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第二子の妊娠が分かった時、
当時娘(1歳)が通っていた保育園には安定期に入ってから言おう、と夫と話し、つわりでヘロヘロなのを隠して毎日送迎していたのだけど、ある日の帰り、先生に「お母さん、最近娘ちゃんがお友達を噛もうとする事が何度かあって、保育士が注意して見守るようにしています」
2
10年前、夫の実家に結婚の挨拶に行った時、初孫の結婚を誰より喜んでくれた夫の祖父。その1ヶ月後、祖父に末期ガンが見つかった。
そこから嘘みたいにガタガタと体調を崩し、祖父は入院して寝たきりになった。
結婚式は翌年の予定だったのだけど、義母たっての希望で前倒しできる式場を探した。
3
娘が1年生になった時、学校で何か困った事が起きていないか心配で、でも何もないかもしれないのにあれこれ詮索するのも違うなと思い、
「毎晩寝る前はお悩み相談タイム」
という事にしたら、嫌な事があった日は必ず電気を消した後に布団の中で「今日ね、やな事あった…」と話してくれるようになった。
4
こないだ職場の先輩と「子供のイヤイヤ期」が話題になった時に聞いた話。
第三子妊娠中の次女ちゃんのイヤイヤがかなり壮絶だったらしいのだけど、大きなお腹を抱え、長女次女を連れて子育て支援センターに行った時に、次女ちゃんのいつもの激しいイヤイヤが始まり、ひっくり返って暴れて大号泣。
5
子供の頃、かわいいシールを「普通に使うのはもったいない。今はまだその時じゃない。ここぞと言う時まで取っておくんだ」と宝箱にしまい、時々取り出してはうっとり眺め、いつしかその存在を忘れ、思い出した時には「もうキキララとかちょっと…」ってなって使わず終わった事が悔やまれてならない。
6
初めて、子供たちの前で
夫と大喧嘩してしまった…
今日は夫の友人家族が遠方から遊びに来るから、待ち合わせて一緒に動物園に行く約束を前々からしてたのだけど、息子が今朝から微熱を出してしまって。
どうしても全員で出かけたい夫と、
息子の体調最優先したい(夫と娘の二人で行ってほしい)私。
7
人の力を借りる事も大事だし、こんな時期が来るんだって他のママが知る事も大切なの。一人で抱え込んではダメよ?また来るのよ?」
と優しく声をかけてくれたんだって。
素敵な話だ。
子のイヤイヤでしんどくなってるママたちに「そんな時こそ支援センターに出かけて」って言葉が届けばいいなと思う。
8
と言われ、私はショックのあまり言葉が出なかった。先生は続けて「もし違っていたら大変失礼ですが…お母さん、もしかして妊娠していませんか?」と。妊娠初期も初期だったから娘にさえまだ言っていなかったので、まさかこんな形で先生に言い当てられると予想もしていなかった私はさらに驚愕した。
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「ここのところ、娘ちゃんがこれまで以上に保育士に抱っこをせがんで、膝から離れようとしない日が増えてたんです。不思議なんですけど、お子さんの中には何も言わなくてもお腹の赤ちゃんの存在を感じ、不安定になる子がいます。これまで私が見てきた子の中にも何人かいたので、もしかしてと思って」
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「今はお母さんもつわりで大変だと思います。娘ちゃんのご飯や身の回りのお世話は、これまでと同じでなくて全然大丈夫。手抜きできるところはどんどん手抜きしてください。ただ、座って娘ちゃんを抱きしめてあげる時間だけは、これまで以上に長くしてあげてくださいね。そうすればきっと落ち着きます」
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それを見た先輩は「プロがやっても泣き止まないんだから、私が泣き止ませられなくて当然なんだ…!」と思ったら急に気が楽になったんだって。
そしたらその方が、
「こういう時、人前で泣かれるのが怖くてつい家に引きこもってしまいがちだけど、こんな時こそ、こういう場所に出てきなさい。
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保育園への登園路、
毎日自転車で橋を渡っていた。
時々水面に見える魚や鳥が大好きで、息子はよく橋の上で「ママここでとまって!もっとみたい!」と言うのだけど、いつも「だってママもう遅刻しちゃうもん、また今度ね」と慌てて通りすぎ、息子からブーイングを食らっていた。
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子供って本当に不思議だな、と心から思ったし、あの時ピンときてアドバイスしてくれた先生には今でも感謝している。そして将来、娘や息子に子供(つまり私の孫)が生まれる時にはこの話を伝えられたらなあとひそかに思っていて、忘れないように時々あの日の事を反芻している。
