小池陽慈(@koike_youji)さんの人気ツイート(新しい順)

26
「始まってしまった以上、楽しむしかない」という態度は思考停止であり、思考停止とは、自由からの逃走である。そしてこの自由からの逃走こそ、市民の大衆化の決定的要因であり、それは全体主義を求める国権にとって、もっとも都合のよいものなのだ。21世紀は、絶対に20世紀の反復であってはならない。
27
生徒から、「文学史を勉強していると、昔は"〇〇主義"とか"〇〇派"とか、そういうカテゴリーがたくさんあったとわかりますが、なんで最近の小説家たちは、そういうふうに括られないんですか?」という、かなりおもしろい質問をもらった。これだから講師業はやめられない。
28
子どもに「担任の先生どう?」と聞いたら、「テスト採点めんどくさがって学期末に10枚くらいまとめて返却するし、『日記は読むのめんどくさいから3行以内でお願い…』とか言うし、とにかくだらしなくて机の周りはゴミだらけだし……だから、大好き…!」とのことで、何よりだ。俺も好きだ、その先生。
29
アイドルとか詳しくないが、子を持つ親、10代の子を教える予備校講師として思う。分別もつかない子どもに夢を見させて搾取して、成功しなけりゃ後は勝手に堕ちてってね…というビジネスモデルは、おかしいと思う。子どもを飯の種にする以上、最低限、セカンドキャリア教育や面倒は、大人側の義務だよ。
30
一つだけ付け加えさせてください。 一連のツイートは、〈マイノリティの側が自らのアイデンティティを模索する過程で、伝統的な観念や風習に自己を同一化するという選択〉を否定するものではありません。 〈マジョリティの側から自己の欲望に満ちた表象を一方的に押し付けること〉を批判するものです。
31
オリエンタリズムをめぐり、被表象者を苦しめるステレオタイプは、ファノンの主題化したような、負のイメージが刻印されたものばかりではない。他者を理想的なものとして語る言説それ自体もまた、その中で主体化せざるを得ない人々を抑圧する。それは結局、エスノセントリズムの一形態に過ぎないのだ。
32
もう20年ほど昔のことになるが、僕のアイヌ語の恩師の1人は、「アイヌは自然とともに生きねばならないのか。スポーツカーに乗って携帯電話を持ち、クラブで踊ってはいけないのか」と問うていた。 交流センターの勉強会では、アイヌの青年が、「私たちに伝統に生きることを押しつけるな」と訴えていた。
33
この先コロナが収束したとき、ノーマスク状態がどれほど唾液を撒き散らしているかをすでに知ってしまった僕たちは、はたしてマスク無しで町を歩いたり電車に乗ることができるのだろうか。飲み屋で大声で笑い、話すことはできるのだろうか。正直、僕は…厳しいかもしれない。