折原一 😷(@1orihara)さんの人気ツイート(いいね順)

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暑い。こんな時こそ、幽霊画の傑作をどうぞ。 岡本東子「暗がり」。 画家本人が幼い頃、京都の祖母宅で見た幽霊を思い出しながら描いたもの。これ、踊り場の暗がりで見ると、両腕に鳥肌が立ち、首筋がちりちりするのである。あまりに怖いので、夜は箱にしまっておく。声をかけてきそうなんだもの。
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「メメント・モリ展」&「石田黙展」(ヴァニラ画廊)。 幽霊画の傑作、岡本東子の「暗がり」。画家が京都の祖母宅で見た幽霊を描いたもの。古い日本家屋の廊下の暗がりで、明治、大正風の髪型の若い女性が微笑んでいる。自宅の薄暗い階段踊り場に飾っていると、実に怖い。幽霊好きの人は会場でぜひ。
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父の日にもらった『犬神家の一族』の手拭い。スケキヨ、斧・琴・菊(よきこときく)入り。3000円もしたそうな。豆大福はなぜ?
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「メメント・モリ展」&「石田黙展」(ヴァニラ画廊) 幽霊画の傑作、岡本東子「暗がり」。画家が京都の祖母宅で見た幽霊を描いたもの。廊下奥の暗がりで大正期の髪型の女性が微笑んでいる。怖い。会期終了後は秘蔵(死蔵)されるので、今回が見る最後の機会です。21日(日)まで。お見逃しのないように。
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年金が話題になっているけど、私のような小説家は個人事業主なので、「国民年金」の他に、自営業者のための「国民年金基金」に入っている。あと、意外に見すごされているのが「小規模企業共済」。小さな会社の経営者向きの積み立てで確定申告では全額控除。退職金みたいになるので、小説家にはお勧め。
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昨日、母が96歳になった。年女、8まわり完了。今はかなり惚けが進み、特養に入っている。惚けるまでは漱石や鴎外などを繰り返し読んだ文学少女(?)。厳格な父親の命令(!)で文学部ではなく家政学部に入ったが、皮肉にもそれで戦後の混乱期を乗り越えられたんだとか。少女時代、好きな作家は吉屋信子
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これも怖い絵。高橋美貴「辺獄 Limbo」(30号)。英国の怪奇小説家E・F・ベンスンの傑作「顔」を連想させるシーン(原作は男の顔)。メメント・モリ展で飾った時、画家の高橋さんが「これ、顔が変わってますね。わたしが描いた時はこんな感じではなかった]と言った。それ以来、怖くて飾れないのである。
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母は漢文学者の多い環境で育ったものの、「女は勉強しなくていい」みたいな家だったので、無理やり家政科に行かせられた。(高校の家庭科の教師をしていたが)本当は国語の教師をやりたかったんだと思う。速読の達人で、文章はうまい。私は本を読まない父方の血を引いているので、文章はだめだな。
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#幽霊の日 今日は幽霊の日。岡本東子の幽霊画「暗がり」を今年の10月、銀座の某画廊にて展示することになりました。決定次第、通知します。 京都の古い日本家屋、廊下の奥の暗がりにたたずむ若い女。画家は幼い頃、祖母の家でこの幽霊を見たという。夜飾ると、恐いですぞ。開いた瞳孔に注目。
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「講談社文庫の色」は自由に選ばせてもらいました。 ①まず書店に行って、50音順に並んだ講談社文庫の棚をチェック。 ②自分の近くの作家の色を見て、重ならないような色選びをする。 ③「緑がいいな。綾辻行人さんの色と同じだけど、かなり離れるしね」 これで決まり。 twitter.com/Toron38812905/…
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今月の15日、私の母は息を引き取りました。享年98。死因は誤嚥性肺炎ですが、まあ、老衰ですね。その日たまたま、母のエッセイ「兄と私」が載った『かめれおん日記』(中島敦/灯光舎)が届き、何とも不思議な気持ちになりました。写真は1940年頃、埼玉県久喜市にて。兄の中島敦、父親の田人と。
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岡本東子「暗がり」。 この幽霊画について、こんな質問があった。 「幽霊と生身の人間の見分け方を教えてください」 似たような質問2件。気になる人はいるんですね。うむむ。 瞳孔が開いているのですよ。画像ではわかりにくいかもしれませんが。 彼女の目に注目。画家は苦労して描いたそうです。