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まるでそこが病院じゃないみたいに明るい時間だった。初めて会った人からこんなに「おめでとう」をもらったのはあれが最初で最後だと思う。
それから1週間も経たずに、祖父は旅立ってしまった。あの日義母と夫が決断してくれた事を、10年経った今も、私は、そしてきっと義父も、心から感謝している。
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家に帰ってすぐ、私は娘に、お腹に赤ちゃんがいる事を説明した。娘は分かったような分からないような顔で聞いていた。そしてその日から、私も夫も、とにかくたくさん娘を抱きしめるようにした。
娘は園で噛もうとする事も過剰に甘える事もなくなり、あっという間にいつもの娘に戻ったそうだ。
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良かれと思ってまだ娘には言わず、無理して今まで通りに振る舞おうとしてた。でもつわりでしんどくて思うようにいかず、結果的に娘を不安にさせてしまった。しかもそれが家でなく園で形になって現れるなんて…
娘に申し訳ない気持ちでいっぱいになって涙が出そうになった時、先生がこう言ってくれた。
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次女ちゃんをあやそうとしてはバタバタと敗北して去っていく。そのうち職員さんも気づいて一人、また一人と現れては、同じように敗北して去っていく。
そしてついにラスボス登場。
某育児番組にも出演歴のある育児のプロが現れ、颯爽と次女ちゃんを外に連れ出した!
…のだけど、なんとその方も敗北。
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一旦泣き始めると1時間以上泣き続けるのもザラで、延々「ママいや!ママきらい!」と言いながら叩いたり蹴ったりする次女を、お腹が張るから抱き上げる事もできず、いつも一緒になってただただ泣いていたんだそう。
そしたら周りにいた腕に自信のあるママたちが「我こそは!」と次々に来てくれて、
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子らには
川は危ないから近づいちゃだめだよ
ではなく、
もし大事なおもちゃが川に落ちちゃって、少しだけ手を伸ばせば届く場所をぷかぷかゆっくり流れてて、今すぐ取れば間に合いそうな時、どうする?
と聞き「絶対に取らない」と答えるまでをワンセットにして、定期的に問いかけるようにしてる。
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義母は泣いていた。私はなぜか泣いてはいけない気がして、無理に微笑んでいたと思う。
祖父の病室を出たら、驚いた事に、たくさんの患者さんとお見舞いのご家族たちが廊下に出て、私たちを待っていた。わあ!お嫁さんだ!おめでとう!たくさんの人が満面の笑みで私たちを拍手で見送ってくれた。
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病院の許可を得て、私たちは祖父の病室に向かった。
紋付袴と白無垢で病院の廊下を行進する一団。異様な光景に、人が次々に病室から顔を出してくる。
祖父の病室について夫が声をかけると、酸素の管をくわえた祖父は目を開け、言葉は発せないけれど、「うう…うう…」と涙を流して夫の手を握った。
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その間にもどんどん祖父の容態は悪化していき、祖父は眠っている時間が長くなった。結婚式に出席するのはもう難しそうだった。
「結婚式は予定通りでいいから、じいちゃんに見せるためにこっちで和装の前撮りをしてほしい」
義母から頼まれた。
残された時間は少ない…夫と私はその週末に帰省した。
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義父に反対され、義母は言葉をつげずにいた。すると普段は無口な夫がはっきりと
「俺はじいちゃんに見せたい。行こうよ、行かないとお母さんは一生後悔する」
写真館のおばちゃんたちもよーし!じゃあ急いで行こう!ほらお嫁さん裾気をつけて!と介添してくれて、みんなで病院に駆けつけた。
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夫一家が昔からお世話になっている写真館で和装の前撮りをした。写真を撮り終えた後、義母は意を決したように言った。
「このまま病院に行って、じいちゃんに二人の姿を見せてあげてもらえない…?」
義父は反対した。病院には色んな病状、環境、心境の人がいて、快く思わない人もいるかもしれない。