野井之介(@QmHSxpgqThzrxfk)さんの人気ツイート(古い順)

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鎌倉執権「政敵の族滅気持ち良すぎだろ」 室町将軍「政務の放棄気持ち良すぎだろ」 徳川将軍「大名の改易気持ち良すぎだろ」
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「そして、何よりも若い鎌倉殿の姫君こそ、もっとも不幸であった。もちろん、頼朝の親族に幸運な人間など、一人もいやしなかったのだが」 美川圭『院政』中公新書 2006年(p194) #鎌倉殿の13人
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どの組織でも言えることだけれども、学芸員の非正規雇用や短期雇用が常態化するとこうなるのよな 出典論文↓ u-gakugei.repo.nii.ac.jp/?action=reposi…
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鎌倉北条氏、北条高時らの自害を以って鎌倉と共に滅亡したとも言えるけれども、その後、高時の母はかつて伊豆の北条邸があった地を安堵されて移住し、康永4(1345)年に没している。 北条氏の戦いは伊豆から始まり、最後は伊豆に帰ってきたのではないかとも思う。
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戦乱の発生を受けて「応仁」に改元した直後にドえらいことになるのだから、改元などあてにならないぞ
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下手に宗教を論破とかしてしまうとどうなるのか、ここで天文法華の乱を見ておきましょう (Wikiより引用)
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つまり、宗教勧誘を論破すると街が火の海になります(極論)
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まあ、現代社会ではこんなこと起こるとは思えないですけど、一瞬の快感のために面倒臭い連中との間に変な因縁作らない方が良いんじゃないかなぁと個人的には思います
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物凄く伸ばして頂いてありがたいのですけれども、半ばネタツイのつもりでツイートしたもので、当然ながら現代社会の宗教とは話の前提も色々と違うものになります。 この争乱自体も本当に色々な要素が絡んで起こっているので、「中世やべえな」くらいのノリで聞き流しておいて頂ければと。
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明治憲法下においてすら、山縣有朋の国葬には全然国民が集まらなくて閑散としていたのは有名な話ですし、国葬が有ろうが無かろうが、弔意を示すかどうかなんてのは結局個々人の自由だよなぁと。
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地獄すぎる
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香川照之さんの件で『龍馬伝』が心配されてるけど、あれ伊勢谷友介さん(大麻使用で逮捕)と宮迫博之さん(闇営業問題で自粛(?))が出演してるもので、既にもうね…
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ピエール瀧さん(コカイン使用)も出てる →完全に忘れてました 作品まで累が及ぶ風潮やめて欲しい →それは本当にそう
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「ちゃんと確認してから花押を据えよう!」というのが話題ですが、これはちゃんと確認せずに「もち持」の署名で出されてしまった足利持氏の文書です。 これ見て和んでクレメンス… #鎌倉殿の13人
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「ここに我々は、初めて北条義時という人の意志を持った言葉を聞いたのである。それは、非業の最期を遂げた友を悼む怒りの言葉であった」 (細川重男『執権』講談社 2019 p71) #鎌倉殿の13人
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びっくりするのは、この段階で頼朝が世を去ってから6年程しか経ってないことですね。 梶原、全成、比企、頼家、畠山、平賀が瞬く間に討たれ、北条時政も失脚するという怒涛の6年間、あまりにも密度が濃すぎる #鎌倉殿の13人
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江戸幕府が安定した要因がまた話題に上ってるけども、色々あるにせよ、やはり戦国期を通じて荘園制社会が解体されていたことが大きいかなと 鎌倉幕府や室町幕府とは足場そのものが違う
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TLで色々言われてますけれども、時代考証の先生には脚本にストップをかけられる程の権限はないというのは改めて確認しておきましょうね…
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北条義時の歴史上の評価、まあこれに尽きるよなと思う (『図説 鎌倉北条氏』より)
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【北条政子書状(意訳)】 お手紙、たしかに頂きました。 あってはならない事が世の習いなのでしょう。 こういうことがあってこそ心も善くなるのであり、心を痛めずにいることこそ恐れ多いものです。 しかし、母としての嘆きは浅からぬものです。悲しみは癒えそうになく、危ういほどです。 #鎌倉殿の13人
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慈円僧正が言ってたのは、要するにこういうことですね #鎌倉殿の13人
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戦わせたい
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明応の政変後の義稙派と義澄派の抗争を一望できる素晴らしい図があった 改めて見てもなかなかカオス
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【前回】 小四郎「この辺で死んどきます」 政子「ダメです」 【今回】 小四郎「まだ死ねません」 政子「ダメです」 #鎌倉殿の13人
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あろうことか共産党が公文書開示に反対しているという案件を聞いて、与党とか野党とか関係なく、情報公開の推進というのは政治家の利害そのものとぶつかる案件なのだなぁという認識を新たにしている