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「牡丹燈籠」の絵(山科理絵)が仕事場にやって来た。同じ幽霊画の「暗がり」(岡本東子)と並べて飾ると、すごく怖いんだけど、ど、どうする? 次の『アートコレクターズ』(12月25日発売)に「岡本東子の絵をめぐる怪異」について書きます。いろいろ怖いことがあったもので。(^_^;)
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何年も前、私の妻(推理小説家)が激しい胃痛に苦しみだしたので、救急車を呼んだことがあります。「奥さんの職業は?」と聞かれた私が「文筆業です」と答えると、救急救命士はすました顔で「あ、はいはい、無職ですね」とメモしておりました。twitter.com/kiichiros/stat…
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母の口癖は「兄さんがあと10年生きてくれていたら……」。太宰治、松本清張、大岡昇平は同年(1909)生まれ。作家で食えない兄、その死後、窮乏する妻子を見ているので、私が作家になると言った時は反対した。「分野がまったく違うから大丈夫」と言っても、「本当に大丈夫?」。最近までずっと。
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今日も暑い。そんな時は怪談の絵でもどうぞ。 山科理絵による『怪談牡丹燈籠』の表紙絵(角川ソフィア文庫)。F3。 これは仕事場の後ろの壁に飾っている。仕事中、たまにふり返ると、涼しくなっていいが、夜間は(冗談を言えないほど)怖くなるので、箱にしまっておく。
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母は作文が得意だったので、学校ではずっと賞をもらっていた。しかし、兄が突き抜けた秀才だったため、家でほめられることはなく、「おまえはばかだ」と言われつづけた。裁縫や料理が苦手なのに家政科に進み、二十歳にして両親、兄と死別。そして終戦。よくいじけなかったなあ(いじけていたかも)。
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これも幽霊画。じわじわと怖い(こわかわいい?)のである。部屋に飾ると、他の絵を圧倒するほどのインパクト。口の中に口が……。メメント・モリ展に出せばよかったと思っている。加藤ゆわ「傀儡(くぐつ)」。
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私は『倒錯のロンド』をサントリーミステリー大賞に応募し、一次で落選。あきらめきれず、プロローグなど一部変更して江戸川乱歩賞に同タイトルで再応募。結果は最終候補でした。予選委員は当然かぶっていて、「これ、サントリーに落ちたやつ」という発言があったようです。 twitter.com/ikegami990/sta…
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(承前)光瀬龍が亡くなった頃……。東京駅近くの某大書店で高齢男性が「光瀬龍の〇〇を探しているんだ」と大声で訊ねているところに遭遇。店員が戸惑っているのを見て、私が男性をハヤカワ文庫の棚まで案内すると、「僕は光瀬の古い友人で、さっき彼の顔を撫でてきたのです」とすごく感謝された。
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亡き義父が遭遇した珍事件① 「変な事件です」と大町署から連絡があり、北アルプスの某渓流に行くと、全裸の男女が抱き合って死んでいた。「これは心中ですね?」と警察。「いや、違う。別々の沢で遭難した登山者が流されるうちに服が脱げ、沢の合流地点で偶然からみ合ったのさ」。小説より奇なり。
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(つづき) 「職業は文筆業」と言うと、胡散臭い目で見る人がいるのかもしれません。「小説家」と言うと、もっと信じてくれないだろうし。 あの時の救急車の中では「職業は?」→「文筆業です」→「無職ですね」→「いや、文筆業です」→「あ、はいはい、無職ですね」→「……」という流れ。
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@hkazano シャレコーベ・ミュージアム(尼崎市)は一見の価値ありです。館長が現役のお医者さんなので、土日のみのオープン。要予約。skull-museum.jp/frame.html 建物もガイコツです。
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(つづき) 作家になって数年たった頃、昔の知人に「よく金が続くね。1冊出すのにどれくらい金がかかるの?」と聞かれたことがある。出している本、すべて自費出版だと思っていたらしい。「自称作家じゃないのか」と言われて、ずっこけそうになった。それ以来、「作家」を名乗ることに抵抗がある。
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「じゃくちゅう」を変換すると「若冲」になるのに、ツイッター上で「若沖」と書く人がすごく多い。もちろん、頭の中では「じゃくちゅう」と読んでいるが、「わかおき」で変換しているんだろうな。 若冲展に行く前、「若冲展」とは別に「若沖展」も検索すると、けっこう有用な情報が入手できる。