岩田由記夫(@IWATAYUKIO)さんの人気ツイート(古い順)

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無名時代、日比谷野音で逢ってから忌野清志郎とは20回以上会った。僕「ロックン・ロールで社会は変えられる?」清志郎「意識は変えられても政治は変えられない」僕「ならどうすれば?」清志郎「社会を変えたかったら選挙を棄権しない事。ロックン・ロールと投票の槍でしか社会や世界は変えられないよ」
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昨日は忌野清志郎の命日だった。逝って12年、時がたつのは早い。彼がとても喜んでいたのは子供が生まれた時。でも心配もしていた。清志郎「子供は俺みたいに全て公立の学校で過ごさせたい。でも俺が変に名があるし変な事を言う奴と思われてるから虐められたら可哀そうだろう」。親としても立派だった。
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忌野清志郎はいつも何かに凝ってた。カメラ、ほら貝、ウクレレ、シジミ汁、自転車、ポルシェ‥。会うたびにそれらを持ってきて見せてくれた。恥ずかしがり屋だった彼のコミニュケーション・ツールでもあった。ある取材で今凝ってるものと言いスタジオで大量のシジミ汁を作った。匂いに皆げんなりした。
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東京とは都議選真っ最中。国政選挙も今年中にはある筈だ。選挙というと選びたい候補がいないから投票に行かないと言う人も多い。でもそれは棄権の理由にはならない。こいつは絶対に議員にしたくない、だから反対票を投じるというのが選挙なのです。投票を欠かさなかった忌野清志郎もよくそう言ってた。
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終戦記念日です。戦争体験をされた方が減りつつある中この日が風化しないことを願うばかりです。どんな戦争にも正義はありません。戦争は絶対悪です。戦争は合法的殺人を許す最悪の事態です。二度と過ちを犯さない為に終戦記念日を守って生きたい。戦争からは何も生まれない。そのことを肝に命じます。
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チャリー・ワッツがこの世を去った。80歳という高齢に病気、予期せねばならない事と分かっていてもショックだ。彼はビートそのものだった。彼がいたからザ・ローリング・ストーンズのグルーヴがあったのだ。少し皮肉の効いた彼のコメントが大好きだった。ひたすら悲しい。心からご冥福をお祈りします。
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以前、友人のプロ志望の息子がCDシングル(2曲入り)1000枚を制作してあげるという会社から70万円取られた。昨夜話した女性は11曲入りコンピレーションの1曲に入れてもらうだけで70万円払わされた。ミュージシャン志望の皆さん、誰かが貴方の才能に惚れたならお金を取る事はありません。騙されない様に。
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衆議院議員選挙の投票率は昭和では概して70%台を維持していた。それが今では50%少々になってしまった。政治が社会に与える影響を考えると70%位の投票率は必要だと思います。東北学院大学は投票を経済的に分析し若者の投票率が1%下がると若者は約78000円損すると試算した。選挙投票は重要なのです。
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よく勝ち組とか負け組と言います。あまりそういう言い方は好きでありません。人生には勝者も敗者もない。人生を生存競争と思っているなら競争に勝ったところで実はどうという事はない。人生で大切なのは幸せな時間をじっくりと味わい不幸な瞬間を教訓にする事だと思います。そう考えれば楽に生きれる。
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衆議院選挙の投票日です。選挙は自分の指示する政党や候補者に投票するだけではありません。「目覚まし時計は歌う(選挙ソング)」を残した忌野清志郎はこいつだけは落としたいとかこの政党だけは許せないなら反対票を対立候補、対立政党に投じるだけでもいいんだと語っていました。さあ、選挙に行こう!
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メジャー志望の人の夢、武道館ライヴ。武道館を借りるには記憶だと10年前で1日480万円。ステージ設営、リハ、後片付けで4日借りて約2000万円。PA、警備などが日に700万円として4日で2800万円、他にチケット、ポスター、パンフレット、宣伝費も加えると優に1億円超。利益を出すのが厳しいライヴだ。
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どんな理由であれ戦争は反対です。その理由は罪もない人々が脅え、殺されてゆくからです。戦争は国家が合法的に殺人を許す最悪な手段です。どんな高い理念を掲げた国家であろうと戦争を遂行することは許せません。その理念が血によってもたらされるものなら現代社会では、それは悪です。戦争反対!
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3月24日の朝から何とか悲しみに持ちこたえてます。音楽評論家で約48年来の友人、大伴良則氏が3月23日夜、突然この世を去りました。73歳でした。音楽好きの方は彼の文章を目にした事があると思います。僕のオフィス、Pink Tankは大伴さんと立ち上げたものです。大伴さん、今度はあちらで逢いましょう。
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今夜のお奨めは藤井風『LOVE ALL SERVE ALL』。とても良くできたJ-Popのアルバムだと思う。聴きたいと欲する人のど真ん中のストライクだ。彼の潜在能力をもってすればもっと音楽的に自己満足できる高みへ登れたかもしれない。それを多分、あえてしていない節操と階段を築く姿勢に称賛をおくりたい。
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訃報。初期の竹内まりや、大貫妙子などのディレクターとしてシティ・ポップに貢献した宮田茂樹氏が亡くなりました。ブラジル音楽に明るく、つい先日も自身がプロデュースされたジョアン・ジルベルトのトリビュート・アルバムを送って頂いたばかりでした。享年72歳。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
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高橋幸宏がこの世を去った。YMO以前から何度となく逢った。逢うと音楽の話より釣りとファッションの話ばかりしていた。YMOの東洋的なファッションは彼の発案だった。釣りの話を熱く語る彼は真の釣り人であり少年のようだった。世界中が認めた名ドラマーだった。謹んでご冥福をお祈りします。
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鮎川誠さんがこの世を去った。昨年6月、多分、病を押して僕の単行本『岩田由記夫のROCK&POPSオーディオ入門』の対談の為に駆けつけてくれて、それが最後の逢瀬となった。二人で聴いたローリング・ストーンズのレコードは僕が逝く時、天国の鮎川さんに届けたい。長い間、ありがとうございました。
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(訃報)1968年、18歳からの親友で悪友だった頭脳警察のPANTAが今朝、この世から旅立ちました。頭脳警察結成直前、誘ってくれたのも良い思い出です。彼が残した日本ロックを少しでも長く伝えてゆきたい。今は悲しみのの中、そう思っています。長い間、ありがとう!