つことより、保身に走る方が職に繋がります。保身に走る人が出世し力を持つシステムになっており、上記の心を持つと力を持った保身層に敵視すらされるのだから必然でもあります。おそらくこのような事態は、研究に限らず社会の至る所で起こっているのだと思います。
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私はこの度研究職を辞めますが、15年の研究生活で学んだ社会生活のどの面にも適応できる1番大切な事は、分からない事は分からない間違いは間違いと認める心です。頭の回転が早いとか知識があるなんてことより、これができるかどうかがいい研究ができるかどうかの鍵になるし結局は近道でもあります。
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しかし悲しいことに、若い時はそうやっていい研究をしていた研究者がシニアになるにつれて自分は分かってる間違ってないとの保身へ走るようになるケースを沢山見てきました。そしてさらに悲しいことに、その保身は時に上記の心を持ち続ける同世代また下の世代の研究者に対しての敵視に繋がります。
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でも私は思います。分からなくても間違ってもいいじゃん。私たちはみんな不完全で未熟な人間です。いい研究をすることと同様に、分からなくても間違っててもそれを認めて人間らしく生きることが、いいと感じる人生を送ることへの鍵であって、結局は1番の近道なのではないでしょうか。
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そしてそれは最終的にいい社会を作る鍵でもあり1番の近道でもあると思います。分からないことや間違いを無視していい研究ができる訳ないのと同様に、社会は分からないことだらけで間違えばかりの人間の集合なのだから、この本質を見ないでいい社会なんてできる訳ありません。
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じゃあそんないい社会じゃない今はどうすればと感じるかもしれませんが、私個人としては、上記の心を持って人間らしく生きることができればそれは確実に一つ社会の中にその心を組み込んだことになる訳なので、私が感じるいい社会を作ることに、十分に大きく貢献できていると考えています。
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吃音障害を取り巻く環境は、日本でも世界でも残念ながら非常に厳しいです。どう厳しいか。それは、私たちに社会から歩み寄ってくれることが非常に少なく、基本的には私たちが無理をして社会に合わせなければいけない、つまり障害に対してバリアフリーになっていない環境にあるということです。
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研究者として勤務することを辞め10年ぶりに帰国しました。これまで、成果を出してきた一方で、吃音へ無理解な社会の中で無理を続け体は限界でした。この話に同情してくれる人は多いのですが、私は自分の状況に昔流行った「同情するなら金をくれ」という言葉を思い浮かべます。過激に思うかもですが、
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冒頭で紹介した「同情するなら金をくれ」。この言葉は、私にとっては「同情するならバリアフリーにしてくれ」という意味ですが、これが「傲慢」と取られない社会を私は目指したい。私たち吃音障害者など、社会に想定されていないことで、ありのままで生きることが許されていない人は少なくありません。
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今の社会は、想定されていない人たちが苦しんでる事実を知った先が「同情」に留まってしまう傾向にあります。しかし実際問題として、「同情」だけでは生きていけず、人生の大半のエネルギーを社会に合わせることに費やすことになります。皆がありのままの生きやすい社会、そんな社会を実現したいです。
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海外で生活して実感したのは、日本の人達は家計簿をつけたりお金を細かく管理できるのに、政府の使途不明金に寛容という矛盾。家庭のお金も税金もどちらも「私達の」お金です。何十円の出費だって大事なのだから、そんな中で頑張って払った「私達の」お金が毎年何兆円も使途不明なんて私は許せません。
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帰国してみると、子供の通う小学校でも相手に対しいじわるな意味合いで個人の感想だよねって言うことが流行っていて驚きます。ネットが普及し大量のデータと共に人間は究極的に客観的な視点を持った神のような存在になれる気がするのかもしれませんが、現実は、ただ未熟な思考しか持てない動物です。
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先日妻が再配達依頼の電話を宅配員の男性にかけると不機嫌なキツい口調で対応されたのに、宅配時に私が出ると一瞬驚いた顔をした後、丁寧な対応になりました。相手が男性と分かると急に態度が軟化というこのようなケースこそが、男性の私が知らないまま生きてこれた女性差別がある現実だと実感します。