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昔話。
私は18歳でアニメ会社に入ったのですが
その会社では、動画マンは1年毎に契約書を交わす事になってました。
その内容が凄くて、契約中の間に描いた絵は、たとえ自分の家のチラシの裏に描いた落書きでも1枚残らず全て会社が著作権を持つ。という無茶な条文がありました(本当)。
↓続く
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私は本谷だけど、こういうデマを公の場で言うのは本当にやめてほしい。
社内スタッフの皆は、私がゲーム本編の作業を納品まで追い込んだ現場を最後まで目の前で見ていたのだし、
その後に大量の広告素材まで作成したのも、ファンの皆さんの知っての通りなのだから。 twitter.com/Va_HARA/status…
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さすがにこれは、子供だった私にも分かるような違法な条文です。
なにかと反抗的だった私は、結局、この契約書にサインしませんでした。
けれど、普通に仕事はさせていただきましたし、健康保険も出てましたから、結局形だけの契約書だったのでしょうか。
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契約書にサインをした同僚の皆もその条文を読んでいたはずなのですが、特に疑問を持ったという話は聞こえてこなかったです。
アニメータ志望者にとって法律系のお話は、相性が悪いのかもしれないです。
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80年代のアニメ業界の話を現代の感覚で理解しようとするのは、誤解のもとです。
当時は
女性動画マンをスタジオに監禁した会社がニュースになったり
韓国の動画用紙は1枚でも全く光に透けなかったり
スケジュールに追い込まれたスタジオに自ら放火した社長とか
そんな時代。😀
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「制作進行」話の続き。
私は90年頃、北米の制作スタジオに外国人アニメーターとして勤務したことがあります。
そのスタジオには「制作進行」スタッフは居ませんでした。
しかしスケジュール進行は、日本の体制よりはるかにスムーズだったのです。
私にとって、カルチャーショックでした。
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「老人Z」の最大功労者は、作監の飯田史雄さんだと思ってる。
江口寿史さんのキャラ案という事もあり、私たちは当初、AKIRAとは違う作風を目指しました。
多くのスタッフが作風ベースを、手慣れたAKIRAに置こうとしてしまう流れの中で、孤立無援で作品の独自性を守ろうとしたのは彼でした。 twitter.com/ani_obsessive/…
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昔話ですが、グランディアシリーズが2から大きく作風を変えた事に関して。
実は、続編である2の開発会議は、初代が発売されるよりも早く、97年の夏に既に始まっていました。
1の作風や世界観を引き継がない事も、その段階で決定しています。
↓(続く)
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私が20歳の頃の昔話。
TVアニメの半パート原画を月給8万円で描いてた。
銭湯に行けないほどの忙しさが何か月か続いたので、社長に「もう辞めたい」と伝えたら、翌月の給料が12万円になってた。
たった一言で、5割昇給!なんて良い会社なんだ!
などと思うはずもなく、速攻で辞めたw。
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戦前、ハイジの挿絵としては世界一有名だったGustaf Tenggren氏のハイジ(1923年)。
調べてみたら、彼はアニメ史に大いに関連のある方でした。
白雪姫、ピノキオなどの作品に参加し、多くのスケッチを残しておられます。
shrineodreams.wordpress.com/2013/07/26/gus…
animationresources.org/illustration-t…