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ラーメンマニア、油モノに消化器が耐えられなくなると蕎麦に行くよね。なのでやたら能書きたれる蕎麦屋が増えた。コンサルとかがお金巻き上げてそうなイメージがある
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ここ10年ぐらいでどんどん顕在化している問題として「知識がない人が情報だけ手に入れると本当にロクなことにならない」ってのがあると思うんですよね。情弱って言葉も普及したけど、むしろ今のバカって情報はあるんだよ。情報集めるんだ。情報だけなんだよ。情報だけあるのは何もないよりもヤバい。
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情報化社会以前にそういうタイプの人がいなかったかっていうといたんですけど、比較的レアで「サロンの馬鹿」とか呼ばれてインテリに揶揄される程度だったわけだけど、今もう社会問題だからステージ変わったよねって話ですかね。
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今のネットって、まとまった体系的な知識よりも個別のトピックとかティップスばっかりがコマ切れで流れてくるというか、そうなりやすい構造をインフラが持ってるから、気を抜くと馬謖みたいになるんだよね。
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一部のとくにおかしい人を代表みたいにとらえるのもよくないんだけど、自演とかそういう匿名掲示板のレスバのノリから脱却できずに十年以上経過した層ってのは一定いるんだよね。というか十年前でも……
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ちょくちょく似たようなこと書いてますけど、頭がおかしい人って一貫性がないと世間では思われがちだけど、むしろ逆のことが多いと思ってる。たとえば十年間特定の誰かをストーキングする人とかってめちゃくちゃ一貫性あるわけだし、十年間やることコロコロ変える人とかってめちゃ一貫性あるわけで
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要するに一貫性っていい方向に発揮されるばかりじゃなくて、ロクでもない方向に発揮される一貫性ってあるんですよね。悪癖とかだってだいたい一貫して同じこと繰り返しますしね。もっとざっくり言うと、おかしくなった人って時間止まるんだよ。変化とか柔軟性ってむしろ健康よりの特質だと思う。
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ネットバトルのために別垢作って一人二役やったりするの、良い悪いとか以前に「おいおい、人生って一回しかないんだぞ? ええんか?」って気持ちになっちゃうんだよなあ……。だってほかにあるじゃん。時間の使い方
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わたしは日本人が「毎日違ったものを食べないとだめ」という強迫観念を持ってると思います。
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お店で食べるラーメンはもう安い庶民の味というよりはプチ贅沢のほうに重心が移動してきてる気がする。庶民の文化が時間とともにだんだん「えらいもの」になって高級化するというパターン。寿司ももともとそう
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人と揉めるたびに「アイツは頭がおかしくなった」「アイツは無能」「アイツ切ってやった」って言い続けてた人を知ってるけど、これ「高速道路を走っとるんじゃが他の車がぜんぶ逆走しとるんじゃ」タイプのジョークのリアル版で、まあ怖いよね
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今のネット、流行り廃りのサイクルがマジで速すぎる。昔だったら吉野家はもう一ヵ月か二ヵ月ぐらいシャブ牛丼で擦られてたし、なんなら同人誌のネタにされたりフラッシュが作られたりしていたと思う
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日本では塩が霊的に効果があるということになってるけど西洋だと銀なんだよなそういえば。盛り銀とかもありなのか
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他人をコントロールしようという欲求が強すぎて、人間関係を片っ端から破壊してくタイプの人を観察する機会にたまたま恵まれた(嬉望んでないけど)んだけど、最近ようやく理解できたのが「あ、理由ないんだ」ってこと。(つづく)
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というのも、ずっと「どういう理由でこんな行為を?」と不思議だったんですよね。明らかにデメリットが多く、失うものが多く得るものは少ない。精神的な利益ってものかとも思ったがやはり腑に落ちない。こないだようやくわかった。その人にとってはコントロールのない人間関係ってないんだ。たぶん
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どういう経緯でそういう世界観を持つに至ったかは不明だが、とにかく、その人物にとっては人間関係イコール一方がなんらかの手段でもう一方を操作する行為、あるいは優位を得る行為で、それ抜きの関係性は最初からないって世界観なんだなって思った
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そういう世界観だから、優劣なしの関係性を見てもそこに優劣を見てしまうし、他人の行動が理解できないときは誰かの差し金に見えるわけね。そういう人が人間と関わろうとすると呼吸するように恩を着せ、言質をとり、情報をぼかすが、彼がそうするのはそれが当たり前だからで、それしかできない。
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まあ悪意がないからいいかっていうとそれもケースバイケースだと思うけど、もうコントロールしようとしないってのが無理なんだろうなって思った。
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サイゼで怒る人は「無意味な散財が気持ち」って文化なんですよ。
サイゼが「値段のわりにおいしい」ってのはつまり無意味度が低いわけで、その出費は「メシのためであって相手のためではない」わけです。
空費でないとダメなの。
「食いきれないほど出して捨てるのがもてなし」文化の類型です
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つまり「気持ちの表現としてあえて空費する」ってのは文化としてはわりと普遍的なわけですよ。
要するに「供物」ですよ。
たとえばシャンパンタワーとかすぐ枯れる豪華な花束とかって「あえて無意味」なわけですよ。供物だから。
仏前に貴重な香料を燃やすのも、スパチャも、供物なわけで
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Vへのスパチャに「なんで虚無に金投げるの?」って言っても仏教徒に「なんで香燃やすの?」って言っても意味ないわけじゃないですか。
あれサイリウムと一緒なんです。
サイリウムってあれ現代の線香ですよ。お香のいちばん重要なことは燃えて消えるところです。
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だからサイゼで怒る人ってのはね、メシの味や質に文句を言ってるわけではなく
「もっと供物を捧げよ! 信仰心が足らん! スパチャしろ! サイリウム薄いよ何やってんの!」
って怒ってるわけで、それに対して「サイゼは美味しい」って言うの完全に的外れなんですよ。
通貨が違うの。
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空費が気持ちって言うのは人類の文化で普遍的ですよ。
棺桶に花や大事なものを入れて焼く人だって、焼いたもんが冥府で具現化して個人の役に立つとは思ってない。たぶん昔の人も言うほど思ってなかった。
本当にそう思ってるなら生活用品とかを入れるわけで花なんか役に立たない。
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虚空に投じる「覚悟」の持ち主だけに見える世界があるわけですね。よろしくお願いします。