別業の話。 中学を卒業して、 16歳から60歳まで 「食パンを型に詰める作業」だけしてくれていた方がいましてね… みんな小ばかにしていたけどその人、ずっとそれを果たしてくれました。 定年で退職されて(当時延長雇用は無かった)、事件が起きます。 「味が変わって戻らない…」 大切な技能でした。
そーいえば 五輪贈賄で世が騒いでますが 札幌五輪なんて、政界経済界がこぞって美味しい蜜を吸いまくった…んですけど 札幌の成長にも物凄くお金を掛けてくれたんですよね。 地下鉄が出来て、住宅街が整備されて道が整備されて、東京資本の百貨店がホテルが出来て入って。 職業がたくさん生まれて。
「詰めるだけでなんでそんな給料持って行くんだ」とかささやかれていたのは知ってます。 でも、本当に大切な仕事をなしえてくれていました。 当時は延長雇用は無く、「疲れたからゆっくりするよ」と言って最後に握手させてもらえた記憶がよみがえります。
あのなめらかな手さばき、 たまに思い出して手マネすることがるんですけどね。 あのリズム、見事だったんだなぁ・・・ 8時間以上、それしか動かないんだけど。 田辺さん 凄い人でした。
札幌を描いてみた。
これか。。。! ノンフィクション小説の中身にもなった 「ダイエーが喧嘩腰で所沢店開業させたとき、西武沿線で堤兄弟によってあらゆる広告出稿をブロックされたときに、アルバイト数千人にオレンジ色のトレーナーを着せて西武鉄道線車内や街を練り歩かせて告知した。」という伝説のトレーナー・・・。 twitter.com/Love_Live_days…
昔見たオリエンタルモーターの展示の動画が出てきました。 凄いですよね。
7年前の今日の今時間。
五輪予算はまだまだあちこちに投下されて 街は駅前通りが美しい高さ均一なビル街に変貌し 太い道も建設が始まり。 無駄金?目的外の大量投下?で札幌は大発展を遂げるのでした。 税金の無駄使い?は人の暮らしを豊かにする力があると思うのですが セコくすると一部にしかお金が行かないんですよね。
定山渓鉄道は五輪予算でごっそり破格の高い買取をされて廃止されて 何故か線路敷地と定鉄バス大半は市営バスに買い取られ、社員は漏れることなく公務員になり 東急はガッツリと資金を持っていきながらそれを北海道に再投資し、 定鉄沿線は東急団地開発、 街には東急ホテルと東急百貨店が出来。
だから、 無駄な金だ!と「セコイ五輪」なんてしようとするから、 一部の小さな輪贈収賄が目立つのではないでしょうか。 盛大にやれば、人々にも役に立つ「地域巨大公共投資が暮らしのお金になる」んじゃないでしょうかね…と、思うわけです。 そこで中抜きしようがもっと大きな仕事してくれればなと。
模型完成してから あるある
いま、はやぶさ40号に居ます… 数列先の男性聞こえますか…今はあなたの脳に直接語り掛けたいです…もう動画音声漏れてますよ…布団にまみれた男女の声…周りは気がついてます…辛いでしょうが現実を受け入れなければいけません… まもなく仙台です…
ホント、定山渓鉄道は「五輪予算を東急グループがごっそり頂戴するため」に廃止されたようなもの。というのが恐らく後世の者として見るとき正しいでしょう。 官僚などからも何故か怪しいくらい、東急グループに転籍者が多いです。 今の言葉からすると、天下り・中抜き・予算横取ポッケナイナイでしょか
吉野原駅下車 あ〜 新幹線が来た〜。 と、思ったら タダモノではない新幹線だった。
東急グループの当時の総帥は田中派やのちの中曽根氏などの政治家とも大変密接でしたから、 オトモダチ予算をごっそり持って行ったようなものですが そのおかげで、 札幌は大きな都市に変貌して、札幌に住まうものとしては、なんの不足もないくらい暮らしは豊かな街になりました。
最期の原型エンジンだったカニ24-502 実はエンジンは今も現存していて 某所でオンレール稼働してるのであります。 廃車時に橋渡しをさせていただきました。
店主は鉄道マニアですから政治の話はどうでもいいんですが 五輪予算ごっそり東急が持行って定山渓鉄道は廃止された(買わせた)のは恐らく事実で 鉄道車両が中古転用が著しく少なかったのは公的資金で買い取ったようなことだったからでしょう。(予測) それでも漏れがあって東急総帥と関係が深い…
突込みどこ&線路満載の謎地図
予定してなきフルラインナップ観察は 少しほろ苦い再会でした。
そういえば、五輪前後に警察官僚がごそっと東急グループに転籍している記録も見ることが出来ます。 ふと思うのは 「定鉄って、警察から執拗に『踏切を立体交差にしなければ廃止しろ』と通告されていた」って記録があるなぁ… ふぅむ。 廃止買取の下地の プロレスでありましたか?(誇大妄想)
国際興業小佐野氏の配下の十和田観光鉄道(モ1200とク1200)と、 一旦長野に寄り道させたものの、 田中角栄氏の越後交通(ED500)にのみ、 定山渓鉄道中古車が流れた(オトモダチのところだけに流れた)のも象徴的に思います。 どうみても、「繋がり」ですよね。
他の記録では 市交通局幹部が長年、中央省庁に、 「札幌市には新しい構造の地下鉄が必要である」と言う請願をしながらも 「赤字になるからダメだ」とはねられ続けたのが ある時突然話が通じて、ゴムタイヤ式の開発が許可されて地下鉄が実現した。という記録がありました。 おや?なにか面白いですね。
ということで 定鉄沿線「痕」に生まれ育ち 札幌五輪も知らぬ世代の店主が いまも定鉄沿線で模型店・模型メーカーを営む モデルアイコンおよびモデルアイコンショールームに その「定鉄五輪浪漫」を 見に来るついでにお越しくだされば幸いです。 本日は定休日ですが 火・水曜日以外営業しております!