「推しと結婚、羨ましすぎる」って話が流れてきたけど、もし私が中村倫也さんと結婚なんかしたら首元がダルダルのTシャツで部屋をウロウロしながら鼻毛のひとつも抜いたりできなくなるのでまったくもって羨ましくなんかないです。
昔、教師に「幸せになりたければ、自分に限界を作るな。『無理』なんかない。努力は必ず報われる」と言われたことがあるけど、中年になった今、自分の限界をきっちり見極めて分相応に生きるのは幸せへの第一歩だと痛感してるし、そもそも努力は必ずしも報われない。
最大級の愛情表現なのかもしれないが「キミのためなら死ねる」と言われても「生きて役に立ってほしい」としか思えない。とりあえず風呂の掃除から始めてほしい。
同じ部署の人と社食でランチするのが一般的なので「今日は外で食べてくる」と言うと「え、なんで?」と聞かれる。前はそれらしい理由をつけてたけどもう面倒くさくなって「一人でボーっとしたいから」と答えてたら「あ、ボーっとする日ね」と流してもらえるようになった。何事も正直が一番だと思った。
私がこの女の子だったら「ごめん、ちょっと何言ってるかわかんない」と言ってしまうな。 twitter.com/OKU_MAYA/statu…
もし私が我が子に同じ質問をされたら「老人に限らず、身体の不自由な人や妊婦さんなど立っているのがしんどそうな人に席を譲るのは思いやり。ある種の自己満足だが、相手に喜んでもらえるならWINWIN。但し、これは自分が元気なときに限る。子供だからと問答無用で譲る必要はなし」と説明する。
お母さんがサツキの髪を梳かしてるシーンで毎度ボロボロ泣いてしまう。お姉ちゃんを優先して甘えさせて「サツキはお母さん似だから」と声を掛ける。サツキの嬉しそうで誇らしげで少し照れた顔に胸がギュっとする。#となりのトトロ
トトロがあくびをするシーンで毎回臭そうと思うのやめたい。
トトロに限らずジブリ作品は、自分の年齢や環境が変化すると印象が変わるので何度でも楽しめる。子供だけでなくさまざまな世代に支持されるのもよくわかる。
まだ小学生なのに母親の役割をこなそうとするサツキが健気で不憫と思ってしまうので、メイがいなくなって不安のあまりお婆さんの前でただの子供になってワンワン泣きじゃくるサツキのシーンは貰い泣き不可避。#となりのトトロ
池で見つかった靴がメイのじゃなかったのはいいが、じゃあ誰のなの?って思い始めるとめちゃくちゃ怖くなる。
彼氏に「まっくろくろすけ、出ておいで~」って言われながらパンツを下ろされたことがあります。
フィットボクシング2のBGMに「YMCA」があるんだけど、それまで流れるようなジャブ・ストレート・アッパーをこなしててもサビに来た途端、両手を上にあげて「Y」のポーズを取りそうになってしまう。秀樹の刷り込みハンパない。
ミュートやブロックは、だいたいが不快で目障りなアカウントに対して使うもんだ思うんですが、最近「まぶしすぎて無理」のパターンが新たに追加された。
今後もし香川照之さんの演技が観られなくなったら本当にツラい。不祥事が発覚するたびに、私の好きな俳優さんには是が非でも品行方正な生活をしていてほしいと願ってしまう。
私の通ってたジム、プールで平泳ぎをする女の人の後ろにぴったりくっついて泳ぐ中年男性や、男性インストラクターにセクハラまがいにベタベタまとわりつく中年女性をちょいちょい見掛けた。スポーツジムは健全な場所に見えて意外と変態が豊富。
購入したモノが不良品だったので製造元に連絡を入れたら、責任者からご丁寧な電話をいただいた上に「弊社の商品をもっと知っていただきたい」と交換品に併せてオススメ商品をいくつか送られたことがあった。メーカーの好感度が爆上げしたし、クレームは顧客獲得のチャンスになり得るんだなと実感した
育児で悩む他のママに配慮して子どもの成長や自慢、立派な食事などの投稿を避けるママ垢ルールなるものが存在するらしいんだけど、「そういうのが面倒くせえからツイッターをやってるんだが?」という感想しかない。
これ、たとえルールを厳守したとしても勝手に「自慢」と受け取って攻撃してくる輩がいるので、配慮は無意味。ブロックとミュートで快適なツイッターライフを送りたいものですね(笑顔)
ツイッターを始めて早10年。心に残る出会いもいろいろあったけれど、今でも忘れられないのは「お前、さっきからウルサイんだよ。私のツイッターに現れてくるな!」とフォロワーの人からリプライを貰ったことです。
「ありのままの自分」は誰かの犠牲の上に成り立ってるのかもしれない、と思うなどした。
家族、友人、会社などその関係を問わず「自分にとって快適な環境は誰かのガマンの上に成り立っているのかもしれない」という考えは常に頭に置いておきたいと思っている。
「キレイゴトを並べ立ててた癖に自分はクソじゃん」って批判があるけど、クソの自覚があるからこそキレイゴトを並べ立てて自己暗示を掛けながら必死に生き延びようとしていたんじゃないかと思うし、私がまさにそう。
「赤ちゃんはなぜ泣き止まないのか」という話、真っ暗で狭い場所に10ヶ月も閉じ込められて、ようやく外に出られたと思ったら自分の意思で動けないわ、やたらデカい生物が「かわいいでちゅねー」などと奇声を発しながら顔を近づけてくるわ、この状況で泣かないほうがおかしい。
不登校児に対する「学校なんて行かなくったっていいんだよ」。一見、優しくて寄り添う言葉に聞こえるけれど、当事者の「じゃあ、その先はどうなんの?」という不安を解消できなければ、無意味かつ無責任なセリフでしかないと思ってる。